本日はネタバレ御免!!でお送りします。
■ 全ての先入観を捨ててこのシーンを見て欲しい ■
普段アニメなど見ない方も、全て先入観を捨てて、現在放映されている
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている 続』の第六話を見て欲しい。
2つの高校が合同で地域のクリスマスイベントを企画する会議のシーンです。主導権を握る高校の生徒会長が会議の進行をしています。
「ロジカルシンキングで論理的に考えるべきだよ」 (会長)
・・それ同じ事言ってんじゃねえ、何回考えちゃうんだよ (主人公、心の中で突っ込む)
「お客様目線でカスタマーサイドに立つっていうかさ」 (会長)
・・だからそれ同じこと言ってんじゃないのか。何回客になってんだよ(主人公)
「意識が高い」相手校の生徒会長を始め役員は、覚えたてのブレーストーミングを実行すべく、これまた付け焼刃の横文字英語を連発して会議を進行します。しかし、その中身たるやカラッポ。
社会人ならば、「あるある、こういう会議ある!!」と抱腹絶倒する事間違い無いシーンです。
責任の所在を明確にしない会議は何も決まらず、時間だけを浪費してゆきます。・・・あるある・・こういう会議。
私達が日々会社などで繰り広げる会議も、すこし引いた視点から、皮肉たっぷりに眺めると、こんなにも滑稽なやり取りがくりひろげられているのでしょう。
覚えたての経営用語や経済用語を使いたがる「意識高い系」の相手校の生徒会を「中二病と同じ」だと断じる主人公は、自らを「自意識高い系」と評し、高二病の一種だと心の中で説明します。
高校生が患う「自意識高い系」の物語が本日紹介するライトノベル作品、
『やはり俺の青春ラブコメはまちがている』です。累計で400万部を超える大ヒット作品ですが、スーパーネガティブな高校2年生男子を主人公にした学園コメディーです。
■ 作者の成長を楽しむ文学 ■
ライトノベルは青少年向けのエンタテーメント小説です。私は文字が書かれたマンガ、或いはアニメのシナリオの一種だと捕えています。
1) キャラクターを中心に物語が展開する「キャラクター小説」
2) 一人称で書かれる事が多い
3) セリフやモノローグで状況や主人公の思考が丁寧に説明されて分かり易い
4) アニメ化を前提に書かれている作品が多い
5) 表紙や挿絵にアニメキャラ的はイラストをあしらっている
6) 登場人物が類型化されている(テンプレキャラ)
7) 作者が若い
ライトノベルを「小説」や「文学」に分類する事に抵抗する方も多いかと思います。しかし、最近書店に並んでいるベストセラー小説の多くが「キャラクター小説」という意味においてはライトノベルの影響を受けているとも言えます。
ライトノベルの原点は、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズまで遡れるかと思いますが、私は「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」も十分にライトノベルの資質を備えた作品だと思っています。
ただ、ライトノベルの特徴として「作者が若い」ということは重要かと思われます。大作家が大衆向けや子供向けに書いた作品では無く、読者と同世代の作者が自分のニーズを満たすべく書いた小説という意味において、日本のライトノベルは世界でも特筆されるべきジャンルかも知れません。
書き手と読み手の年齢が近い事から、「同人」的な閉じたサークルの中で作品が生産され消費される傾向にあることが、このジャンルから大人を遠ざけている原因ともなっています。一方で、大人の読者を想定しない事で、最新の若者の言葉遣いや、思考パターンがストレートに反映されており、今時の若者達を知る上で重要なサンプルです。
そして、このジャンルの面白い所は、「作者が急激に成長する」点にあります。 直木賞作家の
桜庭一樹や、ベストセラ作家の
有川浩がライトノベル出身である事は有名ですが、デビュー当時から個性が際立った作家でした。編集者もその才能を見抜いており、作品をlライトノベルの文庫版では無く単行本として発売するなど、ライトノベルというジャンルにカテゴライズされる事を巧妙に避け、彼女達をベストセラー作家として育て上げました。
上記の作家以外にも
西尾維新や
奈須きのこなど個性的な書き手が多いのこジャンルですが、逆に汎個性な作家がほとんどであり、毎年多くの若者がデビューしては、数年で消えて行きます。
ただ、このジャンルの面白いのは、一見「汎個性的」と思われる作品の中から、かつての眉村卓や筒井康孝、新井素子の匂いを感じさせる作品がチラチラと生まれて来る所です。近年では
『ココロコネクト』や、本日紹介する
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』は、古き良き若者向け文学の伝統を継承する作品とも言えます。
■ 自ら周囲から孤立する二人が出会う時 ■
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』は千葉県の海浜部にある高校の日常を描く作品です。主人公の
比企谷 八幡(ひきがや はちまん)は頭は良いが超ネガティブ人間です。小学校の頃から浮いた存在で、高校二年の現在はクラスでは空気の様な存在。本人はステルス性能と称していますが、常に一人で行動し、体育で二人組になる時を一番嫌う様な人間です。
一方で彼は人間を良く観察しています。クラスの人間関係を緻密に分析し、それにネガティブフィルターを掛けて楽しむ様な性格人物です。
そんな彼の行く末を心配して担任教師が連れて来たのが
奉仕部の部室。奉仕部とは他人に奉仕する部活で、実際には生徒の問題を解決する手助けをする部だと説明されます。
部室には黒髪の少女が一人本を読んでいます。学校でも秀才で有名なその美少女、
雪ノ下 雪乃(ゆきのした ゆきの)は高圧的で比企谷を全く寄せ付けません。
「この部っていったい何をする部なんだ?」
「今私がこうしている事が部活動よ。」
「降参だ、さっぱり分からん」
「比企谷君、女の子と話したのは何年ぶり?」
「・・・」(中学時代の痛い思いでの回想)
「持つ者が、持たざる者に慈悲の心を持ってこれを与える、人はこれをボランティアと呼ぶの。困っている人に救いの手を差し伸べる、それがこの部の活動よ。ようこそ奉仕部へ。歓迎するわ。頼まれた以上責任を持つわ。あたなの問題を矯正してあげる。」
彼女の言動は一見高慢に見えますが、それは彼女が周囲から疎外された結果だという事に比企谷は気づきます。「優れた者故に世の中はそれを排除しようとする。そんな世の中ならばいっそ世の中の方を変えてしまえば良い」彼女のこんな発言に、比企谷は自分と同質の物を見つけます。
「・・・なあ雪ノ下、なんなら俺が・・友達に・・」そう言いかけた比企谷の言葉を雪の下は「ゴメンナサイ、それは無理!!」と一瞬で拒絶します。
その時、部室のドアがノックされ、一人の少女が遠慮がちに部室に入って来ます。彼女の名は
由比ヶ浜 結衣(ゆいがはま ゆい)。比企谷のクラスメイトです。彼女は手作りクッキーが上手く焼けないとの相談を奉仕部に持ち込みます。
彼女の悩みを解決すべく、調理室でクッキーの焼き方を由比ヶ浜に教える雪ノ下ですが、その教え方は極めて厳しい・・・。言葉も相当にキツイ。そんな雪ノ下を由比ヶ浜はキラキラした目で見つめ「カッコいい」と言いだします。八方美人で他人の目を気にして学校生活を送る由比ヶ浜にとって、歯に衣着せぬ言葉でやり取りしている雪ノ下と比企谷の関係は、とても羨ましく見えたのです。
こうして奉仕部に新たな部員が加わり、この3人を中心に物語は周りはじめます。
■ 普通の学校生活をスリリングなエンタテーメントに昇華する ■
奉仕部に持ち込まれる問題は些細な事です。「自作のライトノベルを読んでくれ」だとか、「昼休みのテニスの自主練に付き合ってくれ」だとかそんな事ばかりです。しかし、性格が5回転位いひねくれた比企谷は、イヤイヤながらも意外にも真摯に問題解決に取り組みます。問題の本質を冷静に見極め、論理的に打開策を導き、さらには消極的ながら解決に対して努力します。
物語の前半は、問題解決の過程で比企谷と問題を持ち込んで来た人間の間に「関係」が生まれる事がコミカルに描かれます。比企谷は新しく生まれた関係を「友情」とは捕えていませんが、相手は比企谷に信頼を寄せ、彼を友人として慕う様になります。
そんな他愛の無い展開が続きましが、物語の進行にしたがってだんだんとシリアスなムードが漂い出します。比企谷の問題解決の手段は徹底的に合理的です。しかし、その方法は「普通」ではありません。「人間関係の機微」をあえて無視する事で最大の効果を上げるのです。そして、往々にして比企谷の自己犠牲によってそれが達成されます。
前半のハイライトは文化祭です。無能な実行委員長の下で副委員長の雪ノ下が仕事を抱え込む事になります。委員長は他人に仕事を押し付けておいて「実行委員も文化祭を楽しまないといけないと思う」と言いだす始末で、委員会の空気はシラケ気味です。
そんな空気を一変させたのが比企谷です。文化祭のスローガン決めの会議で彼は「人」という字を提案する。
「人と言う字は一見お互いが支え合っている様に見えるが、実は一方が一方の寄りかかっている。この委員会にぴったりだ・・・」と言いだします。会議の空気は一瞬で固まります。そして、誰もが比企谷を敵意のこもった目で見つめます。
「分かり易い敵役」にあえて成る事で、彼は他の委員の結束を生もうしたのです。終始こんな調子で、仕事が円滑に進む様に彼は適役を演じ続けます。
学園コメディーだとばかり思っていた作品は、だんだんと変貌してゆきます。どこの高校にもある様々な人間関係の軋轢ですが、現実の高校生達は悩みながらそ何となくをれをやり過ごしています。問題を棚上げしたり、友人と距離を取ったり、時には友人を変える事で問題を解決しています。
ところが、をれは問題の解決では無く保留である事に比企谷は自覚的です。彼の冷静な観察を通して、私達は現実社会の人間関係の欺瞞を改めて突き付けられるのです。これはなかななスリリングです。殺人事件など無くても、普通の学校生活、普通の人間関係を観察するだけで、こんなにも面白いエンタテーメントが成立するのかと驚くばかりです。
■ 頭でっかちな高校生が必ず通る道 ■
私は高校時代ひねくれていたので、比企谷の姿は当時の自分にそっくりで、この作品を冷静に見る事を出来ません。もう、黒歴史をホジクリ出される様で、身もだえして見てしまいます。
私に限らず、この作品を支持する多くの若者達が比企谷に或いは雪の下にシンパシーを感じているのでは無いかと思います。普段は表面的にやり過ごしている人間関係ですが、その裏に様々な感情を押し込めて高校生も生活しています。
「人と上手くコミュニケーションが取れない」というのは、自我の確立期には誰もが通る道です。自我の成長の過程で、自我と周囲とのバランスが崩れるのです。特に運動部にも属さない文系人間は集団の中で自分を抑制する訓練がされていないので、自我は肥大化しがちです。
自我が肥大化した若者は、その自我の危機に何度も遭遇します。自尊心を保つ為には、自分が周囲より優れた存在であると自分に証明する必要が生じるのです。しかし、現実にはそれは不可能なので彼らは発想の転換で自我を保とうとします。
「自分が劣っているのでは無い、世界が悪いのだ」と。
この物語の主人公の比企谷と雪ノ下は頭脳は明晰ですが、コミュニケーションの能力が著しく欠けています。それ故に、彼らは世界や友人を拒絶する事で、自分の優位性や自尊心を維持しています。頭の良い彼らはそれが間違いである事も理解していますが、それを素直に受け入れて周囲に同化する器用さを持ち合わせていません。
■ 「本当」の関係とは何かを真摯に問う物語 ■
アニメの第二期は、第一期とは演出がだいぶ異なります。学園コメディー的な軽やかさは後退し、演出はリアルになっています。
仲良しグループの男子が修学旅行でグループ内の女子に告白したいと奉仕部に相談に来ます。一方、他のメンバーはそれを阻止したいと匂わせてきます。
リーダーの葉山は比企谷に「今のままの関係を保ちたいんだ」と打ち明けます。比企谷には表面的で薄っぺらな友情ごっこにしか見えない関係に葉山や他のメンバーが拘る理由が分かりません。そんな薄っぺらな関係のどこに守るべき意味があるのか・・・。
比企谷はまたもや自己犠牲によって問題をクリアーしますが、彼一人に汚れ役を押し付けてしまった事で雪ノ下と由比ヶ浜は自責を感じます。それが3人の関係をギクシャクさせます。
そんな折、奉仕部に持ち込まれた以来を巡って3人の関係は決定的に悪化します。本音で付き合っていたと思っていた3人は、実はお互いの事を何も分かっていなかった事に気づいてしまうのです。
そんな彼を見かねて担任がアドバイスをします。「考えて考えて、答がNOだたらさらに考えて、何も見つからなければ、それこそが答えだ。」「論理的に考えて分からない事こそが人間の気持ちだ」
一晩考えあぐねた比企谷は、翌日部室に向かいます。そして振り絞る様に「俺は本物が欲しいんだ」と口にします・・・。それを聞いた雪ノ下は「私には分からないわ・・・」と言うと部室を飛び出して行きます。
「孤独をあえて受け入れる」事で個人としての尊厳を守っている「同士」と思っていた比企谷が、「友達になりたい」という普通の感情を抱いている事にショックを受けたのです。その感情は彼女の中にも芽生えていたかもしれません。しかし、彼女をそれを認める事を敗北だとい感じている・・・・。
雪ノ下を救うのは由比ヶ浜です。感覚的にしか物事を判断出来ない彼女にとって、「本当の友達になる」事は至極当たり前で素晴らしい事に思えたのです。比企谷が言う所の「本当」とは何かは全く理解できませんが、彼女は直感的にそれが悪い事では無いと悟ります。由比ヶ浜は泣きながら雪ノ下に抱き着きます.
「由比ヶ浜さん、あなたずるいわ・・・」そ言うと雪ノ下も陥落します。感情を論理的にしか理解できない彼女にとって、感情をストレートにぶつけて抱き着いて来る由比ヶ浜はアイテデンティティーを揺さぶる存在であり、そして感じる温かさは論理では導き出せない真実を伝えているのです。
人と人の本当の関係は「論理」では導き出せない・・・きっとこの助言を与えた担任は、彼女自身が若い時に雪ノ下や比企谷と同じ経験をしたのでしょう。だからこそ、論理の鎧で心を守らなければならない二人の純真さを理解し見守ります。教師は比企谷に「お前は教師に向いている」と冗談ながらに言います。これは彼女の本心でしょう。きっと比企谷に自分の過去を重ねているのです。
■ 完成された作家には書けない物語 ■
作者は大学4年生の時にこの作品で賞に応募したそうです。元々は小説など書いていなかったそですが、就職がなかなか決まらず、作家という肩書があれば就職浪人と呼ばれないい・・・そう思って書き上げた作品です。当然、続巻が刊行されるとは夢にも思わず、累計で400万部の大ベストセラーになるなど、誰もが予想出来なかったでしょう。
作者はその後就職し、現在も会社員を続けながらこの作品を書いています。この作品を書き始めた当時は比企谷に感情移入をして書いてい作者ですが、社会に出て成長した今は、担任教師に感情移入しがちだとインタビューで語っています。作者が社会に出て成長する過程が、作品にも色濃く反映されています。
成長に伴って、物語のテーマも「本当の関係とは」という重たいものに変化しています。表層的な友情をバカにしていた比企谷ですが、自分が求めているものと表層的な友情との間にさして差が無い事にも気づいてゆきます。ここら辺がこの作品の優れた所で、ラノベや漫画の多くが「本当の友情」を至上のものと持ち上げる傾向があるななかで、本元とは何かをひたすら追求し続けます。
「普通の関係」こそが「本当の関係」である事・・・そんな事をテーマにしながらも、しっかりエンタテーメントしているこの作品は、他のラノベ作品とは一味も二味も違う奥深さを持っています。
■ 聖地巡礼に行ってみた ■
実は
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』のモデルになっている高校は、千葉市の海浜部にある千葉市立稲毛高校です。
2年前、娘のバスケの県大会の応援にこの学校を訪れた時、中庭で強烈なデジャブに襲われました。「この校舎、見たことある・・・」
だいたい作品の心当りはあったので見直してみると、2話目でチラッとこの丸い校舎が出てきます。
第二期の7話目は担任教師が比企谷にアドバイスを与える名シーンが描かれますが、ここの舞台は千葉ロッテ・マリンズのスタジアム近くの「美浜大橋」。これは聖地巡礼に行くっしかありません。自転車で鴨川に行く前にサクサクと巡礼します。
」
夜のシーンでアングルも少し違いますが・・・夕方は夕日を見る人で賑わうポイントです。
手すりの落書きもこの通り・・・。
橋の下から見た所。
校門もほぼ同じですね。
最寄駅の稲毛海岸駅。ここも良く登場しましう。二期オープニングの電飾された植え込みの背景は駅前にあります。
ちなみに千葉都市モノレールがタイアップしています。
http://yusaani.com/event/2015/05/02/119392/ 写真を拝借しました。
ここまでやれば立派です。乗るのが恥ずかしい方もいらっしゃるでしょうが・・・。千葉都市モノレールは
『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』のラッピング車両も走らせていました。
千葉市はアニメのロケに協力的みたいで、アニメによる地域振興では成功例に入るでしょう。
本日は、私が大好きな超ネガティブ主人公比企谷が登場するラノベとアニメのお話でした。お子様との話題のネタになれば・・・・「やだ、お父さん、キモ!!」と言われるのが落ちでしょうが・・・。
ちなみに、私は聖地巡礼の写真を娘と息子の携帯に写メしちゃいました。食い付き良かったですよ!!
<追記>
アニメ第一期は低予算でした。それを逆手に取った様な割切ったカラリとして演出が、キャラクターの魅力を引き出す結果となり、この作品をベストセラーに押し上げたとも言えます。
一方、原作もコメディー色が薄らぎ、真剣に主人公達の心の成長を描く第二期は、
製作がBONSに変わり、製作会社がブレインズベースからfeelに変わり、スタッフも大幅に入れ替わっています。内容もシリアスでリアルな表現にシフトしています。(これは賛否両論で、私は第一期の吉村愛監督の功績は多大だと思っています。)
アニメ的な演出が魅力だった一期とは反対に二期は実写的で丁寧な演出がされています。特に生徒会長の一色いろはがコンビニ袋を比企谷に手渡す交差点でのシーンなどは、引いたショットで会話も聞こえませんが、そのやり取りを視聴者が十分の想像できる名シーンでは無いでしょうか。
こういう表現はアニメばかり見ているスタッフでは作れません。優れた実写映画を見ているからこそ作り得るシーンだとも言えます。
原作でもそうですが、二期で一番魅力を発しているのは1年生の生徒会長の
一色いろはです。打算的で自分が他人のどう見えるかを常に計算している様な女子ですが、比企谷には素直な所を見せます。
ただ、素直な様でいて、素直じゃない。学園のヒーローの葉山に熱烈アタックしていますが、その狙いは比企谷の注意を引く事・・・本人も自覚していないのでしょうが、雪ノ下と由比ヶ浜は女の勘で、うっすらと危機感を抱いている様です。(私の妄想かも知れませんが)
雪ノ下の姉の存在も含め、謎が多く残されており、10巻まで発売されている原作の続巻が気になって仕方がありあません。