Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

伯林市民が知るべきこと

2023-10-01 | 
承前)新制作「メデューサの筏」第三回公演の批評を読む。流石に公演が重なると演奏者だけでなくて、聴者の方も学ぶことが多い。漸く真面な評が出てきた。いつものことながら初日はプレスが招待されるためにそれ相応の反応が出て、概ねの評価は決まるのだが、どこまで本質に迫れるかは、特にこうした初演後60年にも至らない作品では決定的とはならない。

更にその初演のスキャンダルの政治的な要因までが昇華されない限り、その作品自体が持つメッセージも正しく伝わり難いという事情がある。今回のトビアス・クラツァー演出の場合は直接の政治的な現状を突きつけた訳ではない。プログラムのインタヴューにおいても、それは難民問題でもあるかもしれない、食糧危機でもあるかもしれないと様々な受け取り方を示唆している。

しかし同時に女性の学者らしきが創作そして初演の時代の作曲家と脚本家のいた環境を詳しく書いている。手短に初演の1968年の4月2日にバーダーとエンスリンがフランクフルトのデパート爆破して赤軍派が誕生、二日後にはルーサーキングが暗殺され、それに続いて作曲家ヘンツェがローマのヴィラに囲んでいた活動家ルディ・デュツケへの暗殺未遂があった。6月6日にはロバートケネディ上院議員が銃殺された。その年には、元ナチ党員だった西ドイツ首相キーシンガーの過去が明らかにされ、学生革命に再び油が注がれた。

こうした事象が書かれると同時にそこには筋書などがトルコ語で書かれている。ベルリンのこうした催し物では通常のことがどうかは知らないが、まさしくこの上演の意義がそこにある。それを三回目の公演を見た博士号を持った人が次のように書いている。

大プールを囲んで二つの急峻な大スタンドが築かれていて、象徴的に作曲されている大コーラスのその根源的な力が死と生との間の大きな世界とに別けられていて理想的な上演場所となっているとして、その嘗ては歴史的に分断されていたベルリンの入口でもあり出口であったテムペル飛行場の誰にとってもその事実とその受け取り方が微妙なその場所で催されたと状況を説明している。

既に言及しているように、こうした記載やこの演出の内容全てがまさしく東ドイツ人にとっては経験していない事であり、当然のことながらトルコ人など68年革命を経験していない者には追体験して貰わなければいけないものがそこで示されたと考えてもよいだろう。

そしてこの報告者は、この公演をこうしたただスペクタルな催し物を越えて、その魅力的なクラシックモダーンの総譜から半音階的な12音音楽の掠れる音響を亡霊的に、バロック風の合唱のメロドラマを、死者の豊かな楽譜からロマン風の雰囲気を見渡せるように音化したティテュス・エンゲル指揮とその座付き楽団を絶賛している。これだけでこの書き手がしっかりとその内容を吟味できていることを知ることになる。

そこでこの音楽劇場公演によって日常に向き合う我々の日常がそこに浮かび上がることになるのである。こうした音楽はその為に作曲されていて、そうした創作家の意思をどのように正しく聴衆に伝えられるのかどうかが問われているのである。それでも総譜には社会主義者ヘンツェの68年の政治思想が決して書き込まれている訳ではないのである。(続く



参照:
DAS FLOSS DER MEDUSA – Komische Oper am Hangar, Dr. Ingobert Waltenberger, OnlineMerkur vom 29.9.2023
漆黒の闇があったから 2023-09-15 | 歴史・時事
オペラの前に揚がる花火 2023-09-19 | 雑感
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