(承前)アルテオパーに出かける前にレーマーベルクに出かけた。旧市街地再開発後初めてだった。何処がとは認定できない程であるが、明らかに上質のルネッサンスの面影が蘇っていた。そこのシルンという美術館で米国生まれのファイニンガーの全貌を網羅する絵画を鑑賞してきた。
集めてみるととても魅力的で、ニューヨークのドイツ系ヴァイオリニストの音楽家庭出身なだけに、その色彩の構造も音楽的であり、時間をキャンヴァスにも表現している。16歳の1886年に母親のピアニストとの演奏旅行に欧州に同行している。自らも音楽を学び1901年にシュナーベルの弟子のユダヤ系女性のピアニストと結婚、そして所謂ベルリンの分離派に1909年に参加している。
多くの人にとっては、1937年にナチの政権奪取から米国に帰還してからの摩天楼の絵画が有名ではないだろうか。なるほどその昔とは変わってしまった故郷の摩天楼が抜かれて描かれることで2001年のグランドゼロを思い起こさせる。本人にとっては決して快適なスカイラインではなかったようで、まさにそれが暗示されていた。
所謂モダーンな画家と呼ばれるのであるが、キュービズムへと突き進むことはなく、自らの路を定めたとあった。新聞評には、それをしてフリードリッヒの死から百年後のロマンティズムというようなことが書かれているのだが、些か形式的な分類ではないだろうか。
奇しくもその後に聴いたレーガーと同じ年の生まれであり、その方向性や色彩感にも共通している面がある。実は出かける前に認識では19世紀にあれだけ現代的な「英雄の生涯」を創作していたリヒャルト・シュトラウスとの親近性を感じていて、モダーンな作風乍実はその根は19世紀風かと思っていたのである。
しかし作風の技術性からして、またモダーン性からして、シュトラウスにおける追従とは全く相容れないことが明白だった。ほとんど知識が無くてもこれだけの展示会に出かけると、そうしたことが分かるのである。
改めて、マックス・レーガ―が語っていることが取り分け興味深い。名指しは避けながらも「交響曲でカウベルを鳴らしたり、ハ長調でニッチェの哲学を語ったり、そうした世界観で世界がひっくり返るような曲」の馬鹿らしさを語っている。勿論それは所謂世紀末の文化とされるものではあるのだが、20世紀のモダーンとは文字通り一線を隔すだろう。
本人は大食漢で、働き蜂として、朝食から12本のヴァイスヴルストを食して、限られた時間の食事などを挟んで夜分まで仕事をしていた。それゆえにか、コーヒーを浴びるほど飲料して、外食では二時間続けてシュニッツェルを給仕させたという。
そうした人物が、上のマーラーやシュトラウスの音楽を称して、「いつも暗く重いボルドーの赤ではなくて、モーゼルの透明な白なんだ」というその趣向が語るその感覚はとても大きいと確信する。
参照:
上からの全貌展に期待 2023-10-06 | 文化一般
ヴァイマールからの伝言 2005-12-03 | アウトドーア・環境
集めてみるととても魅力的で、ニューヨークのドイツ系ヴァイオリニストの音楽家庭出身なだけに、その色彩の構造も音楽的であり、時間をキャンヴァスにも表現している。16歳の1886年に母親のピアニストとの演奏旅行に欧州に同行している。自らも音楽を学び1901年にシュナーベルの弟子のユダヤ系女性のピアニストと結婚、そして所謂ベルリンの分離派に1909年に参加している。
多くの人にとっては、1937年にナチの政権奪取から米国に帰還してからの摩天楼の絵画が有名ではないだろうか。なるほどその昔とは変わってしまった故郷の摩天楼が抜かれて描かれることで2001年のグランドゼロを思い起こさせる。本人にとっては決して快適なスカイラインではなかったようで、まさにそれが暗示されていた。
所謂モダーンな画家と呼ばれるのであるが、キュービズムへと突き進むことはなく、自らの路を定めたとあった。新聞評には、それをしてフリードリッヒの死から百年後のロマンティズムというようなことが書かれているのだが、些か形式的な分類ではないだろうか。
奇しくもその後に聴いたレーガーと同じ年の生まれであり、その方向性や色彩感にも共通している面がある。実は出かける前に認識では19世紀にあれだけ現代的な「英雄の生涯」を創作していたリヒャルト・シュトラウスとの親近性を感じていて、モダーンな作風乍実はその根は19世紀風かと思っていたのである。
しかし作風の技術性からして、またモダーン性からして、シュトラウスにおける追従とは全く相容れないことが明白だった。ほとんど知識が無くてもこれだけの展示会に出かけると、そうしたことが分かるのである。
改めて、マックス・レーガ―が語っていることが取り分け興味深い。名指しは避けながらも「交響曲でカウベルを鳴らしたり、ハ長調でニッチェの哲学を語ったり、そうした世界観で世界がひっくり返るような曲」の馬鹿らしさを語っている。勿論それは所謂世紀末の文化とされるものではあるのだが、20世紀のモダーンとは文字通り一線を隔すだろう。
本人は大食漢で、働き蜂として、朝食から12本のヴァイスヴルストを食して、限られた時間の食事などを挟んで夜分まで仕事をしていた。それゆえにか、コーヒーを浴びるほど飲料して、外食では二時間続けてシュニッツェルを給仕させたという。
そうした人物が、上のマーラーやシュトラウスの音楽を称して、「いつも暗く重いボルドーの赤ではなくて、モーゼルの透明な白なんだ」というその趣向が語るその感覚はとても大きいと確信する。
参照:
上からの全貌展に期待 2023-10-06 | 文化一般
ヴァイマールからの伝言 2005-12-03 | アウトドーア・環境