Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

舞台に現れるメダリスト

2023-11-15 | 
承前)フィラデルフィア管弦楽団演奏によるラフマニノフ祭りについてまだ書き切れていない。そしてこの演奏会もベルリナーフィルハーモニカーによるアジアンツアープログラムも九月の二つのツアーのプログラムもそれどころかファイニンガーの全貌の展示会にも密接に関係している。

ラフマニノフ祭りでは集中して聴くことであまりにも耳につくディエスイレスのグレゴリアン聖歌の節のまった中になることで、この作曲家の独自の書法に否応なく向き合うことになる。そこでは合衆国へと向かってからのジャズの要素も使いながらも、その有名なしつこい旋律線などへの視座も変わってくる。なによりもピアノの名人がピアノを使ってどのように筆を進めていったかなどを思い描くと面白い。

既にお勉強の時から右手左手のような上行下行の書法には注目していたのだが、その長身の大きな手を使いながらも何故あれほどの細かな音程関係での動きを重要視したかの答えが演奏会前のレクチャーの中にあった。

それは上のグレゴリア聖歌の一節によって目立たなくされていた正教会の聖歌の影響だとの予想を再確認させた。そうした上行によってクライマックスが築かれて、対句などで下行へとアンチクライマックスになるという構造となっている。

これをその次の週の同じバーデンバーデンの祝祭劇場でチチェーリア管弦楽団のどうしても気づかされたイタリアンバロックからのそのカンタービレの在り方と比較してみるとこれまた興味深い。それどころかアジアンツアーにおけるベルクの12音技法確立に先行する作品においてもその量子力学的跳躍の音程関係とその変奏の技法はなんら歴史的に変わらないということで、ラフマニノフが自らのモットーとした「頭で構成しない音楽」の表現方法とそれが対峙しているということである。

まるで幼稚園児が音楽技法を語っているかの様な有様なのだが、余談ながらリズムやその音色などを認識すれば、その上行下行の所謂鏡面構造とされる反行の12音楽技法も、取り分けバロック以降の長短調システムで特別に教育されていない「素人」の方がより直截にその動機の扱いを聴き取れるという事象があることも矛盾しないのである。

前置きが長くなったのだが、トリフォノフのピアニズムの素晴らしさはリヒテルらのそのロシアのそれを継承しているからであるのだが、「パガニーニの主題によるラプソディー」で示したその奏法は、今迄どの超一流奏者からも見たことのないオリムピック選手のようなそれだった。それは何もスポ―ティーであるとか訓練した身体が其の儘動いていうるというものとは全く異なり、全身の神経をその音楽に奉仕しなければ為らずの演奏行為だったということで、現在最も鍵盤を上手に叩けるアムランなどともその全身の捧げ方が全く異なり、ポリーニにもソコロフにもそうした献身は見ていない。

ピアニストが舞台にそっけなく現れてどこか落ち着かない金メダル候補選手がトラックに現れるかのような張り詰めた姿を見せるのはまさしくそうした演奏行為の真実であるのを初めて認識した。演奏行為というものである。リヒテルにおいてもそういったことは一切なかった。(続く)



参照:
二極化によって描かれるもの 2023-11-14 | 文化一般
付け合わせザウワーボーネン 2023-10-26 | 料理
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