ベルリナーフィルハーモニカー東京初日のSNS上の反響を追っていた。ほぼどの程度の演奏が行われているかは想像できる。個人的な関心はそれ以上にどのようにその土地の人に受け入れられているかであり、これは自分自身が演奏会に行く時の関心として平素から同じである。
なによりも直ぐに気が付いたのは関西公演とは異なって東京での反応は昭和の時代に知っていたそのものと全く変わらない事である。基本的に東京は音楽学生だけでなく所謂玄人の比率が圧倒的に高い。反対に関西は好事家要するにディレッタントと呼ばれる層が中心となっていて、こうした催しものを支えている。そうした聴衆の層が全く異なる。そのことは指揮者のペトレンコも十分に情報を得ていたと思う。そうした聴衆層の差が齎す演奏会の反応が興味深い。
全体の印象を総合すると、ベルリンのフィルハーモニーをモデルとしたとされるサントリーホールの音響が私が経験した杮落としシリーズの小澤征爾指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏会の時の印象よりも遥かに悪いようで、金管などが割れているということが書いてあったりする。到底考えられないのはフランクフルトでパーフェクトな音響を確認しているからである。大阪のザシムフォニーホールは音が飽和することは知っているが、何回も通ったサントリーホールではその様な印象を持ったことがなかった。一度反射板を修正したとかで、舞台上での反射は修正されたのだろうが、あれだけ残響の減衰が悪い会場の客席の音響は容積を変えることは不可能なので修正のしようがない。高松や姫路、大阪などではまたそうした印象は発信されていないので、如何に東京の音楽環境がよくないかが分かる。
同様な例は九月にベルリンのフィルハーモニーを二十年ぶりに再訪しての印象とも似ているのだが、ワインヤード型の会場としての音響はカラヤンサーカスとは揶揄されながらも決して悪くはなく、壁が無いのでサラウンドな音響は得られないが直接音は聴き取りやすい。但し音楽が作り難いというのに過ぎない。サントリーホールの場合はそうした直截的な響きもないのは記憶している。銭湯とまではいわないが明白さに欠ける音響の会場である。火曜日にも二日目の公演が川崎のホールで表のプログラムAが演奏されるので、その反響もとても注視したい。
SNSの話しでは、次回の日本公演は開催されるかどうかわからない大阪万博開催で夏となるとある。東京オリムピックの時のオープンエアーだったので、恐らく指揮者も同様のデュダメルだろう。つまり2025年11月のツアーは変則的なものとなって、日本公演はないかもしれない。この話しが真実味があるのは既に2027年公演の準備が始まっているということを支配人が語っていたことに矛盾しない。ペトレンコ指揮で本格的な日本公演は四年後になるとしたら、「影のない女」構想はもはや難しいだろう。
会場のことだけでなく、コロナ期間に取り止めになった上海公演も優先されるだろうから、経済的な状況も含めて益々日本の地盤沈下は加速するのかもしれない。日本の音楽の受容やその市場を鑑みてもその長い歴史に拘わらず全く進化している様子もなく20世紀の商業主義の中に埋没していて、全く音楽芸術的な鼓動が感じられないので、歴史の波の中で沈んでいくに違いない。
参照:
英雄の慰霊記念日 2023-11-20 | 料理
パロディーの様なもの 2023-11-19 | 文化一般
なによりも直ぐに気が付いたのは関西公演とは異なって東京での反応は昭和の時代に知っていたそのものと全く変わらない事である。基本的に東京は音楽学生だけでなく所謂玄人の比率が圧倒的に高い。反対に関西は好事家要するにディレッタントと呼ばれる層が中心となっていて、こうした催しものを支えている。そうした聴衆の層が全く異なる。そのことは指揮者のペトレンコも十分に情報を得ていたと思う。そうした聴衆層の差が齎す演奏会の反応が興味深い。
全体の印象を総合すると、ベルリンのフィルハーモニーをモデルとしたとされるサントリーホールの音響が私が経験した杮落としシリーズの小澤征爾指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏会の時の印象よりも遥かに悪いようで、金管などが割れているということが書いてあったりする。到底考えられないのはフランクフルトでパーフェクトな音響を確認しているからである。大阪のザシムフォニーホールは音が飽和することは知っているが、何回も通ったサントリーホールではその様な印象を持ったことがなかった。一度反射板を修正したとかで、舞台上での反射は修正されたのだろうが、あれだけ残響の減衰が悪い会場の客席の音響は容積を変えることは不可能なので修正のしようがない。高松や姫路、大阪などではまたそうした印象は発信されていないので、如何に東京の音楽環境がよくないかが分かる。
同様な例は九月にベルリンのフィルハーモニーを二十年ぶりに再訪しての印象とも似ているのだが、ワインヤード型の会場としての音響はカラヤンサーカスとは揶揄されながらも決して悪くはなく、壁が無いのでサラウンドな音響は得られないが直接音は聴き取りやすい。但し音楽が作り難いというのに過ぎない。サントリーホールの場合はそうした直截的な響きもないのは記憶している。銭湯とまではいわないが明白さに欠ける音響の会場である。火曜日にも二日目の公演が川崎のホールで表のプログラムAが演奏されるので、その反響もとても注視したい。
SNSの話しでは、次回の日本公演は開催されるかどうかわからない大阪万博開催で夏となるとある。東京オリムピックの時のオープンエアーだったので、恐らく指揮者も同様のデュダメルだろう。つまり2025年11月のツアーは変則的なものとなって、日本公演はないかもしれない。この話しが真実味があるのは既に2027年公演の準備が始まっているということを支配人が語っていたことに矛盾しない。ペトレンコ指揮で本格的な日本公演は四年後になるとしたら、「影のない女」構想はもはや難しいだろう。
会場のことだけでなく、コロナ期間に取り止めになった上海公演も優先されるだろうから、経済的な状況も含めて益々日本の地盤沈下は加速するのかもしれない。日本の音楽の受容やその市場を鑑みてもその長い歴史に拘わらず全く進化している様子もなく20世紀の商業主義の中に埋没していて、全く音楽芸術的な鼓動が感じられないので、歴史の波の中で沈んでいくに違いない。
参照:
英雄の慰霊記念日 2023-11-20 | 料理
パロディーの様なもの 2023-11-19 | 文化一般