大統領辞職の記事を読んだ。なかなか興味深い。大統領府の役人が、二期目の最近になって、孤立した状態になって、以前のように率直な行動をしなくなって「漸く政治家らしくなっていた」とコメントするのはとても面白い。そして、辞任劇の契機となった聖霊降臨祭前の上海万博の帰り、極秘にアフガニスタンを慰問した経過とその帰路軍用機の中で同行記者に語ったインタヴューへの経過を読むとまた面白い。
その発言内容は繰り返さないが、2005年度に出された白書にある内容を踏まえた発言であって、その古い内容を繰り返しただけに過ぎない。要するに「戦争の出来る普通の国」へと歩み出そうとしていた連邦共和国の立場を公式に文書化したものを今敢えて語った状況が興味深いのである。
軍用機のエアバスには同行の記者団が乗っていて、ノヴォシビルスクではなくウズベキスタンのテルメスへと向うと機内放送があった。安全上の配慮であるのはいつものことであるが、そこから乗り換えて同行出来たのは特別にアフガニスタンのヴィザを持っていた記者団だけであった。そして、Isafの駐屯する北部のマツァ・イ・シャリフにドイツ国防軍のキャンプに約二時間ほど滞在して、先ずは隊長の報告を受け、短く挨拶をしたあとフリートークで慰問しようとしたようだが、その結果があまり上手く行かなかったようである。その気まずさを抱えたまま、再び空路テルメスへと戻り、それから本国へとの帰路の途中でインタヴューを受けたとある。
魔がさしたと言えるような時間の流れであるが、そうは思わない。まるでジーメンスがインダクションクッキングなどを展示して、巾を利かす上海でその状況を確認して、中共との経済関係を確認しながら、そして国防軍の状況を目の辺りにして、非常に感じ易いこの人物が全く素朴な反応をしたに過ぎないのである。
そうした素朴さが、法案の数多い署名拒否の態度に表れて、憲法判断を仰ぐことによって自らの判断を回避するという姿勢となって表れたとしても良いかも知れ無い。当然のことながらそうした素朴な躊躇は一般国民には必ずしも否定的には映らないのであるが、そうした高度な問題を国会でも処理出来なく尚且つ国民に投げ返すというのも問題なのである。連邦共和国大統領はそれを決断して実行に移す政治力は持ち合わせていないが、少なくとも必要なときには判断を提示する知的な役割を担っている。
新聞にはローマン・ヘルツォーグ元大統領の「次ぎのようなことが考えられる。国が紛争状態となったときには連邦大統領は憲法に従って国民の決起を促すことも出来る。」の言葉を挙げ、今回辞任した大統領とは比べる術もないと、その素養や教育・教養の違いを示唆している。
それにしても、この典型的なキャリアー人生を歩みあまりにもまとも過ぎる大統領は、自らの国防軍が置かれている状況を目の当たりにして、一瞬なりとも「石油のための血」議論を巻き起こそうと思ったのであろうか?それともそれを自らの中で沈静化させるために、自らの信条に反してでも「貿易国ドイツ」をまるで中共で日本軍を相手に戦うかのように高らかに謳いあげてみたかったのだろうか?どちらも既に陳腐化した議論であり結論など出ないと、小狡い国民は百も承知で傍観しているだけなのであるが、大統領ともなるとそうもいかなかったということなのである。自らの引揚者としての幼少体験から、見捨てられる家族に共感以上の心理的なものを擁いたとしても決して不思議では無い。
参照:
Kein Ersatzkaiser, kein Unterschriftenautomat, Reinhard Müller,
Eine erste und letzte Dienstreise nach Afghanistan, Stephan Löwenstein, FAZ vom 1.7.2010
独社会を写す大統領の嫌気 2010-06-01 | 歴史・時事
安全に保護される人質 2007-07-30 | 歴史・時事
右の耳が痒いから 2005-04-23 | 歴史・時事
その発言内容は繰り返さないが、2005年度に出された白書にある内容を踏まえた発言であって、その古い内容を繰り返しただけに過ぎない。要するに「戦争の出来る普通の国」へと歩み出そうとしていた連邦共和国の立場を公式に文書化したものを今敢えて語った状況が興味深いのである。
軍用機のエアバスには同行の記者団が乗っていて、ノヴォシビルスクではなくウズベキスタンのテルメスへと向うと機内放送があった。安全上の配慮であるのはいつものことであるが、そこから乗り換えて同行出来たのは特別にアフガニスタンのヴィザを持っていた記者団だけであった。そして、Isafの駐屯する北部のマツァ・イ・シャリフにドイツ国防軍のキャンプに約二時間ほど滞在して、先ずは隊長の報告を受け、短く挨拶をしたあとフリートークで慰問しようとしたようだが、その結果があまり上手く行かなかったようである。その気まずさを抱えたまま、再び空路テルメスへと戻り、それから本国へとの帰路の途中でインタヴューを受けたとある。
魔がさしたと言えるような時間の流れであるが、そうは思わない。まるでジーメンスがインダクションクッキングなどを展示して、巾を利かす上海でその状況を確認して、中共との経済関係を確認しながら、そして国防軍の状況を目の辺りにして、非常に感じ易いこの人物が全く素朴な反応をしたに過ぎないのである。
そうした素朴さが、法案の数多い署名拒否の態度に表れて、憲法判断を仰ぐことによって自らの判断を回避するという姿勢となって表れたとしても良いかも知れ無い。当然のことながらそうした素朴な躊躇は一般国民には必ずしも否定的には映らないのであるが、そうした高度な問題を国会でも処理出来なく尚且つ国民に投げ返すというのも問題なのである。連邦共和国大統領はそれを決断して実行に移す政治力は持ち合わせていないが、少なくとも必要なときには判断を提示する知的な役割を担っている。
新聞にはローマン・ヘルツォーグ元大統領の「次ぎのようなことが考えられる。国が紛争状態となったときには連邦大統領は憲法に従って国民の決起を促すことも出来る。」の言葉を挙げ、今回辞任した大統領とは比べる術もないと、その素養や教育・教養の違いを示唆している。
それにしても、この典型的なキャリアー人生を歩みあまりにもまとも過ぎる大統領は、自らの国防軍が置かれている状況を目の当たりにして、一瞬なりとも「石油のための血」議論を巻き起こそうと思ったのであろうか?それともそれを自らの中で沈静化させるために、自らの信条に反してでも「貿易国ドイツ」をまるで中共で日本軍を相手に戦うかのように高らかに謳いあげてみたかったのだろうか?どちらも既に陳腐化した議論であり結論など出ないと、小狡い国民は百も承知で傍観しているだけなのであるが、大統領ともなるとそうもいかなかったということなのである。自らの引揚者としての幼少体験から、見捨てられる家族に共感以上の心理的なものを擁いたとしても決して不思議では無い。
参照:
Kein Ersatzkaiser, kein Unterschriftenautomat, Reinhard Müller,
Eine erste und letzte Dienstreise nach Afghanistan, Stephan Löwenstein, FAZ vom 1.7.2010
独社会を写す大統領の嫌気 2010-06-01 | 歴史・時事
安全に保護される人質 2007-07-30 | 歴史・時事
右の耳が痒いから 2005-04-23 | 歴史・時事