朝一番で頂上を目指した。早朝でもあり出来る限り抑えて完走を目指すだけだった。肉屋が7時から開くので8時ごろまでには入りたいとそれだけだった。日曜日には暑くなり、パン屋が始まる月曜日から涼しくなるので、また通常に戻れる。つまりパン屋に寄ってから一っ走りとなる。山登りコースは冬までお預けだ。先週は旅行があって、最初で最後の機会を活かした。谷間の急坂は二回走ったので、三度目の正直で続けて頂上を目指した。
気温は20度前後乍先日よりも低めで陽射しが薄かった。比較的気持ちよく走れた。中域では汗が出て来たが、我慢して上り詰めた。頂上小屋には誰かが入って準備をしていたようだ。下りてくるまで誰にも合わなかった。下りは辛くとも足が止まることはないので安心だ。比較的早めに車に戻ってきたが、久しぶりにエンジンの掛かりが悪かったので、十分ほど肉屋入りが遅れた。それでも並ぶことなく買い物が出来て、帰宅したのは8時過ぎだった。
これでパン屋休暇中の走りは距離からすれば悪くはなかった。減量は叶わなかったが、増加を喰い止めた感はある。午前中11時のザルツブルクからの生中継を楽しみにした。
晩は涼しいうちにジャガイモを蒸してレバーヴルストで食した。日曜日には最後の暑さのピークが予定されているからだった。そして19時30分から先日放映されてセンセーショナルな成功を収めた「コジファンテュッテ」初日がラディオ放送された。
先ず、映像と同じようだが収録音が素晴らしかった。バイエルン放送協会の方を聴いて録音した。映像とは異なり会場の残響も多いことから指揮者登場の拍手の鳴りが良かった。そしてその音の新鮮感は公演の成果に大いに貢献した。当日は雨で大変だったようだが、恐らく空調の成果もあってか湿気よりも空気の清楚を感じさせる。舞台もシムプルで階段状に後ろを開けたことも音響に功を奏したかもしれない。反面放映でも感じた演奏の熱度は高く、序曲から飛ばし気味で、最初の女声デゥオまでぐらいは緊張感も勝ってか若干硬くなっていた。
しかし序曲における二拍子リズム取りも見事で、指揮者のマルヴィッツが楽譜を読み切っている。楽団が弾き切れば更に鞭を入れて行くようなその指揮振りは伊達に十代から現場にいる指揮者ではないと思う。最近は男性も高等学校には行かずに劇場で修業する人が増えているが、そのような経歴を誇る中では年齢から考えてもピカイチではなかろうか。当然の事歌手陣が名唱を披露すればするほど客席の熱気が上がって来る。成程、フランクフルトでの「メリーウィドー」ではそうしたところがあったが、楽団がそれにも益して乗って来るそれはやはり超一流の座付楽団のなせる業だと思う。
今回のヴィーナーフィルハーモニカーはヴァリサーメスト指揮「エレクトラ」でもここ最近聴かせたことが無いような本気ぶりを示していたが、指揮者、歌手陣、演出で類稀な成果だと思う。そして、マルヴィッツの挿む休止や間がなんとも微妙で、キリル・ペトレンコ指揮では聴けない柔軟なものだ。
今回は時節柄、直前にキャスティングをしても欧州のオペラ市場から歌手を選り取り見取り出来たらしい。その中での選択狙い通り、歌手陣も素晴らしく。デスピーナのレア・デュサンドルという人もバロックで活躍している人のようでルセやらピション指揮でも良く歌っているようだ。最初にリツイートなどされていて忙しくて忘れていたらまたハートを貰ったのでフォローしておいた。ドンアルフォンソを歌ったバイロイトのベックメッサーを除くと三十路前の歌手ばかりを集めている。
最近は世界中から集まるオペラ歌手が秀逸な教育を受けていて、その中で切磋しているものだからとても技術的に高く、嘗ての様に生来の声で売れるという事が無い。今回も指揮者からその若い歌手陣にまで皆共通する高程度である。BRが評として、偉大なモーツェルト演奏の伝統を弾く継ぐものとして、大げさではなく、画期的な百周年公演となった。放送でも19世紀中にカットされたもこのオペラブッファを原典回帰させたのは指揮者グスタフ・マーラーで、ザルツブルク音楽祭初演は指揮者リヒャルト・シュトラウス、そして女性最初のマルヴィッツと紹介された。あのカール・ベーム指揮の決定的名演が吹っ飛びそうである。
その中でも歌で気が付いたのはフィオルデリージのエルサ・トライシークの歌声で、経過とともに温まって安定感が増していき表情によってヴィヴラートが変わる。天性のものもあるのかもしれないがそれが歌唱としてコントロールされているのだろう。これはベルリンなどでも大人気だったのは分かる。
参照:
ダポンテの最後の啓蒙作品 2020-08-07 | 文化一般
ああ無常の心の距離感 2020-08-04 | 女
気温は20度前後乍先日よりも低めで陽射しが薄かった。比較的気持ちよく走れた。中域では汗が出て来たが、我慢して上り詰めた。頂上小屋には誰かが入って準備をしていたようだ。下りてくるまで誰にも合わなかった。下りは辛くとも足が止まることはないので安心だ。比較的早めに車に戻ってきたが、久しぶりにエンジンの掛かりが悪かったので、十分ほど肉屋入りが遅れた。それでも並ぶことなく買い物が出来て、帰宅したのは8時過ぎだった。
これでパン屋休暇中の走りは距離からすれば悪くはなかった。減量は叶わなかったが、増加を喰い止めた感はある。午前中11時のザルツブルクからの生中継を楽しみにした。
晩は涼しいうちにジャガイモを蒸してレバーヴルストで食した。日曜日には最後の暑さのピークが予定されているからだった。そして19時30分から先日放映されてセンセーショナルな成功を収めた「コジファンテュッテ」初日がラディオ放送された。
先ず、映像と同じようだが収録音が素晴らしかった。バイエルン放送協会の方を聴いて録音した。映像とは異なり会場の残響も多いことから指揮者登場の拍手の鳴りが良かった。そしてその音の新鮮感は公演の成果に大いに貢献した。当日は雨で大変だったようだが、恐らく空調の成果もあってか湿気よりも空気の清楚を感じさせる。舞台もシムプルで階段状に後ろを開けたことも音響に功を奏したかもしれない。反面放映でも感じた演奏の熱度は高く、序曲から飛ばし気味で、最初の女声デゥオまでぐらいは緊張感も勝ってか若干硬くなっていた。
しかし序曲における二拍子リズム取りも見事で、指揮者のマルヴィッツが楽譜を読み切っている。楽団が弾き切れば更に鞭を入れて行くようなその指揮振りは伊達に十代から現場にいる指揮者ではないと思う。最近は男性も高等学校には行かずに劇場で修業する人が増えているが、そのような経歴を誇る中では年齢から考えてもピカイチではなかろうか。当然の事歌手陣が名唱を披露すればするほど客席の熱気が上がって来る。成程、フランクフルトでの「メリーウィドー」ではそうしたところがあったが、楽団がそれにも益して乗って来るそれはやはり超一流の座付楽団のなせる業だと思う。
今回のヴィーナーフィルハーモニカーはヴァリサーメスト指揮「エレクトラ」でもここ最近聴かせたことが無いような本気ぶりを示していたが、指揮者、歌手陣、演出で類稀な成果だと思う。そして、マルヴィッツの挿む休止や間がなんとも微妙で、キリル・ペトレンコ指揮では聴けない柔軟なものだ。
今回は時節柄、直前にキャスティングをしても欧州のオペラ市場から歌手を選り取り見取り出来たらしい。その中での選択狙い通り、歌手陣も素晴らしく。デスピーナのレア・デュサンドルという人もバロックで活躍している人のようでルセやらピション指揮でも良く歌っているようだ。最初にリツイートなどされていて忙しくて忘れていたらまたハートを貰ったのでフォローしておいた。ドンアルフォンソを歌ったバイロイトのベックメッサーを除くと三十路前の歌手ばかりを集めている。
最近は世界中から集まるオペラ歌手が秀逸な教育を受けていて、その中で切磋しているものだからとても技術的に高く、嘗ての様に生来の声で売れるという事が無い。今回も指揮者からその若い歌手陣にまで皆共通する高程度である。BRが評として、偉大なモーツェルト演奏の伝統を弾く継ぐものとして、大げさではなく、画期的な百周年公演となった。放送でも19世紀中にカットされたもこのオペラブッファを原典回帰させたのは指揮者グスタフ・マーラーで、ザルツブルク音楽祭初演は指揮者リヒャルト・シュトラウス、そして女性最初のマルヴィッツと紹介された。あのカール・ベーム指揮の決定的名演が吹っ飛びそうである。
その中でも歌で気が付いたのはフィオルデリージのエルサ・トライシークの歌声で、経過とともに温まって安定感が増していき表情によってヴィヴラートが変わる。天性のものもあるのかもしれないがそれが歌唱としてコントロールされているのだろう。これはベルリンなどでも大人気だったのは分かる。
参照:
ダポンテの最後の啓蒙作品 2020-08-07 | 文化一般
ああ無常の心の距離感 2020-08-04 | 女