Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

魔除けの横顔を観察する

2009-03-16 | 生活
門の魔除けの横顔である。じっくり眺めると想像していたよりも迫力がある。その昔貴族の館時代にあった中世からのものなのだろう。

首を伸ばしているのは良いが、ご主人様の方は喉がえ辛い。更に鼻から脳に掛けてつんとする。風邪かとも思うが、花粉症かも知れない。とにかくもう一つすっきりとしない。頭が痛い。時々関節などが熱っぽい。

胸焼けすると言うよりも、胃酸過多のようでワインが食道に沁みる。決して飲み過ぎではないのだが、これは仕方ない。「養命酒」は、いくら断食シーズンといっても適量を飲まなければいけない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四旬節に香る春の響き

2009-03-15 | アウトドーア・環境
薄っすらと汗をかいたので下着を取り替えた。この一週間ほどはなんとなく熱っぽく、夜も眠くなり、朝も比較的早く目が覚めて、一日中だるい日が続いていた。座っているとついつい居眠りをするのが習慣になっていた。

アーモンドの花を写して散歩から帰ってくると、なんとなく力が漲ってきた。春である。

14ユーロを持って肉屋にいく。予定では6ユーロほどでパンに付けるパテもザウマーゲンも買えるつもりでいたが、結局11ユーロを越えて仕舞い驚いた。なんとか2ユーロ握ってパンを車で買いに行くことは出来て、冷蔵庫にあるクヴァークとドイツ青カビチーズをこれで合わせることが出来る。

最後の一本となっていた2007年産のキーセルベルクを開ける。想像していたよりも香りが良くなっていて、なかなか良いのだが、その果物にある苦味のようなものも感じる。やはり、女性で言えば28歳から35歳の若き淑女であって、あの更に若いときの輝きや魅力は消え失せた。とても良いのだが、どうしても新しい2008年産の方が気になってしまうのだ。

栗ザウマーゲンの三百グラム近くある特大のスライスに、赤キャベツをつけ合わせて食するために、このワインを開けたのである。落ち着いて心置きなく食事が出来そうだ。

それにしてもバッハのマルコ受難曲の響きほどこうした四旬節に映える香りも無かろう。風も柔らかくなってきた。アーモンドも開花し出した。春は直ぐ其処である。



参照:
滑稽な独善と白けの感性 2005-03-10 | 歴史・時事
楽のないマルコ受難曲評 I (14.1-14.11) 2005-03-22 | 暦
楽のないマルコ受難曲評II (14.18-14.44) 2005-03-24 | 暦
楽のないマルコ受難曲評IV (15.14-15.47) 2005-03-26 | 暦
アーモンドの咲く里に 2007-03-16 | 試飲百景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんだかんだと僻むだけ

2009-03-14 | ワイン
乗用車で言えばメルセデスの五リッター以上の高排気量車だろうか。一本新しいもので36ユーロするグランクリュホーヘンモルゲンはその豊かさからして最高級品に違いない。だから同じグランクリュワインと言っても、30ユーロまでなら手が出てもなかなか本物には手が届かないのだ。

車で言えばやはり同じカテゴリーではフラッグシップのものに限ると言う見解であるが、最終的にはどの辺りで折り合いをつけるか、もしくはその違いを認めるかという話になる。

2001年産ホーヘンモルゲンは、その年度分だけ高価になっているが、そうなると飲み頃のワインを探れるかどうかの問題である。2001年産のグランクリュは飲み頃であるという意見から、昨年から色々と試しているが、去年の時点では若干中途半端な印象もあった。所謂谷間に入っていたとすることも出来るが、次ぎの山は完全に開いてしまう事であり、飲み頃を探るとは熟成感との追いかけっこになりそうである。

飲んだ後の印象を聞くと、どうも開き方があまり良くないようで、また店先で聞くとこれから開くのを待ちたいとする意見もある。1999年産はオイリーな熟成感が少し出て来ていると言う。その点からすると先日飲んだそれに比べて半額の1999年産ランゲンモルゲンは、2007年産には新鮮さや凝縮感で落ちるが、丁度良かった。要するに、まだこれから飲み頃が訪れるとなると、なかなかその時期の判断は難しい。兎に角、自分で飲んでいないので何とも言えないのである。

その谷とする意見を吐いた者は、先日試飲した休耕になる前の最後の年の2002年産ライタープファードをキャラメル味としていた事から分かるように、熟成したワインに特別なニュアンスを求めている。

またドイツ車の特徴に戻ると、上のような最高級車に何を求めるかと言えば、走りの運動機能性の追求であるBMWならいざ知らず、やはり独特の存在感であって、ある種の分析を越えたものであるのも事実である。それはデシベルで表わされるような静粛性でも、音作りでもない総合的な雰囲気そのものなのである。

逆に高性能とか減点法で欠点を論ったりしていると、そうした価値観は生まれない。しかしそれは決して金額表を見ているから感じるものではなくて、同じように同じような速度で走っても全く異なるものなのである。車重が重くエンジンが大きい車は、その慣性力だけでは無く、やはり優れているのだ。

そうしたものに投資できるかできないかは、全く人其々で、そこに価値を見出すか見出さないかだけのライフスタイルの差なのである。そしてそうした も の がなくなってしまう世界はつまらない。かといって、適頃にそれを愉しめなかったり、重い箱を信号待ちの度に揺らすのでは、全くのお笑いでしかない。

しかし、投資できる金がたとえあるとしても、そうしたものの存在を知らなければお話しにならない。先日試飲して評価の高かったアイスヴァインを依頼で注文した。昨日電話にて予約はしておいたのだが、週末の試飲会でどこかに流れてしまうかも知れないと危惧して、メールをいれると、社長直々に受け取り確認が戻って来た。「また毛色の違う客を連れてきたな」と思ったかどうかは知らないが、「喰いついて来たな」と唸ったであろう。

アイスヴァインと言っても切れの良い粘度の低いムスカットの香りを愉しめるワインである。ワインリストには載っていなくてHPに四月発売とだけ載っているのだが、そのハーフボトルで39ユーロの比較的買い易さと、熟成させる必要も無く「誰でも飲める味」であり、四月までは残っていないに違いない。発売前に売りきれるものは、幾ら金を積んでも手に入らない。ワインは自然食料品であり、無い物は買えないのである。

そんな事を考えながら久しぶりに一時間以上も、自律神経失調にふらふらしながら歩いて帰ってきて昨夜の残りのワインを舐める。玄武岩土壌のリースリングである。16ユーロのお得な価格に飛びついて購入して二年寝かしておいたものである。2006年産の熟れは、色をかなり黄色くしていて、コルクを抜いたときの香りは素晴らしかった。外気温も違うのだろうが、元旦から完全に熟成が進んでいる。と同時に、汚れ感のような2006年産特有のお点がある種の苦味となって出て来る。やはり、半分の価格しかしない物はその程度で当然とも言えるが、些か悔しい思いだ。高くてもやはり良いものを買うべきだろうか?

なんだかんだと言ってもやはり先立つものがと僻むだけなのである。



参照:
ふにゃふにゃしない加齢 2009-03-09 | ワイン
我慢し切れない美味さ? 2009-03-03 | 試飲百景
画竜点睛を欠かさない充実 2009-03-06 | 試飲百景
エゴンを越えた?ザールシュタイン (新・緑家のリースリング日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月並みな自己表現の自由

2009-03-13 | マスメディア批評
相変わらず不愉快だ。今日はまたお湿りで散歩にもいけず、体調が優れない。

町の登記所には反旗が掲げられ、車中のラジオではまた銃殺事件の話題を扱っている。月並みな話題で仕方ない。犯人はネットはやっていなかったと言うが、殺人PCゲームに夢中になり出しており、元々自宅の地下は射撃場となっていることから、こうした事件が起きるのも当然であろう。せめて実業家である父親が銃の管理をして、許可が無い者には使わせない節度があればこうした事件は起きなかったのであろう。銃等の管理責任で罰金刑に処せられるかも知れないと言われている。

典型的な知的水準がそれほど高くない教養の欠如した比較的裕福な極平均的な社会層こそが、こうした消費生活やメディアに踊らされて、武器を所持してPCゲームに近づくような社会環境こそが問題なのである。

殺人PCゲームを創造や表現の自由とかエンターティメントとか宣い擁護する似非自由主義者やジャーナリズム精神の欠乏するメディアが、こうした社会環境を形成している訳で、そうした輩は良質の文化どころか良質の娯楽にすら無関係である事を肝に銘ずるべきだ。

ああした表現のどこに自由な精神の飛翔などがあるのだろう?全くそんなものとは関係がないのである。一体彼らの言う「表現の自由」や「自由」にどんな意味合いがあるのだろう。

今回の犯人の自己表現の自由とどこが違うと言うのだろう?


追伸:あの月夜の夜に犯人がチャットに「一旗上げる」予告を書き込んでいたかと思うと、丁度その時刻に覚醒して長い一日を過ごした人間としてはなんとも身近に感じる。秋葉原犯とやはり境遇が良く似ているどちらかと言えば好青年であり、鬱病として神経を病んでいたのはなんとも遣る瀬無い。薬を常用していたかどうかは不明である。司法解剖によってなにかが明らかになるのだろう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月並みな生劇を広報するTV

2009-03-12 | マスメディア批評
正直少々不愉快である。ここ暫らく野暮用に追われているだけならまだ良いが、そのせいもあってか夜中の二時過ぎに目が覚めたままになってしまった。

平常通りTVなどは観ないので、また起きた職業学校での大量射殺事件などもネットで知った。ヴァイブリンゲンに近いシュヴェービッシュの小さな町ヴィンネンデンで起った世界中に共通する青少年の事件である。

独第一放送は、何を差し置いてもアルペンスキーの放送を続けていたが、民放などは同時中継のドラマを演出していたようだ。そして、やはりCNNがもっともこうした事件放送には慣れていてもっともライヴ感覚を今回も伝えていたようだ。

しかし、朝の九時半学校に押し入った17歳の卒業生が十一人の生徒らを射殺して、九時四十分に警察が訪れたときには町中へと逃走しており、其処で一人を撃ち、車を止めて四十キロも逃走後、アウトバーン横の産業地区にあるVW販売店で商談中の二人を正午に射殺するまでに二時間半が経過している。

つまり、これらの者は不意に襲われたようで、速報性を幾ら重視してもなんら伝えることがないと言うマスメディアの無機能振りを示している。それどころかTVを観ていて襲われたときには、まさかと思ったようである。要するに、警戒していたとしても防御の効果は知れていて、そうした速報の意味すら考えさせられる。

車中のラジオなどは速報が役に立つことがあるが、TVなど映像を伴ったものが特に役に立った試しは少ない ― 阪神大地震の際のCNNの実況映像は助かったが。事件や事故の情報の伝達や広報性を考える場合も、現在のこうしたマスメディアの不毛を改めて教えられ、ますますそれらに害悪感を持つ者は少なくないであろう。それどころか、警察との応戦のなかで自決したスポーツマンの卓球少年ティムはホラーヴィデオの収集家であったともあるが、父親の空気銃を使った犯行はどこでも起きる月並みな事件であったようだ。

独第二放送は娯楽番組を自粛すると言うなら、さっさと電源を切って本日打ち止めと放送を止めれば良いのだ。もともとそんなものは必要ないのだから。こういう過激発言をする者は、その社会との関係で炸裂し難いとかTVは伝えてるらしい。



参照:
役目終えたTV放送の私物化 2009-03-01 | マスメディア批評
悪は滅びて、善は光り輝く 2005-09-05 | 歴史・時事
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴェンチュル効果でぼこぼこ

2009-03-11 | SNS・BLOG研究
色々な人が色々な事を書いたり考えたりしているのは読むのは面白い。そこに営みがある。そしてそこに思いもしなかった事を遭遇するのが愉しい。

ワインの好みや嗜み方も人それぞれで、それだからこそ面白いのだ。BLOG「WEISS WEIN BLOG」にて、デキャンターの代わりに ぽ こ ぽ こ と瓶から注ぐ鴨の口状のものを使っていると言うワイン小話が語られる。

それを自分ではなぜか今まで使ったことがない。しかし、醸造所の試飲会ではなるほどそれが良く使われている。流体の力学に則ってくびれた部分で高速で流れ注がれて、急速な呼吸をすることでワインが開くと言うものである。所謂ヴェンチル効果を使っている。

それを見ていても今まで少しも気にならなかったのだが、なにも理論的に計算などしてみなくても、その条件にも依るだろうが十分に液体にストレスを与えることは直感的に理解出来る。

なにと比べるかと言えば、ワインの場合は瓶詰め作業におけるポンピングであろう。そこでどれぐらいの圧力が掛けられるかは知らないが、幾ら圧を落としても瓶詰めの後は数週間はワインシックになることは経験上知られている。

ワインを運送したりした場合も、あの位相がずれたステレオ効果のように発散・拡散してしまうのである。丁度人間が時差ぼけや長い移動で揺られた後に総ての感覚が焦点を結ばないあの感覚なのである。

さて、このワイン注ぎの長短は意外に語られていないようである。それはなぜなのか?一つには、試飲会で注がれるワインは新しいワインが多く、そうした短所があまり目立たないと言うことかも知れない。もう一つは、やはり家庭で熟れたワインにこれを常用している人は少ないのではないかということである。

私などは、試飲会ではけちけちしてあまり注がせないためにこれが使われていると未だに疑わない。実際鴨の嘴タイプでなく、細い上呂タイプもあるのだ。それなどは殆どさもしいとしか思わない。家で飲む時も同じで、手酌でごぼごぼと心置きなく注がなければ気がすまないのである。しかし、幾ら強靭なワインと言っても、やはり飲む前に出来るだけストレスを掛けたくないのが心情である。だからデキャンターと比べるどうしても抵抗がある。

しかしこんな事を愚だ愚だ述べるよりも、実証とまでは難しいことは言わないが、自ら瓶から直接に、またはデキャンタしてから、そしてぼこぼこと三種類を簡単に試してみて味見してみるのが最も正解である。全く差が出ないのか、それともワインによるのかなどなど、出来るだけ先入観無しに比較してみるのが良いだろう。



参照:
ふにゃふにゃしない加齢 2009-03-09 | ワイン
花園に包まれていたい 2008-03-04 | ワイン
月謝先払いする酔狂かな 2008-02-11 | ワイン
ワインの時の三位一体 2007-05-11 | 試飲百景
好みに主観は存在しない 2007-05-08 | 試飲百景
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米語なんかで話させるな!

2009-03-10 | 雑感
アダム・オペル問題は、会社更生法によって債権者保護が優先されるため、幾つかの利点は生まれると言う。特に、開発研究によるGM GTOへのパテント等の権利も保護されるために有利に再生できると言うのだ。GM側もこれに関しては、資本過半の譲渡とともに今後の可能性として譲歩しているらしい。

GM欧州代表フォルスター氏と米国人代表は、訪れた官邸で首相に会わせて貰えないばかりかその階にも下ろして貰えなかった。会議には通訳がついたのは「ドイツ語で話す*」必要があるから当然なのだろうが、フォルスター氏はドイツ語で話すことで微妙な綾の意思疎通できると言うのも彼の取柄に違いない。

それでも、前途は暗いが、同じ共同購入機構に参加している再建後比較的業績好調なイタリアのフィアット社がオペルに関心を示しているらしい。2000年以降のGMとの協力関係によって、既に小型車のディーゼルエンジンをオペルに提供して、オペルはオットーエンジンをアルファロメオに提供していたりして、小型車部門でそのまま共通シャーシを使える事など比較的補い合う要素はあるとされる。何れにしても、ローマとベルリン間で政治的に将来像が約束されなければならない。

更に訳が悪いのはAIGなどにみられる合衆国資本の市民共同体財産の買い上げなどによって、道路のマンホール一つすらそうした国際資本の崩壊と共にその存在が脅かされる現実があるようだ。悪しきグローバリズムと悪しき民営化そのものの現実である。

GMの資産管理や倒産などにおける資本や財産管理も内部の専門家でも誰も分からないという、殆どマジックかペテンか、または商法に見られるような詐欺のような現代の経済社会の姿がこうした時に透かされて浮き上がってくるのが面白い。


*ドイツ語で話すとは明晰に包み隠さずに一縷の誤まりのないように話すことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふにゃふにゃしない加齢

2009-03-09 | ワイン
グランクリュを開けた。オペルのリュッセルスハイムにマイン河を挟んで面するホッホハイムの2007年産ドムデカナイである。

開けた理由は、恐らく早飲みのエルステス・ゲヴェックスであると思ったからで、やはりその印象は強まった。昨年の秋に試飲した時との違いはそれほどないが、若干酸が丸くなって仕舞って、苦味のようなものが表面に出て来ている。

若干オイリーな香りはペッパーの味とバランスが良いが、酸が落ちていくと重みが増してくるようでどうしても飲み頃を慌てる。二年目までは恐らく問題ないが、四年後になると熟成感が出て来てしまうだろう。

元々同じ地所のシュペートレーゼは、その果実風味も感じさせない程の辛口とパパーミント風味が取柄だったのだが、あまり長持ちさせるようになるとやはり魅力が薄れるであろう。

二年目までに楽しむワインとして20ユーロは決して安くはないが、二年後に十分楽しめるリースリングはこの価格では数少なくなって来ているのも事実である。一寸気が利いたグランクリュは25ユーロほど出さないと買えなくなって来ている。

その点から先日試飲したビュルックリン・ヴォルフ醸造所のピリュミエクリュは良いヴィンテージなら四年から更に力強く上向くものが多く、今やその価格16ユーロは破格の安さと言えるだろう。

1999年産のオーナーの蔵から放出されたグローセスゲヴェックス・リースリング・ホーヘンモルゲンの価格は44ユーロと言う。2007年ものが36ユーロであるから、高いか安いかは何とも言えない。フランスワインの事を考えれば世界最高級のまだ「新鮮」なリースリングがこの価格で飲めるならば、余裕があれば負けず嫌いで試してみたいのだ。

1999年産イエズイーテンガルテンが52ユーロである。これならば26ユーロの2007年産グランクリュを二本買って、三年ほど開けて二度に別けて飲むほうが愉しめる。

2001年のホーヘンモルゲンを飲んでの感想を読むと、なかなか開かなかったことが伺われて、一つはサーヴィスする温度の問題と、もう一つはエアーリングのことが察せられた。温度は、飲む環境にもよるがやはり摂氏14度ほどがもっとも良いような気がする。またそれだけ閉じているならばやはりデキャンタすべきであろう。デキャンタしてふにゃふにゃするほどのワインでないことがその感想を読んで判ったのであった。逆にデキャンタ出来ないくらいなら加齢で十分な化学的結合がないという事にもなる。基本的にはドイツワインは赤白ともなぜか硬い。酸の強さでもあろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世論形成への言論活動の有意

2009-03-08 | マスメディア批評
カールスルーヘの憲法裁判所でネット投票の可否について判断が下された。技術的補助は歓迎されているが、「ペンと紙」によるそれよりも憲法の精神に沿っているとは言い難いようである。

要するにブラックスボックスである投票機の技術的問題もあるが、それよりもたとえ秘密投票であっても権利行使を公然と示威することが重要となるようである。

さらに推考を進めて行くと、世論が形成されている中で、「自らの一票などは焼け石に水と思う」のが普通であり、冷静な判断なのである。そうしたしらけの気持ちを癒すために二大政党制などの方法が慰めとして採用されるが、米国の大統領選挙で経験したようなどちらでも良いような馬鹿げた結果となって、その二大政党制自体が形骸化してしまう例も多々見られる。

現実問題として、「投票行動以前に世論を客観的な立場で観察して分析すること」は投票行為よりも遥かに重要なのである。つまり世論が形成されてしまう時点で投票の価値などはなくなる。それよりも世論形成へと向けて公に深く議論して行くことが民主主義の基礎である。要するに言論の有意性である。

合衆国の民主党の予備選挙に於ける党員集会風景などを見るとまさにそれである。一見馬鹿げた子供のお遊戯のような行為にも見えるが、投票そのものよりも重要であることはそのように考えると直に納得出来るだろう。

ジャーナリズムが政治機構よりも重要な理由はそこにある。



参照:
民主党小沢一郎代表の公設第一秘書の逮捕に思う (日々雑録 または 魔法の竪琴)
検察も無粋なことをしたものだ (tak-shonai’s Today’s Crack)
民主党「小沢・公設秘書逮捕劇場」の奥深くで不気味に“あざ笑う” (toxandoria の日記)
小沢民主党代表・公設第一秘書逮捕の波紋 (ポラリス-ある日本共産党支部のブログ)
素朴さ炸裂のトムちゃん 2009-01-25 | マスメディア批評
刈込めば実り膨らむ葡萄かな 2009-02-24 06:27:38 | マスメディア批評
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オペルなんかどうでも良い

2009-03-07 | 歴史・時事
メルケル首相やツグッテンベルク産業大臣はそのように語って、米国企業アダム・オペル社支援には厳しい言葉を投げ掛けている。本日行なわれた会議の結果は知らないが、重要な点だけを挙げておく。

オペル程度で尚且つ上場されていてドイツインデックスDAXにリストアップされている「ドイツ主要企業」で同様な援助を秘密裏に求めて来ている企業は数多いと言う。首相の言うように銀行だけは別格であるとする考え方は、シュレーダー前首相が労働者の味方面をして一時的に歴史ある建設会社を救って、人気を稼ぎ、まもなく消滅させたのに比べれば遥かに見識ある政治姿勢であるように思われる。

大災難と大臣が表わすように、GMに劣らずOPELの状態は甚だ具合が悪い。数年前に現在のGM欧州代表フォルスター氏がやり遂げた仕事は、結局研究費を流したとする理由でパテント類は総てデルウェアのGMの子会社に帰属するとした構造改革であったようだ。結局、オペルが一人立ちして車を生産したとしても一台あたり比率5%をその管理会社GM GTOにライセンス料として納めなければいけない事になっている。2005年までは、日本で五万ほど売ったオペル車など世界中から5%を徴収していたこととは大きな違いである。

オペルがこれまた安全基準担当のサーブ社や英国のヴォザール社の開発研究を請け負っていたとしてもその意味は殆どない。なにも優秀なエンジニアーはオペルなどでは働いていないと言う技術人事レベルの問題を言うのではなく、要するにオペルは独立しても只の「オペル販売網」の意味しかないと言うのである。それはもともと自らのブランドを世界で走らせる事もなく、世界最大の多国籍企業であったGMの企業構造であったのだが、一体その儲けがワーゴナーら幹部の膨大な私有財産になっているかと思うと、オバマ大統領でなくとも「恥じを知れ」と言わねばならない。

同様なやり方をGMは世界中で繰り広げてきた訳で、そうした構造が壊滅状態となった時、ハイエナが食い荒らした後にはなにひとつ残らない。ポーランドを通過したロシア赤軍と同じである。これが悪しきグローバリズムの仮面を剥いだ真実の姿なのだ。そして米国の多国籍企業は世界中でそのような資本投資の方法を行なっておりありとあらゆる米国企業やブランドは同様な背景や特徴をもっていると言っても必ずしも的外れではないであろう。

そしてなによりも、政治は労働市場を守るべく、社会主義者達が人気稼ぎを繰り返してきたが、それらは債権者と同じく労働利権という既得権の餌にぶら下がる政治屋に違いない。工業先進国においては、少子高齢化と労働者需要減少によってそうした社会主義者の役目は遠に終った。

同時にドイツ共和国連邦連合政権は、マネージャー給与の制限に合意した。要するに、ドイツにおける世界的競争力の低い労働市場を守るとする根も葉もなく現実味のない再建計画を提出するマネージャーも、自らの職場を守ろうとする労働組合も同じ穴の狢であるのは、そうした既得権の存在する社会にて当然のことであろう。

全く同じ意味において、リスクマネージメントとか、まるで世界に時の流れのない静的な世界観を持つ市民も、その社会において同じ穴の狢であることを自覚すべきなのである。恥じを知れ!



参照:
架空のクラフトマンシップ  2005-01-13 | テクニック
自宅よりも快適な車内  2005-02-14 | 歴史・時事
覚醒の後の戦慄  2005-10-15 | 歴史・時事
短所は短所として  2006-03-16 | ワイン
神の手に手を出すな!  2008-11-19 | 生活
発動技術的連鎖反応  2008-12-06 | 歴史・時事
決して満ちない底無しの樽  2009-02-23 | 歴史・時事
メイド・イン・ジャーマニー神話の崩壊 (クラシックおっかけ日記)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

画竜点睛を欠かさない充実

2009-03-06 | 試飲百景
「よーみよ」五本印のビュルックリン・ヴォルフ醸造所で試飲して頂いた。実は私自身それほど数を買っていない。どうしてもその価格を考えると慎重になってしまうからであり、なによりも普段のワインの愉しみからすると、それほどこのリースリングは特に必要も無ければ愉しむ精神的経済的余裕がないと言ってしまう方が正しい。

しかしそれでもここの醸造所のワインを知っているという点では、彼のヒュー・ジョンソンでも私の足元にも及ぶまい。醸造所の中でも私より長い期間に及んで飲みつけている者は数が限られるであろう。

今回の狙い目は十分に数のある2007年産のグランクリュを試飲して購入して貰う事と、飲み頃と言われる2001年産のそれらを比較する事であったが、後者の玄武岩土壌のペッヒシュタインは数が少なくなっていて試飲出来なくなっていた。友人も買い占め、私も十分にご相伴で試飲させて貰ったから文句を言うまい。

それでも今年オーナーの蔵から放出された1999年度産の幾つかを試飲出来て、更に友人が支払った割り増し送料からのキャッシュバックが手に入り、僅か二ユーロでランゲンモルゲンを購入できると言う実質上の隠れリべートの恩恵を受けた。「セールスマン」として売り上げで千ユーロも達成できれば当然のご褒美であろうか?

先ずは、お奨めであり典型的なこの醸造所の切れの鋭いリースリングであるヴァッヘンハイム自慢の地所ゲリュンペルと、ルッパーツベルクのその正反対の膨らみと余韻のある土壌ホーヘブルクが比較される。既にその前の試飲やピクニックからどちらを選ぶかは、前者の切れの良さと分かってはいたが、後者のリースリングにもザウマーゲンに合わせれるような雑味の無い良さがあるのだ。しかしそうなるとどうしても他の醸造所の旨味との比較になり、フォン・バーサッーマン・ヨルダン醸造所のより廉価な早飲みの物の方に長がある。逆に言うとバッサーマンがもう一つ良いリースリングをルッパーツベルクの土壌で造れていないのが問題なのである。

第二ラウンドは、ペッヒシュタインとカルクオーフェンである。まだまだ開かない前者の真価知るのは難しいが、後者の石灰質のミネラルは感じて貰えただろう。これはその比較的手頃な価格からしてもお勧めである。

次ぎは、ルッパーツベルクのガイスベールとダイデスハイムのホーエンモルゲンの比較である。前者の若干土の土壌感のあるボディー感と後者の膨らみ感ではやはり後者に軍配が上がる。しかし、ある意味ここまで来ると殆ど好みなどの問題ではなく、お客さんに言わせると「ここのワインはあまり日本人向きではない」となるのだろう。

恐らくアルコールに匹敵するだけの充実感という事で、酸にしても他の要素にしても中身が几帳面に詰め込まれている「ドイツ臭さ」を感じ取られたようだ。それは、フォン・バーッサーマンの旨味と比べる時に、よりつき詰めた形であるに違いない。それだけに、「メードインジャーマニー」の俗に言う画竜点睛を欠くことの無い印象がここのワインにはあるのだろう。

その後、系年変化の熟成例として2003年産カルクオーフェンや2002年ライタープファードを比べる。前者は酸の弱い大味なヴィンテージを反映して尚且つ恐らく瓶が開いてから時間も経っているようで完全に逝って仕舞っていた。後者はその独特の土壌がキャラメル味を醸し出していたが、とても続けて飲めるような代物ではなかった。

その点、1999年産のランゲンモルゲンは素晴らしい。まだまだ酸味が利いていて尚且つ巧く熟成しているのである。即購入したのがこの二ユーロである。そして家で開けても明くる日もちっとも衰えないのを確認する。ただ感じたのは、恐らく十年前のシュペートレーゼ(アルコール12.5%)は今のピリュミエクリュ(アルコール13.5%)ほど収穫量を落としていなかった様子で、現在のそれの逆に熟れた甘露風味の凝縮感はない。そしてこれを書きながら比較のために開けた2007年産は、開けるや否や所謂白檀系の最高級のフランス製香水の香りが一面に放ち出すのである。こんなのは初めてである。恐るべきワインである。

さて最後に試したのが、1999年のレッヒベッヒャルであり、これは流石に古くは感じなかったが、新しいとき同様感心はしなかった。

さて、ここまで来れば、お奨めは2007年ゲリュンペル、カルクオーフェン、そしてホーヘンモルゲン、さらに2001年のそれという土壌としても多彩な選出となった。最後のそれは十分に高価であり、自らが試していないので気にはなったが十分に価値があったと言うことで羨ましく思っている。

そうした腹いせもあり、今晩はランゲンモルゲンの醍醐味を味わっているのだ。古い旧家の床の間のある部屋や箪笥階段の横に居座って昔話を聞いているような落ち着いた気持ちになるこのリースリングは本当に素晴らしい。決して、ホーヘンモルゲンのようなグラマラスな体躯ではないが、それでいて結構そこかしこの美しい曲線に魅了される。一人でちびちびと味わいたいリースリングなのである。恐らく、この醸造所一旨味のあるワインに違いない。



参照:
試飲百景我慢し切れない美味さ? 2009-03-03 | 試飲百景
放言、よー、観てみよー 2009-01-05 | ワイン
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地質学的説明のルート解説

2009-03-05 | アウトドーア・環境
先週は忙しく出かけられなかった。僅かの時間を利用して岩場を見に行った。結局仲間とは会うことは出来なかったが、二箇所の岩場を殆ど半年振りに覗いてきた。

天気は悪くなく温度もそこそこ上がっているのだが、やはり乾きが悪く、まだ本格的なシーズンとは言えない。

冬の間に、地方自治体が石切り場の地質学的な説明の看板を設置していて、これはなかなか素晴らしいと思った。

もうすこし勉強してみよう。



参照:
クライマーのための地質学 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若いとは不均衡の能動性

2009-03-04 | アウトドーア・環境
喉を閏わし素晴らしいアペリティフに舌鼓を打ったころで、散策へと出かける。冷えたワインにシュヴァールテンマーゲンのピクニックが愉しみだ。

グラインヒューベルからラインヘーレの方へと上がり、向こうの尾根筋にライタープファードの地所を見る。手前に対峙するお碗の中にあるパラディースガルテンからランゲンモルゲンへと伸びる斜面は、最もたおやかで堂々としたプファルツ耕作地の斜面の一つである。

午前中の霧も晴れて、幾らか霞みの掛かったダイデスハイムの町からつき出る塔が春の陽を受けて美しい。予定されていたような強い陽射しではないが歩くには丁度良い。

斜面の中腹から尾根筋へと登るようにキーセルベルクの上端へと出る。そこから向きを戻すように再び町の方へと広い尾根を降りて行くと、ホーヘンモルゲンの頭に突き当たる。更にその尾根を越えるような次の谷へと降りて行くと、正面にはフォルストの斜面が臨まれ、谷間にはモイスヘーレが細く足元に伸びて、向こう側へとヘアゴットザッカーの斜面がゆっくりと上って行くのが見える。

谷を少し降りるとそこはカルクオーフェンの土壌である。足元に石灰を見つけながら、そこでピクニックとする。思いのほか気温が上がらなく、吹かれる風上は寒く、残念ながらワインは十分に開かなかった。先ほど試飲したアイスヴァインを中心に時間軸による減衰や伸びや切れの話となる。

結局、プファルツのリースリングは比較的長い時間差のなかで色々とバランスを取っているのではないかとの考えが浮かぶ。要するにそれに反して、熟成感が出るまでは切れの良いのがラインガウの土壌でありリースリングである。フォンブールのグーツヴァインは、舌の先端と後ろの感じるところの味覚でバランスを取っていて真ん中ほどの旨味がないとする意見も真実である。それをスマートで現代風と呼ぶかどうかは別として、そうした味覚の差を時間軸におくかどうかの疑問も生まれる。

流石に音響の専門家としての感覚の捉え方はこれまたワインの味覚にも役立つ分析方法に違いない。それにしても若いというのは、そもそもそうしたアンバランスの面白さやダイナミック感ではないかと改めて思うのである。

系年変化による耳の老化の自覚の仕方なども、そうした経験智が物言うとすると、なるほどワインもその系年変化をバランスの変化としてじっくりと追う必要を再認識するのであった。



参照:
味わい深い葡萄の樽 2008-10-14 | 試飲百景
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我慢し切れない美味さ?

2009-03-03 | 試飲百景
幾らかは地元の景気に貢献出来たろうか?少なくとも日本から訪れたワイン愛好家に、現在のドイツリースリングの頂を僅かながらでも垣間見て頂けたろうと自負する。

予定通りフォン・バッサーマン・ヨルダン醸造所に参上する。先ずは小手調べに2008年産グーツリースリングを試飲する。新鮮さはあるがかなり硬い印象で今飲むには一寸つらい。もう二週間ほどすればまた印象は違うだろう。

内心、思っていた通りこれならピクニックに用意しているフォン・ブール醸造所のそれに勝ち目があるわいなとほくそ笑む。

これに続いて、グランクリュへ昇る階段として2007年産キーセルベルクを出して貰う。なかなか良いのだが、新鮮なときを知っている者としては酸が薄らいだ分、物足りない。それでもなかなか飲める。しかし、態々日本へ持ち買えるものとしては今やお奨めはしない。まだまだこれからも可能性のあるワインとして2007年産グラインヒューベル辛口を奨めるが、これは、初めにあった残糖感が益々消えて素晴らしくミネラル風味が澄んで来ていて、改めて感心する。

そして醸造所の地所の地図が手渡される頃には佳境へと入るのである。

さて四本目から六本目へと2007年産のグランクリュのホーヘンモルゲン、ペッヒシュタイン、イェズイーテンガルテンと三つのグラスを並べて貰う。この時期に再び試飲が出来るのはなんたる喜びか?僅か購入したのは二本なのだが、完全に一本分ぐらいは試飲でご相伴させてもらった。

「これは美味い」との反応がホーヘンモルゲンに上がるのに比較して、ペッヒシュタインには沈黙が流れる。やはり玄武岩のリースリングの瓶熟成が分からないと、あの開いたときの素晴らしさは全く想像できないのが当然である。

それに対してイェズイーテンガルテンは独特の重厚さと分厚さに印象付けられたようで、なにも栗入りのザウマーゲンでなくても焼肉やスキヤキにいけるという事になった。

ペッヒシュタインは午後に行くビュルックリン・ヴォルフ醸造所の方で堪能して貰おうと思い、ホーヘンモルゲンがやはり飲み頃も比較的早い事からお奨め品と予想通りの結果である。

そしてヴァイスブルグンダーの清澄さに声が上がり、反面ソーヴィニオンブランでは若干引けをとる。そうこうしていてもカウンターに飾ってあるアイスヴァインが気になって仕方ない。ムスカテラー種である。最新のご案内の文章の内容と混同して、収穫場所などを漏らしながら試飲の可能性を訊ねると、「私は二週間に一度しか来ていないから、開いているのがあるかしら」と探してくれる。

飲むや否やその後味の切れの良さと粘度の低さに、「これは飲めるわい」と満悦する。価格もハーフで39ユーロと比較的安く、同じようにお客さんも満足されたようで、これもお奨めする。

「美味くて、待ち切れない」と言うので、「二三年は待つのだぞ」と念を押しつつ、ホーヘンモルゲンを二本購入したのはかなり賢い判断と感心するのである。

「この人、中川さんって言う大臣ではないですから、大丈夫」と飲み残しのアイスヴァインを賑やかに飲み干し、いよいよピクニックに出かける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライム香の清涼感と黒胡椒

2009-03-02 | 試飲百景
お客さんを迎えるためにワインを購入する。フォン・ブール醸造所での試飲には興味がないと言われると、そこは生来の天邪鬼で判官贔屓したくなるのである。

その意味することは本人に訊ねてみないと判らないが、やはり二十年来の低迷がこの名門醸造所のイメージを甚だしく落としているのだろうと想像する。とは言いながら、過去の栄光のそのワインを体験したことはないので好い加減なものである。それでも過去から引き継ぐその土壌の良さからすると明らかに潜在力はドイツでトップクラスの醸造所であるに違いない。特に土壌を活かすワインつくりへとまたバイオ農業へと突き進むドイツ高級ワイン業界にとっては、ここのワインがトップでなければ困るのである。

実際のここ数年の成果を2008年度のリースリングに確かめたいのである。何のことはないまだ試飲していないグーツリースリングと呼ばれる協会VDPのなかで最も基本となるカテゴリーの2008年産ワインに舌鼓を打つ。

こちらも熱心なのでご酔狂のお客さんの意見はやはり醸造所にとっても大切である。

「なかなか良いじゃないですか」、「これはまたエレガントですね」

産地の場所を聞くとルッパーツブルクも挙がっていたから、雹被害にあった場所のものも入っているのだろう。基本的にはヘアゴットザッカーからウンゲホイヤー辺りだから、最初の内に摘み取っていたあの葡萄かと納得である。

「新カテゴリーで、何処の醸造所も苦労して造っていることは知ってますが、実際にはまだまだ醸造所の看板となるようなもの殆どないですよね」

要するにグーツリースリングとして十分に顔になるワインである。価格の8.50は決して安くはないのだが、この価格の中でこれほどエレガントなものは少ないだろう。

「日本の市場では新鮮なワインも知られていなければ、かといって飲み頃の熟成したワインもなかなか知られていないからね」と「これならピクニックのシュヴァールテンマーゲンに最高だ」と食事の相性まで指定する。

次ぎは「半辛口だけど実際は辛口の個性があるです」とキャビネットのユリアを勧められる。おかしな名前のついているのはこれまた悪い印象しか持っていないのだが、思ったほど悪くはない。

「ほら寿司に合うでしょ」とこちらの反応をみるので、

「いやー、私には辛口の方がさらっとして良いけど、まあね、これは丁度ラインガウなどではクラシックとか呼ぶタイプだね。しかしどうしてこれだけキャビネットなの」と訊ねると、

「どうしても甘口になると、気にする人がいるから」と

「なるほど糖の添加とかね」

とは言いながらアルコールの増強のためのモーゼルでは伝統的な辛口のためアルコール増加の補糖のことは言い忘れた。

大変面倒なお客さんである。

しかし、こうして良い状態でそれなりのものを迎えるお客さんに試してもらえることは大変喜ばしい。ライム系の酸で黒胡椒香が極弱くある。微かに感じる苦味はライムのそれだから寧ろ清涼感である。大変秀逸な辛口である。但し若ければなのだろうが。さて、色も素晴らしくどんな感想が聞けるか愉しみである。

「頑張って、売り込んでよ」と別れ際にお声が掛かる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする