韓国日本旅行に向けての初日の評が出た。ベルリナーフィルハーモニカーの極東ツアーへのプログラムがベルリンで演奏された。モーツァルト、ベルク、ブラームスで、ベルクに関しては既にイタリアでの解説付き演奏会が生放送されていた。今回も予め曲への解説がヴィデオで為されている。そしてモーツァルトで始めての「プログラミングは振り返ると」と、地元紙で絶賛されている。
個人的に取り分け興味があるのは、このブラームス交響曲四番曲を前に聴いたのはカラヤン指揮であり、それは「ハイドンの主題による変奏曲」に続いて演奏された。後者は九月のルクセムブルク公演で溜飲が下がった。カラヤン指揮では為されなかった音楽の創作の真髄を体験できたからだ。つまりブラームスが変奏様式で描こうとしたその知的な活動とその感興を味わえたとなる。カラヤン指揮の音楽が批判されたのもその豪勢なサウンドに全てが搔き消されていたからでしかない。
初日の演奏評にはジャーナリスト的に、一楽章から四楽章の振フィナーレ迄はどのような印象を残したかのイムプレッションとして、フルートと弦の主題が漂い、メランコリックな主題がラッシュで重なり、大きな戦艦がゆったりと波が打ち寄せるようにマスとなる。極限のレガートは心に刻まれ、目の詰まった構造の中では旋律的である可能性は殆どない。最終楽章では、八艇のコントラバスが繰り返し上行してもそこには解決もない。それどころか最後のフルートのあまりにも美しいソロも懐疑にしか響かない。憧憬を求めて終る。
評論家のハンスリックがこの第四交響曲を称して、「暗い井戸の中を覗いていると、長ければ長いほどそこにより明るく星が見えてくる。」との批評を引用している。
トレーラーでの余りにもハードテュ―ニングはまさしくミュンヘンで体験したものなのだが、その時は八艇も入れてなかったと記憶する。前半には日本公演で一度だけ演奏された「魔法の角笛」からが演奏されて、その陣容が継承されていた。つまり独伝統的楽器配置コントラバス五艇で以上の規模にはなっていなかったのは確かだろう。
ベルリンでのコロナ期間中の折衷案では致し方なかったが、ペトレンコが求めたマイニンゲンでのブラームス指揮自作自演の初演の書き込みは活かせていなかった。ミュンヘンでは特に管楽器奏者が正確な表現を不可能にしていた。しかしここでその挑戦が繰り返されていることになる。
そして思いがけない大編成は、ツアーのもう一つのプログラムのレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」のように困難な演奏となるのだろう。まさしく先月キャリアの初期に名を挙げたマイニンゲンの劇場に戻って自ら確かめて来たパート譜はペトレンコの前任者レーガーによるコメンタールが為されているものである。レーガーの前任者はリヒャルトシュトラウスであり、ハンスビュローはそこからペトレンコと同じように真新しい交響楽団のベルリンに移っている。
そして、第一次世界大戦を反映したベルクの曲と共に、「遠く欧州と中東の戦争から離れた韓国日本の聴衆はこのあまりにも厳しいブラームスを如何に愉しむんだろう」と結んでいる。
参照:
Das Schöne und das Biest: Die Philharmoniker und Petrenko suchen Brahms mit der Gegenwart heim, Christiane Peitz, Tagesspiegel
ブラームスの先進性から 2023-09-06 | 音
音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
個人的に取り分け興味があるのは、このブラームス交響曲四番曲を前に聴いたのはカラヤン指揮であり、それは「ハイドンの主題による変奏曲」に続いて演奏された。後者は九月のルクセムブルク公演で溜飲が下がった。カラヤン指揮では為されなかった音楽の創作の真髄を体験できたからだ。つまりブラームスが変奏様式で描こうとしたその知的な活動とその感興を味わえたとなる。カラヤン指揮の音楽が批判されたのもその豪勢なサウンドに全てが搔き消されていたからでしかない。
初日の演奏評にはジャーナリスト的に、一楽章から四楽章の振フィナーレ迄はどのような印象を残したかのイムプレッションとして、フルートと弦の主題が漂い、メランコリックな主題がラッシュで重なり、大きな戦艦がゆったりと波が打ち寄せるようにマスとなる。極限のレガートは心に刻まれ、目の詰まった構造の中では旋律的である可能性は殆どない。最終楽章では、八艇のコントラバスが繰り返し上行してもそこには解決もない。それどころか最後のフルートのあまりにも美しいソロも懐疑にしか響かない。憧憬を求めて終る。
評論家のハンスリックがこの第四交響曲を称して、「暗い井戸の中を覗いていると、長ければ長いほどそこにより明るく星が見えてくる。」との批評を引用している。
トレーラーでの余りにもハードテュ―ニングはまさしくミュンヘンで体験したものなのだが、その時は八艇も入れてなかったと記憶する。前半には日本公演で一度だけ演奏された「魔法の角笛」からが演奏されて、その陣容が継承されていた。つまり独伝統的楽器配置コントラバス五艇で以上の規模にはなっていなかったのは確かだろう。
ベルリンでのコロナ期間中の折衷案では致し方なかったが、ペトレンコが求めたマイニンゲンでのブラームス指揮自作自演の初演の書き込みは活かせていなかった。ミュンヘンでは特に管楽器奏者が正確な表現を不可能にしていた。しかしここでその挑戦が繰り返されていることになる。
そして思いがけない大編成は、ツアーのもう一つのプログラムのレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」のように困難な演奏となるのだろう。まさしく先月キャリアの初期に名を挙げたマイニンゲンの劇場に戻って自ら確かめて来たパート譜はペトレンコの前任者レーガーによるコメンタールが為されているものである。レーガーの前任者はリヒャルトシュトラウスであり、ハンスビュローはそこからペトレンコと同じように真新しい交響楽団のベルリンに移っている。
そして、第一次世界大戦を反映したベルクの曲と共に、「遠く欧州と中東の戦争から離れた韓国日本の聴衆はこのあまりにも厳しいブラームスを如何に愉しむんだろう」と結んでいる。
参照:
Das Schöne und das Biest: Die Philharmoniker und Petrenko suchen Brahms mit der Gegenwart heim, Christiane Peitz, Tagesspiegel
ブラームスの先進性から 2023-09-06 | 音
音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音