Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

黄金の十月の美しい残照

2011-10-16 | アウトドーア・環境
南プファルツで最も大きな独立峰アッセルシュタインに立った。55メートルほどの高さであるが、完全な独立峰なので、その上に立ったことがあるかどうかが問題なのである。

クラシックの一般ルートは全然難しい訳ではないが、この地域の特徴でハーケンは確保地点にしかなく、途中の支点を楔などで自分で作っていかねければいけない。なので、意外に死亡者数なども多いと聞く。

一部ヴァリエーションを登ったが、1970年代中盤からその後十年間ほどにこの地域で初登攀を繰り返した五十七歳のヴェテランとザイルを組み導く光栄に恵まれた。

来年はもう一つ難しいルートで、夏のシーズンの終わりを飾りたいと思うのである。雲一つない晴天の中を長袖のフリースで汗一つなく登る楽しさは格別で、来年は頂上へと飲み代を引っ張り上げて乾杯といきたいものである。

そのようなシーンが、クリント・イーストウッド監督主演のアイガーサンクションにあったのを思い起こした。


本日の天気:最低気温摂氏三度、最高気温摂氏十度、日照時間九時間。
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古典的17時50分問題

2011-10-15 | 文化一般
ケプラーの月旅行の本を読み始める。とても面白い。こうした古典的な著書でラテン語で書いてあるものでも、ドイツ語に上手に訳されているとまるでそこにケプラーが居て語っているような趣がするのである。魔女裁判にかかったと言われる母親のことをこの大物科学者が知識の源として尊敬する母親として語るとなると、その魔女裁判もさもありなんと思わせるシュヴァーベンの目から鼻に抜けるような聡明を超えた非常に知的程度の高い女性を想起させる。現在の視点から見ても、一体そうした教育や環境がどのようなものだったかと考えると更なる頁に興味が尽きない。

そのようなことからすれば福一の17時50分問題はそれほど複雑なものとも思われないのであるが、実証となるとなかなか時間が掛かりそうである。なによりも数時間後にNHKなどでも短く伝えられた建屋での放射線量の急上昇やその後の注水時の不思議は、圧力容器への配管の損傷で説明がつくと言うのである。

要するに、地震で老朽化していた施設の一部が損傷していた可能性を東電や政府などが隠し続ける理由は、再稼動への耐震基準への影響が多いからと思われる。今回の地震はその津波によって特長つけられる以上に、長い時間にわたって振動し続けた巨大地震の性質とも言われている。長い配管などが巨大な格納容器などに設置されていると、どうしても波長の長い基本振動で、丁度高層ビルのようにゆっさゆっさと大きなゆれを齎す共振が発生したに違いない。そうなれば、何十センチにも及ぶズレを蛇腹で吸収できるような機構になっているとは考えられない。

興味深いのは圧力容器の蓋が上に押し上げられて逃がし弁となっていると言うことである。その幾つも円形の縁に並んでいるばねで支えられている構造を想像してみるのだが、浮かすことは問題がなくとそれが何度も圧力鍋のように圧抜きになって、圧力鍋の圧抜きのようにシュシューと音を立てて何度もそれが繰り返されるような情景は思い浮かばない。上から重量だけで蓋が乗っている訳では機密性も無いだろうから、どのような合わせになっているのだろう?

引き続き連邦共和国の再生可能エネルギー推進法案の技術的詳細について懲りない質問に説明を繰り返している。謂わば、エンジニアリングとは自然科学ではないという面も本人たちが納得できるように教育しなければいけないだろう。そうした学術を取り巻く環境を理解できない者に限って学術を主張するのが常である。なるほど規制値などは学術的な根拠がある。しかしその学術と言うのは必ずしも自然科学や工学の数学的な解析に限らないのである。なるほど政治も社会科学も市場心理も全て学術的分析が可能である。そもそも現代の数学的確率論や分析自体がそうした環境を取り込むこと無しに成立しない。



参照:
Johannes Kepler: Der Traum, oder: Mond Astronomie
甚だしい科学的無知蒙昧 2011-08-18 | アウトドーア・環境
To be or not to be - のT.B. 2010-12-07 | 文化一般
忙しい時はいやに忙しい 2008-11-15 | 生活
議論を喚び起す試算の公表 2011-08-26 | 文化一般
再生可能な文化的社会 2011-10-12 | マスメディア批評
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落ち着いた環境の知能ゲーム

2011-10-15 | アウトドーア・環境
腰痛が大分改善された。久しぶりにパンを取りに行く序に二十五分ほど走った。登りはいつもの十三分で、1900歩ほどである。最後の登りに力が入ったが記録は伸びなかったが、初めて十一分過ぎにスパートが出来た。

最初の坂で膝が上がるようになって快適だったので、中間部でペースを落としたのである。暫く走っていなかったので足の筋力がほぐれたのだろうか?疲れが取れたようである。中間部でもう少し加速できるようになると記録が伸びるかもしれない。

なによりも気温が摂氏二桁へと至らない温度になって、汗の掻き方も少なくなってきて、体を動かすには良い季節になってきている。腰が痛いよりも、足の筋肉の疲れの方がぐっすりと眠れて好ましい。

明けて本日は石切り場で少しだけ頑張った。春には誤魔化していた場所も完璧に登ろうと苦労すれば制覇できるようになってきた。明らかに困難度で一年前よりも一クラス上がしっかりと登れるようになった。

筋力だけでなく、技術的洗練も全て足腰などの基礎体力が土台にある。秋の晴れ間に静かに、緻密に体を動かしても、もはや摂氏十度を割る気候で長袖でも汗が噴出すことはなくなった。走るのと同じで体さえ温まっていればスポーツ能力を存分に引き出すことも出来て、落ち着いた環境の中で尚且つ体を使った知能ゲームが楽しめる。



参照:
不平等には不払いの薦め 2011-10-10 | 歴史・時事
腰痛に、その原因を想いながら 2011-03-06 | 雑感
只管上へ上へと攀じる日々 2011-09-25 | アウトドーア・環境
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同じ穴の狢を炙り出せ

2011-10-14 | 雑感
統合記者会見をみた。先日死亡した下請け作業員の死因についての質問が集中した。なぜか政府の対応は、東電と同じ立場に立つもので、その事情説明をする政務次官が買収されているのではないかとの疑問を与えたぐらいである。同じような答弁を六時間近くも繰り返したのであった。

労災死かどうかの認定が明確でないというのなら、福一構内もしくはそれに準ずる死亡事故は全て労災認定すべきである。今回で三例目の死者を出しておきながら、未だに東電本社などにがさ入れが入らないのは異常であり、多くの警察官僚を再就職させている効果を発揮しているとしか思われない。

遺体解剖も行われず、一義的に監督官庁が東電の説明を鵜呑みにしている背景には、孫受けなどとの不当労働契約がそこに存在していて、こうした事故が起こったときは手厚い処置をすることで全てを示談で終わらせる策を講じているからだろう。そのあたりまでを独第二放送が取材をしていれば価値があるのだが、現時点では疑いが強いとしかいえない。

そしてそうした事情を知っているからこそ、遺族が手厚いお見舞金で了承するかどうかを、喪が開けるまで政府は東電からの報告を待つというのであろう。まるで、山口組の本部と二次団体の手下の扱いと酷似しており、暴力団規正法を施行するぐらいならば政府規制法を施行しなければいけない。

こうした遣り口は、日本の保守系政治団体の遣り口と思われていたのだが、結局は自民党であれ民主党でも同じ穴の狢としか思われない。それどころかである、園田康博という政治家は、福一から工場廃水を取り寄せて飲んでみせると啖呵を切るのである。

カイワレを貪り、トマトやイチゴに齧り付く馬鹿面にも驚かされたが、いよいよ工場廃水まで取り寄せて飲む政治家が現れた。幾ら日本民族の知能程度が低いと言っても、こんな政治家を代表とする民族はどうしたものだろう。自民党政治家は土下座を厭わないというが、政治家の義務というのを連中は明らかに取り違えているようである。

市民に率先して、健康を害する行いをするだけでも、明らかに罪なのである。



参照:
【原発作業員死亡】 東電の情報隠しに手を貸す園田政務官の無能ぶり (田中龍作ジャーナル)
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
無知で偽善な社会的大罪 2011-09-09 | 雑感
弾劾すべき官僚らのサボり 2011-08-30 | 歴史・時事
もやしと呼ばれるカイワレ大根 2011-06-06 | 生活
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点在する首都圏の熱いスポット

2011-10-13 | アウトドーア・環境
世田谷で強い汚染が見つかったと言う。MOX燃料三号機由来の三月十四日に飛んだプルームが雨によって降下・吸着したとするならば、三月十六日午後一時過ぎの降雨によるよるものと考えられる。横浜で見つかったストロンチウムの蓄積と同じ経過を辿ったものではないか?それとも三月二十二日の雨で一気に地上へと降下したのだろうか?いづれにしてもこの二回の首都圏の降雨は本格的な健康被害を齎すような「黒い雨」であったことは間違いない ― 特に十六日には首都圏で交通規制は行われていたが外出禁止令は出ておらず、個人的に友人にはそれを強く推奨した。

ストロンチウムやプルトニウムは飛び難いとされ横浜で見つかったことが話題となっているが、チェルノブイリ事故のときはセシウムと同じように二千キロメートルは離れたバイエルン地方でもストロンチウム90も平米当たり200Bq降下したとして過去の核実験分も含めると蓄積は2500Bqにのぼる。なるほど、自然界に存在するカリウム40が魚などの食料品に与える放射能と比べると少ないかもしれないが、骨に残存したりして健康への影響は大きい。

横浜での蓄積量はキロ当たり195Bqとのことで、僅か二百キロほどの距離なので当然の結果かもしれない。もし上の推測のように同じ雨で降下したとするならばその雨域全体に同じような強いホットスポットが点在していると言うことになる。

除染してもその放射能の強さから明らかに居住には適さない地域が点在して発見されるとなるならば、その民事的な補償処置だけで、東電などは経営破綻するだろう。



参照:
2011年3月11日~25日の福島第一原発周辺の気象(雨雲)レーダー(広域) (Asanobu KITAMOTO, National Institute of Informatics)
東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の移流拡散について (気象研究所企画室)
遅過ぎた自主避難などない 2011-10-04 | 雑感
引き継がれるとても重い遺産 2011-09-14 | マスメディア批評
脱東京、脱原発、脱近代 2011-03-16 | アウトドーア・環境
輪番停電という外出禁止令演習 2011-03-13 | マスメディア批評
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再生可能な文化的社会

2011-10-12 | マスメディア批評
世界屈指の企業の開発担当部署から質問を受けた。連邦共和国の再生可能エネルギー推進法についての詳細に関してである。所謂レギュレーションに関する問い合わせである。

エンジニアリング関係者なら敢えて繰り返すまでもないが、どのようにレギュレーションが設定されているかなどを考えるだけでよいのである。要するに数値的な設定などは後付けでしかない。実はそうしたこともNOx値を扱っているエンジニアーから習ったことであるが、消費者や市場はそのようなことを考えることもあまりないので、規制値とか標準値をそうした値と悪戦苦闘する現場の人間よりも真面目にそうしたデジタルな情報として受け取るのである。

今回の問い合わせの件も、今後の技術発展と共に市場の動向などを見ながら巧妙に設置されているもので、そこでのエンジニアリングにおける奮闘への期待を立法の精神としているのが見て取れる。それだけ、技術の発展や市場での自由競争を文化経済の活力として活かすためには、立法もしくは政治が重要であると言うことでもある。将来を左右する分野であるからこそ、EUが世界に率先して物事を進める原動力となっていて、それがEUの基本理念となっていると言っても過言ではなかろう。

しかし今回の問い合わせでより以上に感じたのは、こうした隔された構造とも思われる世界のシステムが、市場でのエンドユーザーである一般消費者にとって、そうした問い合わせをした世界的な開発部門のエンジニアーよりも技術的に逐一熟知されているような状況である。つまり、消費者保護やその他の技術的なアナログな解説や紹介によって、巷の消費者である連邦共和国のおばさん達の方が、例えば極東の専門家よりもそのシステムの内情を知っていると言う現実である。

ここまで進むといろいろと思い浮かぶだろう。消費者教育と言う言葉が存在するかどうか知らないが、その意味は情報の透明性と伝達でしかなく、専門家と呼ばれる層やジャーナリズムがこうした世界のシステムを如何に皆に解き明かして見せるかでしかないのである。そもそも基準値とかそれから星二つとかは目安でしかなくて、そうした「目安」の裏側に隠されている状況をもそっくりと消費者が知ることで初めて成熟した市場や社会が発生するのである。その基本には自由な発言や議論の出来る社会が欠かせないのは言うまでもない。自由な市場や社会とは、そうした規制当局と市民の情報の共有が存在することが前提となる ― そこにロビー活動への視線も欠かせない。

今回の質問の内容の核心には、実測値と表示値の相違があったのだが、表示された値はそもそもそのように提示されることが許されていて、決して不当表示とかそうしたものではないのである。またここで、極東の島国では、僅かな表示の相違を以って大きな稼ぎをしようとする偽装詐欺事件と言うのが頻発して、まさしく今も盛んにそれが繰り返されているのを思い浮かべるのである。もちろん表示やトレーサビリティーが市場の信頼性と正当な競争を保証することには間違いないが、少なくともここまで思考してくれば、必ずしもそれが必要十分条件ではないことは理解されるに違いない。それどころか、そうした「目安」が未成熟な市場においては不正競争の温床となっているのである。

まさしく、放射能の汚染値を巡って、安全とか安全ではないとか言うのも全く同じ現象であって、ジャーナリズムはそうした数字を超えたとか超えないとかを報道するのではなく、そうした基準値を取り巻く状況を透視的に広く伝達することで、たとえ環境が如何に汚されても健全な文化的な社会を護るのが使命であるべきなのだ。



参照:
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
点在する首都圏の熱いスポット 2011-10-13 | アウトドーア・環境
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日本社会の民主化に向けて

2011-10-11 | マスメディア批評
ZDFの「福島の労働者」と題する例のシリーズが話題となっている。劣悪で不法と思われる労働協約に関して、東電本社で「その内容に関知しない」と語らせる部分がハイライトであろう。恐らく請負を通じた労使関係として東電はそれを主張するのだろう。まるで三池炭鉱囚人労働者のような、もしくは足尾銅山事件のときのような時代と、今政府やテプコを取り巻く環境とは全く変わっていないかのようである。それをして、またジャーナリストや知識人の対応をして「日本の程度」を紹介している。この内容が真実でなければ外交問題であり、直ぐにベルリンの日本大使館を通じてZDFに抗議を入れるべきところであるが、そのような事実に全ての五感と思考を閉じるのが日本政府と官僚組織の311後の危機管理の基本であったのであり、それは今後とも変わらない。

そうした事象を、上のような扇動的な報道姿勢でなく、社会学的に日本の歴史として刻む日本学の専門家やその行動を伝えるのはSWRの文化派放送である。「素人の乱」などに見られる極一般の市民による反原発デモ行進などが数多く催されて、611、911と勢いを増して、広い市民層を行動へと駆り立てているにも拘らず、多くのマスメディアはそれを無視し続けるどころか、警察権力は広がりを恐れて抑圧しようとしていることを社会学的に大問題視している。これに関しても、当初から政府の踏襲している事件の矮小化と虚偽の報道並びに検閲・言論統制として、既に六月の時点でハイデルベルク大学のマックス・ヴェーバー研究所などを中心として分析が進んでおりその中間報告が発表されている。

その反面、例えば岩上氏のIWJの活動のようなネットを通しての事実報道が大きな役割を担っていて、社会変革への可能性を其処に見る向きも少なくない。外圧による近代化への道を歩んだ日本国であったが、国民運動からの真の民主化は未だに達成されていないとする観方は一般的ではなかろうか。三島教授を代表とするような多くの知識人の間では、今回の動きも一過性のものしか捉えられていないようであるが、手安く多くの情報を取捨選択できるような状況は今まで嘗て一度も無かったことであり、なんとかそうした火を消してはいけないと考えなければいけないのである。

なるほど、国政においては様々な障壁が立ちはだかっており、立法府を市民の手元に手繰り寄せるのは必ずしも容易ではない。しかし、ネットなどで見る限り、十分に人材もあり、活動も全国規模で盛んに行われているので、資金的な援助があれば必ず少なくない勢力を国会に送れるようになるのではなかろうか。日本の民主化はそこからが第一歩であり、現在のような許認可を受けたマスメディアや公共事業の寡占からは将来は全くないのである。

前述したSWRの番組で紹介されたフランクフルトの日本学課が先導するホームページがこうした事象を歴史的に記録するかのように纏めている。今後最も重要なのは、何も自由に語ることが出来ないと思われている知識人と称する者達が、自らの出版が差止められても、経済的な不利益を得ても、怯まずに正々堂々と意見をネットなどを通じて発信することでしかない。もしそれが出来ないと言うならば、いずれ無視できなくなるそれなりの責任を彼らは覚悟すべきである。



参照:
Arbeiter in Fukushima (ZDF)
Demonstrieren unerwünscht (ARD)
textinitiative-fukushima (UniFrankfurt)
Vortragsreihe 'Zäsur Fukushima. Zur atomaren Bedrohung der Gesellschaft' (Max-Weber-Institut)
岩上安身オフィシャルサイト (IWJ)
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境
二十五年前の市民の連帯 2011-08-13 | 歴史・時事
次に緑が来るまでになすこと 2010-11-05 | マスメディア批評
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自称ワイン皇太子の品定め

2011-10-10 | 
プファルツのワイン女王戴冠式があった。残念ながら知人は選ばれずに一年間プリンセスとして活躍する。そしてどの娘も愛するワインにリースリングを強調する者はいなかった。お里が知れるのである。如何に、リースリングがエリートの環境があるゆえにかである。

TV中継で受け応えやカメライメージを観ていれば、今回の選定に異論はない。ランダウのヌースドルフ出身の新女王は、カールスルーヘ大学でドイツ学を専攻していて、余暇のロッククライミング風景も紹介されていた。何処にでもいそうな自然な感じが好感に繋がったのだろう。

さてお目当ての彼女は最後に会ってから三年近くたっていて、あの当時感じたはっきりしない顔の感じなどの見せ方を作ってしまった分、なるほど魅せるようになったのかもしれないが、最も好ましかった初々しさが無くなってしまっていた。

彼女が皆とワインを飲むと言うときに、敢えて女友達と言わせるところに、彼女の問題などを感じてしまったのである。どちらかと言えば引っ込み思案気味の彼女が今回のような女王を目指すとは意外であったのだが、TV生中継録画を見て、その動機付けや意識が理解できたのである。

しかし、そうした動機付けが、その魅せ方と共にどこかぎこちなさを回りに思わせて、減点要素となったのである。それは、TV目線を意識するとか、応答の技をトレーニングするとかの専門的な指導で何とでもカヴァーできるのだが、やはり選ばれる女王はその当たりが天然に出来ると言うような相違があるのだろう。

その反面、当日の審査員の中には過去の女王やワイン業界関係者、代議士や政治家など多くの知人が含まれていて賑やかであったが、その過去の女王様の個人的なキャラクターを考えると、必ずしもラインラント・プファルツの保守党議会代表となったユリア・クルックナー女史のようなタイプだけでなく、現在孫がいるような歳になってもはにかみがちのおばあちゃんまでいるのである。それでも女王に選ばれた「威光」が窺えるのである。

摘み取りの終わったグランクリュを幾つか回った。そして、ソンマートリービと呼ばれる遅れて夏に実をつけた小さな葡萄の房が残されている。醸造所が所有権を放棄して鳥の餌として残されているものである。それでも、その葡萄を齧るとそれなりの地所や土壌の年度による特徴が現れているのである。所謂テロワールがそこからでも窺えるのだ。もちろん摘み取られた葡萄の味と比較していなければあまり各章に満ちたことはいえないのだが、ある程度は分るのである。

写真右下から時計回りに、イエズイーテンガルテン、キルヘンシュトュック、ウンゲホイヤー、ペッヒシュタインである。味筋は、健康の味、深みのある味、個性のある味、はにかみの味と出来上がりのリースリングを想起させる。特に今年は、南側向けの斜面で傷みが目に付いたが、流石にビュルクリン・ヴォルフは健康な葡萄を最後の最後に収穫した。ドイツで最も高価なグランクリュワイン、キルヘンシュトュックの出来の良さはこれで確認できたようなものである。その将来性をもである。



参照:
Anna Hochdörffer ist neue Pfälzer Weinkönigin (SWR)
あの時の気立ての良い娘 2011-09-02 | 女
コマンタレヴー, Mme? 2005-10-11 | 雑感
新極右翼親仁に学ぶこと 2009-01-26 | マスメディア批評
雷雨が来る前に片付けろ 2009-09-21 | ワイン
会長私設秘書としてのお役目 2010-12-02 | 試飲百景
福島から明日が変ってくる 2011-03-27 | 歴史・時事
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不平等には不払いの薦め

2011-10-10 | 歴史・時事
このところの冷えで腰に来ている。だからパンを取りに行っても散歩が精々である。更に腕が病めてくると毎年ながらシーズンの終わりを感じさせる。冬の室内シーズンへの掛け渡しが難しいところである。

「日本の小歴史」を読んでいて、面白いと思った記述は明治維新後の国体と国粋主義の関係への言及で、それらを一線隔している。そのような状況は二十世紀当初世界的に見られた傾向であるとされて、特に日本では開国時の不平等条約から、西洋への憧憬に対称するものとしての国学への動きとして定義される。

実際には明治天皇の権威と権力の大日本帝国憲法内での裏づけと、プロシアのそれを模範とした帝国憲法での伊藤博文や帝大に招聘されていたヘルマン・レスラー教授のアドヴァイスなど、刻々とそれは第二次世界大戦の敗戦まで解釈に変異があったと特徴付けられる。

その下に、元老政治から官僚政治と政党政治と更に軍を交えての力関係の変化が生じた訳で、その意味から戦後の日本国憲法においても今日に至るまで見られるような独特な力関係を大日本帝国憲法統治下の初期からその萌芽を見てもおかしくはないのであろう。

先日、ネットが朝から不通になっていた。前日普通に終了していたので、当方側の問題はない筈だったが、苦情電話をすると懇切丁寧にいろいろとこちら側での処置をやらされるのである。そして途中で携帯電話に掛け直させたりして、その通話も途中で切れてから暫くして、回線が正常化したと連絡をよこすのである。最初からテレコム側の責任を認めようとしないのは、まさにテプコなどと同じで寡占企業のやり口である。最終的に数時間の料金を引いて貰いたいのだがどうなることか?

一時世界的に各種公共事業の民営化が話題となった。様々な弊害がそこにあったわけだが、世界中どのようなそうした公共事業も顧客対応に問題があり、使用者である一般国民は皆怒っているのである。要するに市場競争のないところには、顧客サーヴィスなどはなく、市場への自由な新規参入とそれへの資金的援助などが内産業部門はやはり駄目である。

ドイツのテレコムは、通話だけでなくてネットビジネスでも必ずしも寡占企業ではないのだが、スイスなどのそれと並んでやはり評判が悪い。あとから電話が掛かってきて、顧客サーヴィスへのアンケートをと言うのだが、正直それに付き合っている時間も根気もないのである。ああした悠長な態度がまさに寡占公共事業者の特徴である。少なくと東電など解体前に値上げすると言い出したら、国民全員が電気量の自動振り替えをキャンセルして不払い運動を始めるべきである。私自身一度トラブルのあった電話回線は銀行振り落としを止めて振り替え送金にしている。いつでも不払い運動を始めることが出来る準備である。



参照:
Kleine Geschichte Japans, Josef Kreiner, Reclam
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
狂人集団テプコの大罪 2011-09-10 | 歴史・時事
フモーアー満ち溢れた環境 2011-09-06 | 文化一般
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最後の四半期の落穂拾い

2011-10-09 | 
恒例の四半期毎のCD注文をした。四半期毎に自動車クラブの割引六ユーロを使うのである。今回は、送料無料週末に合わせたので、本は注文しなかった。書籍は先月、二冊購入したので、春に購入したラッツィンガー教授著「ナザレのイエス第二巻」と含めて年末年始まで読み物は十分ある。急に肌寒くなって、中北欧出身の者たちも先日までの残暑からの一気に冬への気温変化を流石に言及する。いよいよ、室内で過ごす時間が増える。引越しの季節である。夏の間は下の階にいたのだが、直にヒーターが必要になると屋根裏部屋に逃げ込むのである。全てエネルギー節約と快適な冬眠のためである。

さて、今回注文したCDは、先ずは安売りになっている地元出身のヒラリー・ハーン嬢演奏のシェーンベルクとシベリウスのヴァイオリンのための協奏曲集である。数年前に話題となった録音で、その評判から大変興味を持った制作である。ネット試聴するエサペッカ・サローネンの管弦楽は相変わらずであるが、ヴァイオリンの精妙な音色は確認できる。既に様々な録音があり、シェーンベルクの決定盤がなかなか定まらないのも、これだけの名曲でありながら、レパートリーとしている名ヴァイオリニストが少ないのもその一因だろう。予想通り比較的早く安売りになった。

これまで四半期毎に購入し続けていたバッハのカンタータシリーズもいよいよ三組目である。このヘレヴェーヘ監督の三枚組14ユーロのバッハシリーズもこれで五組目である。バッハのカンタータの録音を全部集めようとは思わないが、少なくとも宗教カンタータと呼ばれるものは嘗て考えていたよりも味わい深いものであることが環境としてひしひしと分るようになった。今回注文したものが、バスのとアルトのためのカンタータでこれがまた憎い。更にバッハと同時期のリューベックやハンブルクの作曲家のカンターターが同時収録されているとなると殊の外食指が動くのである。

さてこれでもまだ割引が効くまでの金額にはならないので、安売り商品を探しているとEMI録音やユニーヴァーサルの数多くのBOX商品が目に入る。その中でもブーレーズ監督のバルトーク集は一度買い物籠に入れた。「青髭」など様々な光り輝く管弦楽をシカゴの交響楽団が演奏していて、まさに投売りの感が強いが、しかしこの指揮者の録音としては必ずしもそうした出来の良さとはことなる旧録音にも棄てがたい価値があるものが多く、必ずしも旧録音のLPよりもデジタル新録音の方が価値が高いとは思われず、今回は断念した。

同じように小澤指揮のベルリンのフィルハーモニカーによるプロコフィエフ交響曲全集も安売りとなっているのだが、試し聴いてもどうも演奏の正確さ以上の制作の質の高さは感じられなかった。小澤氏のレパートリーの問題もあるのだろうが、氏の代表的な制作録音を挙げるのは意外に骨の折れる作業かもしれない。

EMIの方は古い代表的な録音が多い中で、モーツァルトのヴァイオリンとピアノのためのソナタ全集を見つけた。1990年ごろの録音で、先月こちらが度忘れして会をすっぽかしたヴァイオリニストペーター・ツィンマーマン活動初期の録音なのだろう。全く気に掛けていなかった制作であるが、意外にピアノのアレクサンダー・ロンキィッヒと精妙なアンサンブルをしていて予想外であった。蓋を十分に閉めた演奏であるが、なかなか丁寧な音楽を奏でるこのピアニストを知らなかった。グリューミオとハスキルのコンビの名録音と比較されるこの演奏であるが、現代的な楽器を使ったこうした演奏をキャリアーの早い時期に録音してしまっているのはなかなか賢いやり方である。なんと五枚組み9.99ユーロで、かなりこの天才作曲家の演奏とその音楽の核がこれで大分分ってしまうのだ。

これらに本当はヴォルフガンク・リーム作曲の曲集などもあったのだが、予てからウイッシュリストに入れ続けていたギィヨーム・ド・デュファイ作曲のミサ曲のアンドリュー・カークマン指揮のシリーズが安売りになっているのを見つけた。こうした機会に注文しておかないと、もはや購入することはない。ビンショワ・コンソートのこのシリーズの良いところは、その企画と選曲だけでなくその演奏と録音の明快さで、まるでMIDIで分析するようなリズムの分割が体感できるような録音となっている。必ずしもリファレンスとは言えないかもしれないが、曲や作曲家を知るには十分すぎるほどの制作である。ある意味、ブーレーズ指揮のストラヴィンスキー曲集に似ているかもしれない。

〆て割引を入れて約36ユーロで十一枚の最新録音のCDを注文した。若干予算をオーヴァーしたが、それはそれで仕方が無い。昨今は、CDよりもネット配信などの方が人気があるようだが、そもそも大きなデーターをPCなどで弄ることが煩わしく、デジタルの現場を知るにしたがって、嘗てのオーディオ趣味のようなものから完全に遠ざかってしまった。車中でももっぱらラジオで、電車などで通勤しているわけでもないので移動しながらの音楽などの習慣がない。仕事中のBGMはあまり気にならないので、結局環境に流しておくことは多くとも、環境を流しながら移動すると言うことはないのである。そのようなものくさからすれば、CDさまさまで、必要なときに棚から直ぐに取り出せるようなものがどうしても好ましいのである。



参照:
早くも秋の気配の夏休み 2011-07-22 | 暦
旬の音楽を格安で発注する 2011-03-06 | 生活
21の太陽王と9ユーロのゴロー 2010-12-03 | 生活
休肝日に音盤を物色する 2009-09-12 | 生活
手を出さずにおれない特典 2009-03-23 | 生活
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写真から気がつかなかった?

2011-10-08 | ワイン
承前)葡萄泥棒はまだ捕まっていない。

ワトソン君、実りの写真を見てなにか気づかないか?

その通り、葡萄の枝の下の方に同じ高さに綺麗に揃えて葡萄が下げられている。それとは違って、てんでばらばらと不景気に実っているのもあるね。後者の多くは幹が太くて古い以上に葡萄の収穫量を落としたグローセスゲヴェックスと呼ばれるワインで、全て手摘みで収穫するのだよ。そして鈴なりに実っている前者は機械摘みをするために準備されているのだ!

フォン・ヴィンニンク醸造所で高級とされたピノノワールはどのように準備されていたのだろう?そうなのだ。機械摘みで盗まれたということは少なくとも揃えられていて、収穫量もあまり落としていなかったということだろう。

ワトソン君、なにか臭わないか?一本三十―ユーロもとる高級ワインが機械摘みされたなんて。

なるほど、ヴィンニンク醸造所の新しい施設には大きな投資がなされたが、ワインの手入れは一向に進んでいないことは周知の事実である。明らかに高級ワインを収穫するには投資バランスが崩れている。あの規模の醸造所が収穫機を使っていてもおかしくはないのだが、高級志向と量志向の二股を掛けているようなので、そこにこの事件の真相があるかもしれないのだ。

リースリング種とは違って、シュペートブルグンダー種はあそこ、地所ヘアゴットザッカーではグローセスゲヴェックスとして認可されていない。要するに収穫量を落としていなくてもおかしくはないのだが、機械摘みであると枝葉が同時に刈り取られて後で取り除かれる必要があるだけでなく、痛んだ房も同時に収穫されてしまう。それを避けなければいけないのはリースリングと同じなのだが、赤ワインの場合は収穫後の選択も一般的に行われている。つまりそこで手で選択をしたものだけを良質の赤ワインとして醸造するのである。

ワトソン君、そこだよそこ。まだ床屋に行くには時間があるな。



参照:
Diebe im Herrgottsacker (FAZ)
葡萄泥棒も入りやすい家 2011-10-02 | ワイン
玄人もよく分っていないこと 2011-10-02 | ワイン
高級な持続可能な環境 2011-10-03 | ワイン
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森における途轍もない凝縮

2011-10-07 | アウトドーア・環境
神奈川・都内の航空機モニタリング調査結果をみた。結論からすると、予想よりもセシウムの沈着量が多い。チェルノブイリ時におけるバイエルン州の汚染状況と異なるのは、最初のヨウ素の汚染だけでなく、セシウムの分布の仕方が異なることであろうか。前者が高層にまき上げられたものが十倍もの距離彼方へと運ばれたものに対して、首都圏の場合はヨウ素の到来と同時に落ちてきたものなのだろう。

そのような理由でバイエルンの場合とは違って押しなべて広範囲に強い汚染があり、平均で一桁ほど高い汚染濃度だろうか。単純に計算すれば、十分一の距離であるから、二桁ほど高くてもおかしくはない筈で、今回は幸運が重なったといえるのかもしれない。

その中でも雨などでホットポイントが出来たと思われ、今回発見された奥多摩のホットポイントなどは細かく調べると、更に激しい汚染箇所があるのだろう ― ざっと計算すると平方当たり百万ベクレル以上まで凝縮している場所が見つかるだろう。その意味から、早川氏グループや市民グループ「放射能防御プロジェクト」による汚染地図の正当性と更なる抜け落ちが今回確認されたことになる。実際に、何らかの処置をしないでは居住してはいけないようなホットポイントが存在するということである。

それでも、茸や森のものなど味覚の秋とか言って、それらを食べようとしている日本人がいるかと思うととても恐ろしいのである。茸は、キロ当たりセシウム137で1000Bq以下のものがそのあたりの市場に存在するとは思われない。暫定基準などあってないようなものなのである。

マツタケなどの茸においては、今後二十年以上は採取禁止となるに違いない。途轍もないセシウムなどの凝縮は数年で一段落するが、茸や森の動物類に関しては二十年ほど先に再び濃度が凝縮して上がることが知られていて、ダイオキシンどころではない猛毒性を示すのではないだろうか。

東北から首都圏に関しての農作物は、少なくとも今年は全廃すべきで、乳製品などは混ぜて薄めて出荷するべきものではないのである。今年さえ乗り越えれば、長くても二三年のうちに多くの農業は正常化出来たのであるが、最初から毒性の強いものを出荷したことで、農家や漁業者はその罰を末永く甘んじなければいけないであろう。彼らは、汚れた農産物を東電本社にトラックで毎日のように大量に運び込み、社員並の身分保障を東電に求めるべきなのである。



参照:
文部科学省(米国エネルギー省との共同を含む)による航空機モニタリング結果 (文部科学省)
放射能汚染地図(三訂版)  (早川由紀夫の火山ブログ)
巻頭土壌汚染調査結果マップpdf (放射能防御プロジェクト)
Deutschlandkarten der Radioaktivität seit Tschernobyl (landkarten.de)
Was wo wie hoch immer noch belastet ist (BR-online)
毒は勝俣に呉れてやれ 2011-08-25 | マスメディア批評
東北・関東の農産品の廃棄 2011-08-11 | アウトドーア・環境
チェルノブイリ後の土壌汚染 2011-08-10 | 歴史・時事
食品による内部被曝の予想 2011-07-29 | 生活
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ネット情報による知能向上

2011-10-06 | 歴史・時事
久しぶりに統合記者会見を生で見た。福一での進展がないというよりも、色々と難しいところに来ているような印象を受けた。被害状況はもともと最初の数日間に分っていたこと以上のことはないのだが、政府はその事実を矮小化し続けたことで、被曝による被害の拡大を抑えることが出来なかったばかりでなく、このまま推移すると機能停止になる可能性も見えてきた。

現状認識から本来ならば緊急事態を過ぎて正常化へと最初の一歩を進めるどころか、例えば生活で自然に被曝する量を年間20mシーヴェルトまでごり押しに引き上げて、当初から不可能だった除染作業を誤魔化そうとも試みている。

先日もFAZが報じていた除染作業でのお手上げ状態から、今度はそれを前提とした帰宅へと工程を進めて、食料品等による内部被曝を含めて更なる被曝の増大を進めようとしている。

このように、後手後手でますます国民の信頼を失っていくような政府の施策は、政治家以上に事なかれ主義の高級官僚作成の工程表通りに違いないのであるが、その政治家の方も事なかれ主義の政権によって骨抜きにされていることを考えると、更なる大きな破滅が日本社会に起きることが十分に予想される。

統合会見でも話題になるような報道のあり方や情報の伝達を考えると、何十年も前から日本社会は破滅への道を歩んでいたのを再確認する。その反面、若い活動家の発言などを聞いていると、60年代のアカデミックな左翼のイデオロギーのオウム返しとは全く異なった自らの言葉での発言となっていて、如何に日本のアカデミズムがお話にならないものであったかを再発見するのである。

ハンガーストライキを挙行した彼らの記者会見を見ると、同じ年齢で全共闘の学生などが叫んでいたそれらに比べて、遥かに直接に世界の情勢を体現していていて、反グローバリズムを含めてのグローバルな意識を持ちえているかが分るのだ。到底、あの当時の一期校の学士達と同じ年齢の知能とは思えないほど頭脳が進んでいる。

そうした背景には、活字からそれも翻訳ものから入るような途轍もなく古い情報と、現在のネットにおけるインターナショナルな情報のその量とアクチュアルな質の差が、極東の島の若い頭脳を押し上げているとしか思われない。もはや、年寄りが口出しする場合ではない。そのようなノンアカデミックな若い日本人とは正反対にアカデミックな層は嘗て以上に能力もなく馬鹿になってきているのを認識できるだろう。



参照:
2011/10/06 東電・保安院・統合 会見アーカイブ
2011/09/21 将来を想うハンガーストライキ記者会見 (岩上安身オフィシャルサイト)
遅過ぎた自主避難などない 2011-10-04 | 雑感
動物実験される福島の子供 2011-10-01 | マスメディア批評
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プレゼントの見頃、飲み頃

2011-10-05 | 生活
先日、プレゼントにした鉢植えである。家のお披露目と誕生日を兼ねていたので、庭に植え替える鉢植えを探した。

幾つかのオリーヴやイチジクなどを交えて小さな花などを見せて貰ったが、あまりに小さくていくつも混ぜ合わせようかと思っていたら、大きめの鉢を見せてくれた。

学名でヴィブルヌウム・テーヌスと呼ばれ地中海雪達磨とも呼ばれるものである。大きくなっても膝下の高さにしかならないが、冬も花をつけるのがうれしい。価格も安く、月並みな植物でもあるが、そこに待降節の雪でも積もてくれると素晴らしい。

二つのお祝い事を兼ねていたので、ワインをつけた。ここ暫く、どのような人にでも楽しんでもらえるグランクリュ・リースリングである。未だに2007年産が同じ割引価格で入手できるルッパーツブルクのガイスボェールである。

この四年間のそれを比較すると、2010年産も素晴らしいが、2007年産は現時点では2009年産よりも素晴らしく、同じ価格なのでご進物に既に一ダース近く購入している。自分の家では二本ぐらいしか開けた覚えがないのだが、他所で八月末に飲んだときも満足した。最後に飲んだのは、オーナー直々のワイン試飲会の席上で、照会されて改めて飲んだ九月十日であった。

コリアンダーの香りが漂い、タイのカメムシ味のようで珍味である。しかしそれだからといって通向きではなくて、万人向きのとても繊細なリースリングなのである。あとどれぐらい、古びることがなく綺麗に熟成するかは分らないが、まだまだ飲み頃が続いているのである。



参照:
お誕生日祝いを考える 2011-09-27 | 女
トロピカルかパッションか 2011-09-23 | 試飲百景
茨の道の喜びの口づけと葡萄 2010-12-24 | 文化一般
万人だけでなく通をも唸らせる 2010-11-03 | 試飲百景
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遅過ぎた自主避難などない

2011-10-04 | 雑感
文部科学省の航空機モニタリングの結果が出揃ったようである。既に地上で測られていたホットスポット以上に新たな地域が加わったかどうかは知らないが、こうして俯瞰図でみると、気象予報のその通りの結果となっているであろう。風向きと降雨さえ抑えておけば、はじめからそのような激しい汚染地域は事前に予想されていたわけで、それに対応して避難や外出禁止などの処置を徹底できたのである。

このことは現在話題となっている自主避難の補償と当初からの枝野前官房長官の「自主避難の勧め」の意味合いを改めて検証させることになるであろう。

その自主避難の時期によって補償の線引きするとある。つまり、直後に避難した家族には補償が出て、それ以降の家族には補償が出ないという線引きである。なるほど被曝の最も大きな被害は最初の十日間ほどのヨウ素の内部被曝であるから、それを避けるために避難することは最も合理的な方法であり、政府によっても勧められたものであった。

それに比べてその後の避難に関しては、事実上時期遅しで、既に内部被曝した特に子供たちへのせめてものできることの事後策でしかないのである。しかし、そのような手遅れの処置しか出来なかったのは、政府やテプコ、マスメディアが情報が正しく伝えていなかったからに違いないのである。この点で、遅すぎた自主避難者は補償を断固として主張すべきである。

同様にホットスポットとして、居住には適しない千葉県や埼玉県の一部では自主避難が補償されるか、今後に関しては徹底した除染などの国の支援が必要になることは間違いないのである。

それに伴う関東東北圏で現われる、福島で見られるような十分の一となるような不動産価値の減少などは、東電に対して大々的に民事訴訟を起こすべきであろう。東電や電力会社は、発送電分割で全資産を売却して、こうした前代未聞の補償額を捻出する事故整理機関として生かすべきである。

余分に付け加えれば、こうした事実は全て最初の週末にドイツの公共放送で告知していた被害状況であるので、在日外国人や日本以外のマスメディアから直接もしくはこのBLOGなどにて間接に情報を得ていた者は無駄な被曝をしなかった。要するに日本のマスメディアにはNHKを含めてこうした被害の補償の責任もあるに違いない。



参照:
文部科学省による埼玉県及び千葉県の航空機モニタリングの測定結果
文部科学省航空機モニタリング行動計画 (文部科学省)
東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の移流拡散について (気象庁気象研究所)
動物実験される福島の子供 2011-10-01 | マスメディア批評
さようならは言わないで 2011-09-20 | アウトドーア・環境
コメント (2)
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