Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ぼちぼち始めたいお勉強

2021-10-17 | 生活
「マゼッパ」のあらすじを読んだ。コサックの史実にプーシキンの詩文「ポルタ―ヴォ」が最初にあり、そこにチャイコフスキーらがドラマ化しているようだ。ウクライナの起源絡みで、ドイツの騎士団に相当するらしく、なかなか面白い。チャルニコフ演出はどうだったのだろうかと思う。心理劇になっていたのだろう。

南向きの窓拭きが済んだ。約半分のガラスが綺麗になった。それだけで室内に入る光が違い明るくなって、室温が上がる。昔はそんなことは考えなかったので、数年放っておくと人に色々と言われた。今から考えると何も分かっていなかったなと思う。その通りヒーターをどんどん炊いて、電気使い放題だった。

経済性だけでなく、とても大きな違いである。窓拭きなどは美観だけだと思っていた。しかし大きな生活環境の変化になると分かったのは比較的最近である。光熱費を抑えるために冬季は篭り部屋に入るようになって、その差異が分かるようになった。ガラスを適当な時期に掃除するだけで、ヒーターを入れる期日を一月以上遅らせることが可能になる。つまり夏季は汚しておくと室温上昇を遅らせられて、寒いぐらいの夏を過ごせるようになった。

勿論ワイン街道がドイツで 最も日差しのある地域であるという気候が幸いしているが、もしこれで大きな成果をあげられるとしたら誰でも熱心に時期を合わせて掃除するだろう。日本の風習で大晦日しか頭になかった僕が馬鹿だった。それでは一番寒く感じる時期の11月に間に合わないのだ。それに窓を開けて掃除なんて、暗くて寒くて出来なくなる。今までは夏季用に窓に日除けをつけていたのものが破れてから、汚れと窓の開け方だけでも室温を下げれることも分かった。これで残るは東向きと北向きのガラスだけである。それを掃除するとやはり明るくなる。電気消費に大きな影響を与えるだろう。

同時にバルコンのシクラメンなどの鉢が室内に移動され、テーブルもキッチンに戻された。寝椅子だけが置かれている。序に白いタイルも掃除したので、これでまた室内が明るくなった。これだけの掃除で随分と住環境が変わる。

プライムシートの中継を録音しようと思ってオーダシティを開けたら録音できないと出た。結局スピーカーへのループバックで誤魔化したが、原因は分かった。先日マイクなどの入力段を無効にしてしまっていたからリアルテクのステレオミックスから録音出来なかった。放送の方は最後まで流れなかったので仕方がないが、マイク入力を戻したら可能となり、それでまたノウハウが増えた。リアルテクを挟んであることは事実だが、所謂直のデジタル録音をさせないための防止処置は成されていないことがこれで確認された。録音、特にハイレゾ録音となれば出来る限り汎用サウンド回路を通さずに録音等をするのが望ましい。嘗てのエアーチェックとされたカセット録音などが明瞭性は欠けても最低どの程度の演奏をしているかは分かるので、矢張りものによっては今後資料としても使えるものになりえるのだ。

新たなノートブックにしてどうもLANが5Gになっているようで、更にケーブルも併用するようになってやはり安定する。ノートブックの方はなんてことはない と思っていたら、カメラとは直接コンタクトでケーブルでは都合が悪かった。

屋根裏部屋の窓には鳥が羽をつけて糞までしていた。早速水で洗いなおしたが、腹立たしい。

さて、「鼻」と「マゼッパ」のお勉強を始めるか。



参照:
お仕事させられるご招待 2021-10-16 | 文化一般
漕ぎ着きたい期待の岸 2021-10-15 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お仕事させられるご招待

2021-10-16 | 文化一般
週始めからバタバタした。だからバーデンバーデンからのお知らせもまともに読んでいなかった。そして、今年の寄付総額を確定してから、それをふと見るとなんと寄付者のためのご招待券だった。日程と席を選択しなければいけなかった。手紙の日付は10月6日で既に十日ほど過ぎている。その旨は分かる。結構な席が空いているので、空くぐらいならば熱心な支援者に同伴者を連れてきて貰いたいという考え方である。

早速「マゼッパ」の空席を見渡した。勿論私の最安席よりも格上席が沢山ある。流石にこの間に大分出てしまったようだが、それでも自分が支払らったならば座らない席でも悪くなさそうなところを見つけた。一昨年辺りから様々な会場で最高席に座らせて貰って、音響以外の差やその価格の価値について吟味している。自分で購入することのないような席に座ってみることで、その需要や当然のことながら音響についても学ぶことも多い。

価格とその価値に関しては、個人の所得や経済力または価値基準によっても異なるので、一概には判断できないのだが、それでもお得な席とそうでない席の差は大きい。ザルツブルクなどでもそうだったが、何もいい聴衆がいい席に座っているのではないので、どうしても価格だけでは音楽的な感興を買えないということでもある。矢張り周りに熱心な聴き手が集まっているような席が理想である。共感の輪が広がれば広がるほど良い。

先ず一枚は当然のことながら最高額席から選んだ。自分で購入する価値のある席は皆無だったが、無料で試すならという席をパトロン席の近くで選んだ。その辺りも毎年の復活祭でも購入できる席であるが、オペラの場合であると360ユーロする。七月に購入したミュンヘンの歌劇場の最上席が245ユーロであることを考えれば、フェスティヴァルもそれもベルリナーフィルハーモニカー価格であることは分かる。ザルツブルク音楽祭などがやはり同じ価格であるが、それらが如何に高いかということが分かる。

それで今回はその価格帯で最高の音響に近い席を試してみる。迷ったのは、平土間でいい席があればと思ったが、丁度いい席は無かった。特に今回は減員されているので出来れば近い方がいいだろうという予想がある。しかし、屋根にかかったりとか横だったり最前列しかなかった。そして何よりも万が一奈落に管弦楽が入るとすると矢張り上から見たい。それならば迷わずパトロン席に近い第一バルコンだと思った。

そこで考えるのは自分の席をどうするかであって、なるほど私の指定席(本当に発売前から番号指定した)はそれ程目立たないので、居なくてもそれ程問題はないのだが、出来れば誰かに入って欲しい。そういうことでいろいろと声掛けをしている。矢張りただで貰うのではなくて仕事をさせられる。

自分自身の戎として、最初から無欲にいい席に座らないようにしている。そうしないとお得な席を嗅ぎ付けられない。なによりもそこには不満しか待ち受けていない。なるほど売る側からすればいい席を経験して貰うと次が売り易くなるという教育効果もあるだろう。そもそも寄付者のための招待券であるから、その金を出す準備はあるのだ。



参照:
漕ぎ着きたい期待の岸 2021-10-15 | 文化一般
METを超えたオペラ 2019-04-17 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漕ぎ着きたい期待の岸

2021-10-15 | 文化一般
バーデンバーデンへの寄付金のチェックをした。向こうから出してきたものに落ちているものを見つけた。たかが47ユーロでも寄付金額が大きくなるのは嬉しい。なによりもこれで全てが終わる。コロナ禍下の連鎖キャンセルの清算を全て終える。今後は先ずコロナ閉鎖は無いとされている。因みに地元の指数は38になっていて、とても落ち着いている。バーデンバーデンは95だからまだまだゆったりできない。ミュンヘンが91、フランクフルトが86である。マスク廃止を期待したいが、何とかそれで誤魔化せるならば、暖かくなるまでにケリをつけた方がよい。冬の間のマスクはまだ暖かいだけましだ。

バーデンバーデンから早速訂正を貰った。更に昨年11月のベルリナーフィルハーモニカー公演が差し引きされていて、22ユーロだからどちらでもいいと思っていたものである。矢張り別途支払っていなかったので、寄付金額から差し引かれた。これで明瞭会計である。それでも友の会の年間会費は超えていると思うので十分だ。

更に11月のベルリナーフィルハーモニカー公演についても一言書き加えておいたので、少しでも支援を表明できたと思う。先ずは売り切れていないことであり、増員せずに其の儘開催して欲しい。出来ればマスク無しがいいのだが、州の判断では2Gつまりテストでは入れないようにしないとマスクを外せない。いくらかでもテストで入りたい人がいるならばそれは譲歩してもいいと思う。しかし、どれほどの人が抗原検査だけで入場したいと思っているかはとても疑問である。

ネットを調べてもいるともはやテストセンターは50km圏内に数件しかなくなっていて、それも19ユーロ程の料金が掛かる。最寄りの主治医に頼んだり、ネットでのテストを実施する人はいるかもしれないが安くはない。所謂3G開催の意義はもう殆ど終えた。来春には全ての規制がなくなって欲しい。本当に客足の復活を望むならばそれしかないのである。

兎に角、先ずは11月の公演には歌手の健康など以外では大きな障害はあまりない筈で、一先ずペトレンコがオペラを振るという第一歩を踏み出せる。合唱もフィルハーモニーなどでも戻ってきているので、祝祭劇場ではどのような形で上演するかも興味深い。一つの方法としては奈落から指揮することなのだろうが、その後のフィルハーモニーでの上演と合わされることにもなるのだろう。期待は膨らむが、先ずはなによりも実現させることに尽きる。

シャツを洗濯に出したので、出来上がりは木曜日になる。これで最低それを着ていける。11月からはまた衣替えである。気温は10月末までは大きな変化はなさそうで平野では降雪も避けられれそうである。来週は日差しがありそうなのでガラス磨きとなる。

音楽資料が机の上に積んである。いつから物書きになったのだと思うほどで、週末にはコロナ期間のプログラム類も片づけてしまいたい。



参照:
持続的ライフスタイル 2021-08-10 | 料理
僅か22ユーロのおもい 2020-10-06 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全てのものからのお別れ

2021-10-14 | 
承前)終楽章アダージョへと再び長く一息を入れた。ブレゲンツではマスクを外した口から咳なども結構出ていたと思う。マスクを外すようになると皆が一斉に咳をやり出す。意味が分からない。ハンカチ等で押さえようともしない。どうもオーストリアでは出来る限り感染を広げて脱コロナへと加速するというコンセンサスが国民に行き亘っているとしか思えなかった。淡々と美しい音楽が流れて行った。しかし、とても細やかな表情でその音楽的な表情には全く不足はなかった。そして指揮を終えてから十秒ほどで指揮台から体を話した。長過ぎずにとてもいいタイミングだったと思う。そして、ハンカチ仕事をしてから振り返る。平土間前列では再登場でスタンディングオヴェーションとなった。それでも一昨年の第八の時とは様子が異なっていた。

ソロで演奏した者を全て立たせた。件のトラムペット奏者も祝福されて、これはいつものペトレンコとは違い、第二の故郷の仲間に対する扱いだと思った。それはそれで感動的であった。象徴的なのは最後にまるで奈落の楽員を祝福するように平土間の聴衆を祝福したことであった。これも今まで見たことのない様子で、ミュンヘンでもそれは少し異なった。それはそれで一つの見識だったと思う。それだけに今回は特別な演奏会だと理解した。少し珍しいなとも感じた。

しかし翌晩の本当のツィクルス最後の演奏会では状況は全く異なった。既に三楽章のブルレスクのコーダの盛り上がりに尋常ではない激しさがあった。既に書いたように敢えてそこは盛り上げの必要があるのだなと理解していた。その高揚感が、長い休憩の後にも続いていて、丁度「悲愴」の三楽章あとでこちらは心臓がパクパクしていたこと思い出した。その心理的な影響は大きい。バーンスタインがイスラエルフィルを振った時もその傾向もあったと記憶する。要するに「悲愴」的な効果自体は創作者に狙われていたのだろう。

そして変容していくアダージョの主題に上昇する昇天の主題が変異のきっかけを作っていく。次から次へと音色旋律へとの契機を与えるような進行でもあり、どんどんと遠い所へと進み出て行くのだ。雲を抜けて青い宇宙へと舞い上っていくようでもあるのが、その和声的妙であり、都度その浮揚が感興の渦を広げていく。バーンスタイン指揮においてはあくまでも主情的な色彩が色濃いのだが、ペトレンコにおいては音楽的な変異がより感興となる。指揮技術的な卓越が本物の芸術を成すところでもあり、交響曲の醍醐味でもある。そしてこれほどに感情的に昂った指揮ながら、件の「悲愴」よりも感動的で、より純音楽的だった。左右に分かれたヴァイオリン群もヴィオラもそしてコントラバスなど低弦も強い気持ちで弾き切っていた。

ペトレンコは本当に第二の故郷の人たちにお別れをしているのではないかと感じた。この楽曲の内容がそうした感情によって増幅されたのだろうか。しかし注意はしていたのだが周りにもお母さんらしき人の輪も見られず、演奏後のペトレンコの視線を追っていても、むしろ私の方に注がれるぐらいで ― 杉良太郎効果 ―、あまり身近な人はそんなにいなかったのではないかとも思った。もし母親が既にどこかに引っ越ししていたならば、本当にお別れではないかとも感じた。十八歳で両親とともにシベリアでの生活の全てを捨てて裸一貫でフェルトキルへへと移住した。父親の仕事が決まっていたと思っていたのだが、先月の本人の言葉からはどうも違うようで、精々ユダヤ系の知り合いがいたぐらいなのだろうか。

思い出そう。九月にはフィルハーモニーでのファミリーコンサートに際して難民への寄付金を集めようとする時に、珍しく自らを語り「難民ではなかったものの故郷を離れる気持ちや将来への不安はよくわかる」のだと語っていた。その気持ちがお別れの音楽に強い情感を与えていたとしてもおかしくはないのである。終演後にはチェロの白髪の爺さんに特別の祝福していたが、定年であるとともに苦労して亡くなった父親との縁のあった人ではなかったのだろうか。もう企画した支配人もおらず、このツィクルスの間にも時は流れたであろう。そうした気持ちの昂ぶりは指揮台から離れて汗を拭うのに長い時間をかけて、客席に向き直った時の泣きべそをかいているかのような表情に繋がっていたのだろう。舞台で初めて見せる表情だった。

この度の演奏会はそれなりに特別なものを想定していたが、考えていたものとは異なった。そしてキリル・ペトレンコの指揮においては、その楽曲の構造とか意味の把握が音化されることで、音色とリズムなどの様に飽く迄も音楽的な基礎要素が演奏会でこそ活きてくることを改めて確認した。そうした背景には社会的な具象的な活動もあって、劇場的な虚飾の中で光り輝くものであるよりも、より抽象的な表現によってこそ意味を放つものであると再確認した。

グスタフ・マーラーは、メンゲルベルクなどの友人に書いたように、この交響曲を次のように考えていた:

「彼が愛していた全てのもの、世界からの告別だと、彼の芸術、彼の人生、彼の音楽からと。」(終わり)



参照:
引力場での音楽表現 2021-08-02 | 音
文化団体としての意思表示 2021-09-19 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先四週間ぐらいの準備

2021-10-13 | 生活
車の試乗の準備もしなければいけない。前回購入した時の様にはあまり気が乗らない。電気自動車への移り変わりの時なのでどうしても最後のオットーモーターであるとともに過渡期の判断となる。十年後は当然としても二十年後にはもう乗れないとなるとどうしても投資意欲も薄くなる。
兎に角以前のような意欲がない。

愈々ミュンヘン行きの「鼻」の準備にも掛からないと、その翌日のシューベルト、フランクフルトの「マスケラーデ」、そして月初めのヒンデミート、ショスタコーヴィッチ、「マゼッパ」と続く。これはお勉強が大変である。

先ずは。「鼻」、「マスカラーデ」と「マゼッパ」の楽譜をダウンロードした。私のような人間が四週間で三つのオペラを把握できるのかどうか疑わしい。一番馴染みのあるのは真ん中のニールセンの音楽でその録音である。最初のも最後のも音を聞いてみないと殆ど曲想が浮かばない。

ノートブックが新しくなって、ブルーテュースのヴァージョンが上がった。漸くコルグのミニキーボードがペアーリング可能になった。購入したのは四年ほど前だと思う。日本から態々運んできて貰った。安かった。今までも仕方がないのでタブレットでは音出しが出来ていたが使い辛かった。今度は直ぐに音が出せる。矢張り便利である。主に楽譜を見ていて音を取ってみるぐらいの使い方でしかないのだ。それでもミニに合わして音を出しているとそれなりに欲が出てきて、ブラインドで狙う音が出せたらより便利だなと思うようになってきた。殆どピアニカのような塩梅だが、シンセサイザーの無料ソフトをよりいいのにすると結構な音になってしまうだろう。

天気がよくなる予定だったが、ぱらぱらと来て日差しが薄い。上掛けを乗せて就寝したので、足がつらないか危惧されたが、快適に眠れたようだ。どうも風邪を引きかけているので、この辺りでヒット走りしておきたい。風邪封じである。

安売りの缶詰なので美味いことはなかったのだが、三時間ほど経って温くなっていてもでもそれほど悪いとも思わなかった。それがあると食が進むとまではいかないのだが、無くなるまでパンを流し込むぐらいの味はあった。今後同じような機会があればやはり最初から欲しかった様なものを選択するのがよい。インゲンはどうしても色が変わる。それでも柔らか過ぎなかったのはよい。電子レンジで温めていたらまた状況は変わっていたかもしれない。なによりも御馳走は窓外の景色で、こういうのを経験できるのはアルプスの山小屋しかない。



参照:
「夏のメルヘン」の企画 2021-09-01 | マスメディア批評
「聖書」ではないお話し 2021-10-09 | 音

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の日差しを思いながら

2021-10-12 | 文化一般
親しい出版社から訃報が入っていた。スペインの作曲家パブロが亡くなったと。正直よく知らない人で係わったことも紹介されたこともない。訃報にはフランスの音楽学者クロード・ロスタンの紹介が書かれている。それによるとスペインの国内作曲家を超えて、スペインのそれをナショナリズムを超えてインターナショナルにした存在で、独自の方法でオリジナリティーに感情と高い技術を以って知らしめたとある。Wikiなどには映画音楽で有名だともあり、なるほどそうなのか、知らない筈だとも思った。それでも作品目録の数は多い。一度か二度かどこかで聴いたことがあるかどうか全く記憶にない作曲家であった。

日曜日の日没前に頂上往復から降りてきた。少し早めに出たお陰で、駐車場までも、またそのうえでも二三件の人と交差した。栗拾いの人が多かったようだが、大きな栗は探すのが大変だと思う。いつも走っているのでよく分かる。裸では寒い感じで気温は摂氏15度ぐらいで、日差しがあっても肌寒かった。そのおかげで必死に走れて、心拍数も175、一分間の歩数も172とまずまずだった。先ごろ腰を痛めてから初めての頂上往復で、腰に緊張が奔らないように注意した。

それでも夏よりも走行時間が短くなっているので、気温の低下が大きい。しかしこの数年間は年末に掛けての急上昇がなかった。今年も動機付けがないと能力強化は難しいかもしれない。昨年までと異なるのは一週間の走行距離は二三キロ減ったのだが頂上往復の回数が増えたことで、その高度差は一週間毎220mほど増えて534mなので、続けられれば効果はある筈だ。朝から夕刻に変えて心臓を保護しつつ、行き帰りを含めた全体の所要時間も短くなるが、消費カロリー量は増えている。体重は71㎏台でそれ以上には下がらない。

先日の旅行で谷の村へ車を走らせた。シューベルトの音楽祭をやっている村である。思っていたよりも普通の村だった。今年もどうしようかと思っていたのだが、現地に行ってみて、いつか立ち寄ってみようと思った。滞在型では、昼間に方々をハイキングするぐらいでないとつまらないかもしれない。またアプローチはよくないので、余程のんびりした人でないと面倒かもしれない。会場のところまで車を入れているようで、あの狭い村の道が車で一杯になるのかと思った。宿泊も限られているので、やはり近隣の谷から足を延ばしてくる人が多いのだろう。そもそも演奏家をどこに泊めているのだろうか。

日差しがないと寒くなった。頭ががんがんとしてくる、身体が芯から冷えてくる。運動するにはいいのだが、座業にはそれ程いい季節ではなくなってきている。紅葉が始まるのももう直か。



参照:
誰かの代わりにしている行為 2021-10-10 | 音
実存のそのピクニック 2021-10-05 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰かの代わりにしている行為

2021-10-10 | 
承前)鼻がぐずぐずになってつらかった。しかし、二楽章は特に期待された。なぜならば、バーンスタイン指揮でもここはヴィーナーフィルハーモニカーを指揮した時にはヴィーナーヴァルツァーとなって聴きどころとなっていたので、そのヴィーンから最も離れたブレゲンツではどうなるだろうという興味もあった。少なくとも音楽の基本要素であるレントラーなどのリズム取りはペトレンコ指揮においては拘って出てくるだろうと思っていた。実際にハイティンクなどが振った時とは一段と上手に処理していた。それだけでは勿論この楽章は終わらずにそのリズム取りから殆どショスタコーヴィッチを先行する形でアイロニーばかりでなく、半ば強制的なリズムの支配が生じていて、スフォルツァンドの付け方が正確に出ていた。こういうリズム取りをして柴田南雄などはユダヤ風のしていたが、よく分からない。なぜならばバーンスタイン指揮ではそこまで明確になっていないからで、なにか民族的なものとは必ずしも思えなくなっている。述べたようにショスタコーヴィッチとの共通性をどうしても感じてしまうのだ。

勿論のことペトレンコは既に秋の極東ツアーの予定であったショスタコーヴィッチ交響曲10番などを準備しているわけだが、なにかそちらの方を感じた。特にショスタコーヴィッチにおける反アンチセミティズムへの言及とその関連には興味が行く。マーラーの第九交響曲においても表層的には最も保守的な楽章であると思われるが、ペトレンコによってここまでしっかりしたアクセントがつけられると、過去の交響曲における特に六番などのそれも走馬灯のように流れる。ブレゲンツの晩に最も成功していたのはこの楽章であった。翌晩のフェルトキルヒにおいてもそこのよりデットな残響から更に強いアクセントが刻まれていて、完成度は高まっていた。

そして、楽章の始まる前のそれに負けないほど長い時間を掛けてハンカチ王子よろしく汗拭きをしてから、コンツェルトマイスターが徐に立って調弦を始めた。結局どの楽章も同じぐらいに汗拭きが入念になされて、丁寧にハンカチが指揮台の楽譜の横に戻される儀式が同じように繰り返された。その意味するところは演奏実践上の必然性を超えていたことは分かるのだが、ジョンケージの作品ほど明白ではなかった。

三楽章のロンドブルレスクは、この交響曲において最も注目すべきだと思われるのだが、彼のバーンスタイン指揮でもヴィーナーフィルハーモニカ―ともベルリナーともまた日本でのイスラエルフィルでとももう一つ上手くいかなかった楽章ではないかと思う。要するに何が何だか分からない憑依になってしまうのである。その点でもペトレンコ指揮の流石と思わせたのも束の間、再びのニ長調へとの回帰で天使の降臨とされるトラムペットで上手に外されて、丸潰れになってしまった。同じように終楽章のアダージョにおける惜別へと同じように楽章前に再び長い休憩が取られたので集中は戻ったのだが、矢張り翌晩の出来には至らなかった。

フェルトキルヒでの最終演奏会は、会場の音響によって可也ハードテューンとなった反面、このブルレスクな面とフーガによる対位法の厳格さの対照が鮮やかに描かれた。ペトレンコの棒の下でのフーガは見事に各声部が鳴るのと同時にブルレスクにおけるエモーショナルなピュア―さは見事で、こうして私たちはバーンスタインの呪縛を乗り超えられたと思う。件のF管トラムペットの奏者が同じようにしか演奏できないのは初めから承知しているかのようにペトレンコは異なるアクセントをしっかりとつけてきた。こうしたやり方は歌手が声が出ないときにもお馴染みで、それを見越して雄弁になるのだ ― こういうところでこの演奏会の特別な意味も感じられた。今回の演奏解釈はペトレンコ指揮の交響曲演奏の中ではチャイコフスキー五番と並んでとても成功したものであるが、あの時も座付き楽団のロータリートラムペットが最後まで要らぬ音を出していたことを思い出した。

そのあまりにものコントラストがどういう効果を生じるかと言えば、そのものシェーンベルクがこの曲について語った「もはやマーラーは、この曲においては主体的ではなく、誰かの代わりに創作している。」という言葉を挙げておこう。我々が知っている創作で近いものは、語り手の未完の「モーゼとアロン」かもしれない。だから余計にバーンスタイン指揮演奏では、その主体というものが耳についたのかもしれないのである。(続く



参照:
音楽芸術のGötterFunke体験 2017-08-14 | 文化一般
響くやり場のない怒り 2020-11-05 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖書」ではないお話し

2021-10-09 | 
ティトゥス・エンゲル指揮でバリーコスキー演出「サロメ」を観劇した。七月のペトレンコ指揮「サロメ」を遡る形で2019年新制作初日の生中継録音と月が変わってからの7月の生中継映像を聴いた。後者は当晩其処にいたので初めて車中で聴いたのだが、初日とは全く違っていた。集中的に修正されていくのは毎度のことなので驚かなかったが、またこの七月の最終公演はより練れていたことも確認した。

全く同様に、フランクフルトでのエンゲル指揮の一場二場は比較すれば全くよくなかった。先ず楽団も仕事が荒く、歌手陣も不安定で声だけを張り上げているという感じだった。どうして練習期間に直せなかったのか、また殆ど見えなかった指揮であるがあまり締まらなかった。これで、おかしな音楽が上書きされたなら損失だと思うほどだった ― 個人的に名曲は一生に一度だけいい演奏を生で聴けばいいと思っているので、通俗なプログラムの催し物等には殆ど出かけない、歴史的録音で十分である。

しかしである、三場からそれもヨハナーンが歌う「淫らな女の娘」から空気が急に変わって、歌も熱を帯びてきた。一体何事かと思った。それまでも楽想の描き方はとても上手く、フルトヴェングラー指揮の様に場面ごとの収まり方はよかった。如何せん、歌唱も不安定で、楽団もお話しにならないと感じていた。

そこで、四場のユダヤ人の議論も指揮を覗き込んだりしてみていたのだが、なかなか落ち着いた運びで、嘗て彼が若いころの指揮を髣髴した。そして、へロデスとの掛け合いやヘロディアス、七つの踊り、最後にコスキーが最も印象深いとする口づけの場面、そして圧殺へと月の光とするスポットライトの中で舞台は進む。最後の終止のテュッティ―まで緊張感が高まり続けていた。その空気感をもって大喝采となった。

要するに、件の盛り上がりは演出家が意図した「聖書の話ではない」どころか、そのものキリストが描かれるところである。ここの表現は、実はペトレンコの上の二回の指揮でも曖昧になっている。しかし今年はヨハナーン役のコッホが、名唱を披露していた。

カラヤン指揮の名録音でも不明瞭な運びとなっていて、それどころか歌詞もカラヤンサウンドによって殆どが消されてしまっている。まさしくシュトラウスの芸術としては如何に言葉の明瞭性を維持するかが問われて、ペトレンコなどが歌手陣と苦心しているところでもあった。

なるほど転機となる作品として、その息吹とはまた別に、この作曲家の保守性はまさにこうしたところにあって、それが市場で受ける基本であったのだ。ミュンヘンの劇場においてもペトレンコの指揮では所詮そうしたテキストの意味は伝わらないという批判を聞くことがあった。それに応えるかのようなのがエンゲルの指揮である。まさに人気作曲家リヒャルト・シュトラウスの本質でもある。

なぜ、エンゲルがペトレンコと並び「賞」されて、音楽劇場の指揮者として注目されたのか。まさにそこである。そして劇場的な盛り上がりがある。ペトレンコはドイツにおいてさえも劇場指揮者的であるという曲解が未だに残っているが、その指揮は楽曲を正統的に描き出すことでの成果であって、劇場的な盛り上がりを得ることは殆どない。それが後任者のユロウスキーに期待されている。

エンゲルは、フランクフルトでの月末に初日を迎える新制作「マスケラーデ」の指揮に注目されているが、同じ月末のミュンヘンでの「鼻」のユロウスキーの指揮と比較されることになる。支配人のドロニーとはリヨンでの協調もあって、来年には新制作でクレンツィスと並んで、ミュンヘンでもデビューとなっている。

余談ながら、ユロウスキーをデモーニッシュとして嘗ての名指揮者オットー・クレムペラーと比較するならば、エンゲルの鷹揚とした音楽をクナッパーツブッシュと比較したい。



参照:
月の明かりを求めて 2021-10-08 | 文化一般
超絶絶後の座付き管弦楽 2021-07-29 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月の明かりを求めて

2021-10-08 | 文化一般
フランクフルトのオペラの券を購入した。迷いに迷った。夜中から売りに出ていても、知らぬふりをして就寝して、朝になって気になって発券状況を見た。ティテュス・エンゲル指揮の新制作「マスケラーデ」の初日以外の券の発売日だった。初日を一足先に買ったのだが、入場規制でまともな席が買えなかった。だから初日は安い席で観に行く。その後残り席解放になって、アルテオパーでのベルリナーフィルハーモニカー演奏会同様に悔しい思いをしたのだ。

フィルハーモニカーの夏のツアーの表プログラムを、四回目のパリ公演に続いて、五回目を二月おいてフランクフルトで演奏してから、中共に飛ぶのが最初の計画であったのようだ。その公演はフランクフルトの幾つかの定期会員で捌かれていて、気が付いて電話予約したのは五月だった。電話でしか買えなかったのは昨年のキャンセル券との交換の必要があったからだった。多少の手間賃を払って入手可能だったのは舞台から二列目の嬉しがりの席だったが、通路脇で安全で尚且つ指揮を横から観れる席だった。しかし九月に不用な券を使いルツェルンで二列目に座ったので、まさか二回もそれもより高低差のあるアルテオパーで座ったら馬鹿でしかない。どうしても交換したかったから、発売時刻10時から30分ほどかけて電話が繋がるまで、欲しい席をネットでキープしておいた。何とかまあまあの席を確保した。再び手数料必要だが、それでも二回もそれどころかルツェルンのKKLの舞台上の音響が聴けるようなところではない二列目で聴く馬鹿をしないで助かる。世の中には喜んで最前列齧り付きに行きたがる嬉しがり屋もいるので経済は上手く回るのである - 齧り付きで下から補ってまともなバランスで聴ける人はある意味玄人である。

さてオペラの方の躊躇は、指揮者エンゲルの彼の若いころからの音楽をたとえ知っているとはいってもこうした劇場での手腕は知らない。更にペトレンコの職業倫理のような「絶対新制作は指揮する」というものもたとえ個人的にその人柄を知っていてもそれは分からない。そもそも公演が上手くいくかどうかも分からないのに二度も行くだろうか?ペトレンコ指揮の場合はミュンヘンが遠方地であったから二度同一公演指揮を聴いたのは五演目ぐらいしかないのである。エンゲル指揮は今シーズン中に少なくとも三演目は出かける。つまりペトレンコを一シーズンに劇場三演目も聴くことも殆どなかったのである。

しかし最終日にだけ私の狙っていた席が空いていた。これは、やはりお誘いだと感じ、買わないと後悔すると思った。そしてその額と初日の額を合わせても、初日の希望席の価格と変わらなかった。買わずにはいられなかった。

万が一、お目当てのエンゲルが振らなくなったらと思ったのだが、その時は本人にお見舞いと苦情のメールをすればよいと思った。ミュンヘンでは招待して呉れと書くのだ。よかった、いい席を確保した。

先ずは金曜日の「サロメ」で、バリーコスキー演出の音楽への集中はエンゲルの指揮に幸いすると思う。声楽に合わせるのは昔からよかった。女流マルヴィッツ指揮が不発だった制作再演で、是非聴かせて欲しい。私にとっては、それ以上に七月のペトレンコ指揮最後の全てを出し尽くした「サロメ」との比較になる。とんでもなく高いハードルが課されている。ペトレンコと並んで音楽劇場指揮者賞を分け合ったエンゲルであるが、少なくともペトレンコ指揮では聴けなかった音楽を奏でてくれるのではなかろうかと期待が膨らむ。

テキストから「月」がシンボルになったフランス風象徴主義の演出らしい。先週末のシャツをもう一度着て、スーツもブルー系で月の明かりをイメージしたい。
Richard Strauss: SALOME, Oper Frankfurt




参照:
オペラが引けて風呂と酒 2019-07-11 | 歴史・時事
欧州のユダヤ人感への評価 2019-07-08 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全てに向けたお別れの歌

2021-10-07 | 
(承前)2006年に「大地の歌」編曲初演に際して難しいことを考えていた。恐らく当時の省察は今回の交響曲九番ニ長調についても核をついていると思う。ブレゲンツでの演奏は一部放送されるようだが、その一楽章の弦楽陣の下手な演奏はこの曲の本質を問うに十二分な表現があった。その間合いのぎこちなさを指揮者がアウフタクトで抑えることで余計に極まり、その楽想の妙を実感した。あの主題であそこまでに意味を表現することは彼のバーンスタイン指揮でもありえなかった。

四度五度の音程関係、長短の交差、そこに妙があるとともに更にバラバラに動機が管弦楽器間に回されるので、明白なイメージを得ることすらを難しくしている。ベートーヴェンでの第九も決して容易ではないのとも似ている。

それをペトレンコがどのように指揮をしたか?いずれベルリンでも指揮して放送されると思うが、そしてダイシンがコンツェルトマイスターを務めると思うが、どのようなボーイングでこの嘆きのメロディーやお別れの歌を奏でるのか。

なかなか難しい。綺麗に歌い上げても駄目なので、コンセルトヘボー管弦楽団でももう一つだった。目立つでもなく、裏表を変えたり、音色旋律のような受け渡しでもない。最も顕著なのは、展開部における「巨人」のトラムペットファンファーレへの流れのハープに乗る高弦の弾き方などは曖昧だからこそそこに味が出る。

バーンスタインがヴィーナーフィルハーモニカーを振って上手にこなしていたのはまさしくこうした劇場の奈落での合いの手のような弾き方である。マーラーが頭に浮かべていたのはニューヨークフィルのような楽団よりもそうした色合いの座付き楽団ではなかったかと思わせるところである。

高原の強い光の中で風が吹くでも無風でもなく高山植物が嫋やかにたなびいているようなその風景でもあり、恐らくこの楽曲の肝になるようなエピソードである - 我々はドロミテでの風景をそこに思い描くのだが、作曲家が重ね合わせたのは生まれ故郷のボヘミアの風景だったのだろう。ここがピンとこないとそこに続く「怒り狂って」の訳が分からないかもしれない。とてもコントラストに富んだ風景であって、人は虚を突かれる。

「パルジファル」のように転生していくことがこの楽章の起承転結の起の所以であり、そこが翌日のフェルトキルヒでの演奏会では上手くいかなかった。理由は会場の乾いた音響で、高弦の揺らぎが全く上手く揺れなかったからである。

同じように一楽章コーダにおける木管合奏のコンボ、お別れの締めとなる。ミュンヘンでの最終日の残照とともに今後とも「お別れの歌」として心に響き返すだろう。私はブレゲンツではマスクの下が鼻水でぐずぐずになってしまい。大きな音を立てて鼻をかんだ。恐らく舞台のペトレンコも耳にしたであろう。それから、いつもよりも入念にハンカチ王子よろしく汗をぬぐい、そして綺麗に折り返して指揮台に戻すまでに長い時間を掛けていた。(続く



参照:
沸々と、ああ諸行無常 2019-05-25 | 音
蒼空のグラデーション 2018-09-08 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

課題解決への工程

2021-10-06 | テクニック
二週間ほどかけて漸くノートブックをものにした。その間何回か夜鍋仕事になった。机の前でコマンドを打ちながら居眠りしていることもしばしばだ。どうしてコムピューター仕事は途中で止められないのだろうか。身体を動かさないから余計に寝食を忘れて続けてしまう。ゲームオタクとかハッカーなどが病的になるのは致し方がない。何とかオタクというのはやはり心身に良くない。個人的には少なくともオーディオとかHiFiとかに入らなかったことが幸いだと思っている。十分に若い時に距離を置いて、のちに仕事柄も完全に抜け切れたことだけは嬉しい。

しかしPCの前ではどれほど過ごしているか分からない。しかしスピーカーの位置を直したり同一録音異盤を買ったりなどよりは遥かに経済的だと自負している。それだけの積み重ねのノウハウで仕事の効率などは矢張り上がっている。また大きな投資をしないでも通常の個人的な利用にはそれで足りるようになっているからだ。

重要だと思って最初に試みて躓いたクロームキャスト転送時のffmpeg問題も他のSAMBサーヴァー問題の解決で再インストールしたことから解決した。具体的には、Win10 のアップデートなどを進める前にファイヤーウォールを外して、更にそれを戻しても例外としてアプリケーションを登録していくことで漸くファイヤーウォールを下せた。これで一先ず堅牢なシステムになった筈だ。その途上で他のリモーコントロールの規制解除も確認しておき、更にソニーのカメラのプレーメモリーホールとか、カメラの登録も済ませた。

結果、以前よりも録音の質も再生音もより確実なHiFiと出来るようになっていて、一時は画面録画の体制を変えようかと思ったが、此の侭で今後も使えることも分かった。DCHのハイレゾオンデマンドぐらいまでは全く問題がない。

一方以前のノートブックの方は完全にモニターが駄目になってきていて、リモートコントロールぐらいでしか使えなくなるかもしれない。先ずは整備だけはしたので、何とか使いきれるかもしれないと思っている。

メーラーのサンダーバードも元通りになり、ブラウザーのパスワードなども重要なものは設定された。最後にはデータを直接NASの方に記録するぐらいで、これは落ち着いてやれば問題が起きないはずだ。以前よりも接続が早くなった感じがあるのでストレスなくNASをストレージとして使える予定。

SSDにはサムスンのが入っているようだが、一度だけインストールしなおした以外ではそれ程負担がかかっていない。更にファンを最低にしか回らないようなしているのでとても静かなPCとなっている。最後まで小さなストレージとの接続が残されているが、急ぐものではなくて、既にメディアサーヴァーとしては使えているので、どうにかなるはず。結構面倒なのはLANの中での接続等だということが今回も明らかになった。



参照:
Linuxオーディオの勧め 2021-09-27 | テクニック
宇宙外へのキャスィング 2021-09-25 | テクニック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実存のそのピクニック

2021-10-05 | アウトドーア・環境
日曜日は、10時のチェックアウトに間に合うように7時にパン屋に出かけた。予想以上に近道が出来てホテルの建物を出るまでに三分ぐらいで、そこからは路地を通って一分もかからない距離だった。これだけ近ければただの工場製造パンでも他所に車で出かけるほどの理由はない。そもそも日曜日に九月のシュヴァルツヴァルトでのパン屋の様にこだわりの店は開いてなかったようだ。

それでもヴィクトリノックスの十得ナイフで苦労して開けた缶詰にはそのパンがなければ意味がなかっただろう。残念ながらアパートメントのボッシュのキッチンには電子レンジではなくて通常のオーヴンしかなく鍋で温めた。旅先ではやはり電子レンジの方が有用だ。鶏飯も半分は油紙の上で少し温めて消化を良くした。

予定通り音楽祭シューベルティアーデが現在開かれている山の上の村やそこのホールの方へと向かった。所謂ブレゲンツァーヴァルトと称される地域に入っていく、湖から石灰の崖が連なっているようなところなので、谷から急激にワインディングロードを上っていくそして制限速度が80キロ区間も結構あって、二輪の何とか族が沢山走っていた。こちらも新車なら頑張って走っていたと思う。

峠の上は絶景だった。道標にはチャールズ皇太子も常連のレッヒへの道は閉鎖されているとあった。雪はなくても荒れているのかもしれない。その峠から降りて谷に近い村がシュヴァルツベルクで高名な演奏家が集まるのだが、村自体は通常の意味での上等な宿泊施設のないような山村である。今年も行くとしても今回泊ったようなアプローチをしようと思っていたのだ、思ったよりも少し遠い。涼しさも、さて谷のテラスであるからどうだろう。ヴェルビエールにも似ているが規模が十分の一程だ。

谷間を結構走った。まだまだ知らない谷があるものだと思うが、ノルディックやハイキング好きには人気スポットであるが、結局夕方にコンサートが開かれるフェルトキルヒまでは峠を越えて長い谷を下らなければいけなかった。幸いなことにこれまた絶景の場所で車を停めて、二時間ほどピクニックをして更に楽譜を点検することが出来て幸せだった。

大した食事でなくてもまるでアルプスの山小屋の食事のような気分を味わえる。運動さえすればそれ程美味いものはないという味であり、今回缶詰を購入してああいうところでは業務用のあの手のものも役に立つのだろうと思ったのだった。

しかし、そのようなお味の話よりも前夜の演奏会における第一楽章のそのニ長調とニ短調のその日向と日陰、まるで白い石灰岩の表と裏や赤苔が生えたり雨露でぬれたりしている表層を見ているような実存を味わえた。まさに昨晩思い描いた作曲されたプスタータールのトムバッハのあの日差しを思い出した。

なるほどドロミテに続く南テロルとフォアールベルクでは日差しも山も違うのだが、少なくともこの辺りの人はベルリンなどに住んでいる人と比べてそういう高原の表情が自らの体験になっている人は間違いなく多い。

その実存感とは、黒いバラの存在の意味についてのシレシウスのバロック詩を想起したのだった。同じことを「大地の歌」のトブラッハでの室内楽編曲演奏会プログラムに見つけたことを既に書いていた。そのことの結びつきはすっかり忘れていたのだが、土曜日に想起したのだった。(続く



参照:
影の無い憂き世の酒歌 2006-09-08 | 音
パン屋への道のり 2021-09-10 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスク無用の咳仕放題

2021-10-04 | 雑感
11時半頃に帰宅した。途中ウルムへのところがいつものように渋滞していた。ウルム市内に逃れてと余分に時間がかかった。なければ7時前には駐車場を出て、フェルトキルヒの名物猫の塔を写して、帰路に着く。11時前には着く予定になっていた。やはり休憩無しの5時開演は早い。

フェルトキルヒの街の中を歩くのは三十年ぶりぐらいだった。当時は今のようなコンサート会場もなかった。2013年の定礎式のようで、するとペトレンコが同地でのマーラーツィクルスを始めた時にはなかったことになる。それまでの1975年築のシュタットハーレ改めモントフォールトハウスとして新たな会場を使っていたようだ。

1990年代当初は車で町に乗り入れて、歩行者天国で止めて、その先のホテルに泊ったので、今よりも区間が短ったのだろう。歩いてみてなんとなく感じたがホテルの位置等は分からなかった。但し会場の背後となっている白い石灰の岩壁は記憶に残っていて、雪のフェルトキルヒが要塞の街のように感じたものだった。

日曜日は朝から生暖かいボーデン湖からの風が吹いていて、季節の変わり目とその湿った空気がこれまたブレゲンツなどにも共通する土地の雰囲気を感じさせた。要するに湿気っぽい。

接種証明を持っての初めての旅となったのだが、結局提示したのは演奏会の入り口で二回だけで、状況は一変していた。オーストリアは恐らくドイツよりも脱コロナで先行しているようだ。

演奏会場でマスクをしないで歩き回る人は三割から四割、座ってマスクをしている人はほとんど居なくなっている。ブレゲンツの祝祭劇場は真ん中の席でバルコンだったのでマスクをしていたが、フェルトキルヒは平土間の中間の前が通路の席だったので、途中でマスクを外した。それでも後ろから咳をされて閉口したが、以前と同じぐらいかそれ以上に質の悪そうな咳が方々から聞こえる。

つまりオーストリアでは既に感染を満遍なく広げるようにとの合意が通っているようで、マスクをしているのはどう見ても一部のエリートクラスの家庭ばかりの様に見えたが、もしかすると近隣のスイスやドイツからの越境者かもしれない。

立テーブルで同席したエリート風な家族も2Gの話をしているぐらいで、そこの変化をいろいろと感じているようだった。個人的にはまだまだマスクなしで知らぬ人と会話するのは抵抗がある。

指揮者のキリル・ペトレンコも出てくるときにはマスクをしていた。恐らく同じ気持ちでだと思う。少しのことで感染の可能性を下げれるならば、後で後悔しないように、転ばぬ先の杖にしておきたいのである。なにも無理して感染するべきものではないのは既感染者ならより分かると思う。



参照:
胸がきゅんとなる 2020-11-07 | 女
折り返し点での喧騒 2020-08-18 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綺麗に流せるのだろうか

2021-10-01 | 生活
燃料代が高騰している。木曜日に安いのを逃したので10Lしか入れなかったので満タンにするのが大変だ。こうなれば出かけるまで待ってみよう。見込みは薄い。

漸く衣装が決まった。現地フェルトキルヒの気温は22度まで上がるので、まだまだ冬服ではない。予想通り、日曜日の午後までは快晴のようで、夜間は若干冷えるが、昨晩のワイン街道のように摂氏6度とかにはならない。要するに寒いとかいうことにはならないだろう。

食事は、缶詰を購入したが、一番欲しかったバイエルン風の物はなくて、さやえんどうと牛を選んだ。パンに合わせるなら、それほど更になる蓋も汚さずに済むだろうか。やはりパンが重要だ。

土曜日の鶏飯は朝からの炊き込みでは間に合いそうにないので、金曜日に拵えておいて冷や飯を持ってい行く。最悪電子レンジが使えなくてもワインで流し込めるようにしておく。

なんだかんだの食料品を持っていくので一泊とは思えないほどの荷物量となりそうである。宿の駐車場は裏側の道に面しているので、どうもパン屋へは歩いて五分も掛からないかもしれない。

先週の運動のお陰で腰を痛めて今週はまだ何も出来ていないが、さてどうなるか。半面、PCを弄っていて夜中3時前まで夜鍋作業になった。一時は夜鍋が出来なくなっていたが最近はまた出来るようになってきている。ビオンテッヒの力だろうか、そう言えばあのオーナーの二人とも嫌に元気そうだ。

九番の交響曲を流している。車中聴くのはやはりバーンスタイン指揮のヴィナーフィルハーモニカーのベルリン公演ものだ。やはり説得感もあり分かりやすい。日本でNYフィルを指揮したときはさぞかしいい演奏をしたのだろう。比較対象にアバド指揮のルツェルンでのそれを流しているが、とても綺麗だが一番の問題点は楽想の描き方が中途半端で、細部には拘っても流れて行ってしまうことだろう。やはり中期の交響曲で成功していてもこの晩年のそれは難しい。

日差しが良くてシュヴァルツヴァルトの北端がよく見えた。途中に高圧電柱がたくさん見えるように二三年前までは原発の煙をだす冷却塔が邪魔していたどころだった。土曜日はあの辺りの谷に入ってシュトッツガルトへと抜ける。



参照:
見えなくなった水蒸気塔 2020-05-16 | アウトドーア・環境
蒼空のグラデーション 2018-09-08 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする