Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

高級な持続可能な環境

2011-10-03 | ワイン
承前)好天が続く中、腐りの危険を除去しながら、出来る限り葡萄を下げておく。それは一種の賭けなのかどうか?もちろん業務用に有料の天気予報は流されていて、降雨の前に摘み取ればよい。しかし、そこまですると何が違うのか?

ワインの味の深みとか酸の分解とかの熟成だけならば、最終的に消費者の都合で、そこまでのものを求めなくてよいのである。そうではないのである。絶対的な価値がこうして高まるのであるから、市場での売りやすさ以上に品質に拘る財政的な余裕があるからこそ出来るオーナーの判断なのである。

先ず、酸の分解が進んで経年変化に強いリースリングが出来上がる。これだけで、直ぐに市場で売り切れることがなくても末永く瓶の中で寝かしておくことで、素晴らしい熟成ワインを供給することが出来るのである。

2011年産の場合は、酸が2009年よりも効いていないということで、本当の意味で偉大なリースリングは期待できない。しかし生産量は、2008年などに匹敵するようになるようになるのではないだろうか。そのような時には、グランクリュは必ずしも急いで売り払う必要もないのであり、一年でも長持ちするようなワインとなると都合がよいのである。

そこでドイツで最大規模の私有のビュルクリン・ヴォルフ醸造所などは、早めに各々の葡萄を採取して、天然酵母として使えるように準備してあるというのである。そうすることで少々痛みが進んでも健康な葡萄からの健康な酵母で、その地所のワインが自然発酵で醸造できる準備が整っているというのである。

だから、若干下げてある葡萄に痛みが進んでも、それ以上に葡萄の熟成即ち酸の分解が進むことで、酸の量に如何によらず長持ちする深みのあるリースリングが醸造することが出来るのだ。

まさに、堂々巡りの話題となるのだが、リースリングに喉越しだけを求めて冷やし気味に飲んでばかりいると、ワインの本当の複雑さとか深みだとかも分らず、熟成したワインがどうしたものかも分らないのである。逆に、そうしたワインでないと、経年変化で新鮮さが薄れて、瓶で熟成させようと思っても全く上手に熟成しないのである。ドイツのリースリングがペトロール香の「加齢臭」が特徴だとか思っている向きは本物のグランクリュをまだ経験したことのない向きに違いない。

そうした相違に我々の地元が将来共によい持続的な環境を築けるワイン造がある。品質への拘りと一言に表してもその実は一つ一つの積み上げでしかなく、毎年毎年異なった課題への挑戦でしかない。(終わり)



参照:
久しぶりの六本木 (モーゼルだより)
ここでも効率から質への転換 2011-05-29 | 試飲百景
ヴァイル御一行様のご相伴 2010-10-01 | 試飲百景
気象温暖化の具体的な影響 2009-11-15 | アウトドーア・環境
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玄人もよく分っていないこと

2011-10-02 | ワイン
承前)繁々と実る葡萄からどんなワインが出来るのか?イエズイーテンガルテンの区画に涼しげにぶら下がる葡萄からはグランクリュリースリングが出来上がるのに対して、その健康さからこれまたそれなりのワインが出来る筈である。しかし、量を落としていないことでミネラル風味は少なく、葡萄ジュースの延長であるフルーティーな極一般的な土地のワインが出来上がる筈だ。ただしそうしたワインは腐りがなくても俗に言われる下品なリースリングとなりかねないほど、2011年の特徴を出した葡萄を反映させるには限度がある。

それでは、なぜ土壌だけでなく、その年の気象の特徴が出ないといけないのか?それは簡単である。自然の恵みである農作物であるからだ。それが必要ないならば、遺伝子工学を駆使して、化学工場の技術で毎年同じようにアメリカ大陸の所謂コーラワインを製品化すればよいのである。欧州はそれに与しない。

その点で、グランクリュつまりグローセスゲヴェックスのリースリングが複雑であり高価な分だけ、長く瓶で熟成するのでその分飲み頃が難しいゆえに、我々愛好家はその啓蒙に骨が折れるのである。要するに欧州以外の人間にもその価値が分るように啓蒙してあげなければいけない使命がある。

それならば同じ区画や土壌からのグランクリュならば同じかといえば全く異なるのである。これは既に九月十九日に報告したとおりで、例えばフォン・ブール醸造所などは全く異なるコンセプトと経済的な理由から多くの葡萄を腐らせていた。それはそれで、早めに選択して収穫してしまえば、健康な葡萄からの清潔なリースリングが出来上がるのである。しかし、ここ十日ほどの世にも珍しい秋の好天による酸の分解を経た葡萄は全く活かされないことになる。まさにこの点が、既にこの時点で2011年産グローセスゲヴェックスにおけるこの醸造所の価値を限定して仕舞っているのである。

こうしたことは玄人もあまり書かないどころか、分っていないのであるが、以外にもその薄造りの味質や深みにかけるリースリングにそれが出ているのは誰でも感じることが出来るのである。それはそれで初心者には分りやすいヘアゴットザッカーなどの日常消費ワインを上手に醸造しているのであるが、我々リースリング愛好家には其処が物足りないのである。オーナー醸造所ではないので限界があるとしても、所有する地所からすればなんとも惜しい結果しか生まれない。

現時点で既に全てのグローセスゲヴェックスは収穫されてしまっていて、同じようにバッサーマン・ヨルダン醸造所も殆ど収穫を終了している。現時点で最後まで粘っているのはビュルクリン・ヴォルフ醸造所であり、流石にオーナーの決断が効いているのである。そして、それだけではない信じられないほどの健康さをその葡萄は保っているのである。そうした葡萄から醸造されるワインがどれほど価値が高いのか?(続く)
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葡萄泥棒も入りやすい家

2011-10-02 | ワイン
旅行に出かける前の週末に事件が起こった。葡萄の摘み取りしようとしていた土曜日に、前列だけを残してそれに隠されるように十二列のピノノワールが密かに摘み取られていたのだった。

前代未聞のこの盗難事件は、フォルストとダイデスハイムの間に広がるヘアゴットザッカーでシュペートブルグンダー種から高級赤ワインを製造していたヴィニゲン醸造所の一角で起こった。被害総額は、2500KG分の葡萄から三千本のワインが出来るとして一本32ユーロとして一千万円を超えると報じられているが、要らぬ作業を省かれた分損失はその三分の一以下であろう。

さて、その摘み取りの痕から機械で一気に夜中に摘み取ったとされていて、近隣の農家が疑われているようで、見つかれば二年以下の懲役となるとされている。だからそんな馬鹿なすることをするものはありえない訳で、犯行は内部事情に詳しい外国人労働者だと推測する。ヴィニンゲンという醸造所で起こったのもまだ十分にマネージメントが効いておらず、出稼ぎ労働者の質も比較的悪いと思われる醸造所だからだと想像される。

最近は観光客の立ち入りも多く、資本投下した分を躍起になって回収している様子が外部からも伺えるが、こうしたところにそうした事業形態の罠があるように思われる。本来ならば大人数で一気に刈り取り、それを急いでプレスするなりして、海外などに運んで売り払わなければ、盗みの成果が出ないわけであり、誰の目も盗んでこうした犯罪を成功させることは難しい。やはり、近隣の監視の目が効かない状況にあったのだろう。

未だ嘗てないような秋の好天が続いている。そして既に報告したように、腐りを避けれた葡萄とそうでない葡萄との差がここに来て予想外に大きく最終のワインの品質の差を広げているようだ。来週の水曜日ごろから再び湿り気が増して、この乾燥した好天は終わるようである。そしてそこまで葡萄を下げておくことで、更に酸の分解即ちリースリングの高品質化が期待できるのである。

先ずは幾つかの写真を比べて、その相違を観察する。以下の二枚は十月二日、日曜日に三百メートルも離れていない地所で撮影したものである。見事に実ってつるが重さに耐えかねるような繁々とした葡萄も健康そうである。そして二つ目は、これまた健康そうで涼しげにぶら下がる葡萄である。この二つの葡萄から出来るリースリングワインは全く違うものとなるのである。何が違うのか?(続く
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動物実験される福島の子供

2011-10-01 | マスメディア批評
福島の被曝状況は徐々に明らかになってきている。当初予想されていた通りなのだが、直ちに認識されていなかった被害状況が今後何十年もかけて陽の目を見ることになるのだろう。

FAZ紙は、日本政府がはじめて福島の件で世界に協力を求めたとして、細野大臣が除染の方法でお手上げ状態になっていることを伝えている。結局表土を剥がしてもそれを処置する方法がないことが問題で、そもそも放射能を拡散させて希薄にしてばら撒くのは容易だが、集めて濃厚にして処理するとなると、多大なエネルギーが必要になることは物の理なのである。

一部帰宅に即しての除染であるけれども、時間の経過で放射能生成物が拡散するか半減期を迎える以上に、除染で住環境の質を高めるには限度があるということに他ならない。

福島の子供を持つ家庭は、移住に資金的援助や学校ぐるみの移転などが伴えば、皆福島をあとにするだろうと語られている。何人もなんら責任のない子供たちの健康を害し、寿命を縮めようなどとは思わない筈なのだが、文部科学省はそのような計画には一切興味を示さないと伝える。

こんなことをさせておいて良いのだろうか?なるほど花崗岩質の土壌をもつ土地などは平時の自然の放射線がより多く降り注いで入るが、頻繁にレントゲンを浴びたりしなければ福島の子供たちのような初期の高い放射線も浴びることもないのであり、給食で福島のセシウムやストロンシウムやプルトニウム入りの有毒な福島の食材で内部被曝することもなく、さらに初期のヨウ素や今後も塵に混ざるセシウムなどの激しい内部被曝を受けることもない。

自然の放射線や医療での放射線の被曝と福島周辺の子供たちのそれとは全く別のものなのである。それを人体実験しようとしているのが福島県の山下教授らだと報道している。



参照:
Die Kinder von Fukushima, FAZ vom 23.9.2011,
Wohin mit so viel Erde, FAZ vom 29.9.2011
真実に与しない東京の官僚 2011-08-15 | マスメディア批評
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