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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

2021冬アニメ・・・お勧め?

2021-12-17 03:29:00 | アニメ
 
■ 2021冬アニメ・・・アニメが面白く無いと感じる・・・ ■

最近、アニメを観ても面白く無い。理由は簡単で、アニメを観て育った世代が作るアニメに興味が持てないから。演出手法や作画の完成度は標準をクリアしていますが、「〇〇に似ている」作品ばかりが量産されて、驚きに乏しい。

そんなアニメ・ダウナーな気分で今期アニメのオススメをセレクトしてみました。



『吸血鬼すぐ死ぬ』より

少年チャンピオン連載のギャグ漫画のアニメ化。「昔のギャグアニメってこうだったよね」という雰囲気に満ちていますが、流石はベテラン監督とマッドハウス。「今のアニメに欠けているもの」が良く分かっている。

「見た目の完成度」ばかりファンが評価する時代に、あえて「低い完成度の持つ強靭さ」を前面に押し出しています。アニメや漫画は2次元の絵に過ぎませんが、如何に立体的に見せるかに作画は情熱を注いで来た。CGの時代に、海外では、この苦労も最早昔話になりつつありますが、日本人は未だに疑似3次元に拘りを持っています。

一方で、漫画では2次元的な作品も未だに多く存在します。多くは作家の作画能力が低い事に起因しますが、それでも面白い作品は面白い。『吸血鬼すぐ死ぬ』は、この系統の作品。とにかく原作漫画の会話のテンポが良いらしい。それをアニメは声優の演技力との相乗効果で見事に再現している。

次々にネタをブッコミながら、テンポ良く繰り出されるギャグは、古い漫画やアニメファンならば懐かしさを感じるでしょう。私などは「アニメーションはこうでなくちゃ!!」って喝さいを送りたい。

OPもEDも良く出来ています。OPは曲と動きのマッチング、そして、EDはアヌシー(カンヌのアニメ部門)受賞の『カラミティ』をモロにパクった演出ですが・・・それだけの衝撃が『カラミティ』には有る。『カラミティ』自体、作画の完成度とは別のベクトルを持った作品ですが、アニメの可能性を拡張する力は強い。これをパクった事は私的には高評価です。(ちなみに『カラミティ』劇場予告とネットのPVしか観てません・・・)




『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』より

この題名・・・多分一生掛かけても覚えられません・・・。
評価すべき点は、「リットがカワイイ、リットがカワイイ、リットがカワイイ・・・」以上!!

モトイ!!評価すべき点は「素直な作品」である事。

人々が「加護(適正)」を持って生まれる世界。「勇者の加護」や「盗賊の加護」など、人々は加護に従って職業を選択すると成功し易い。主人公レット(ギデオン)の加護は「導き手」、そして妹は「勇者」。レットは勇者になるべく約束された妹を支え導きますが、「戦闘能力不足」を理由に勇者パーティーを追放されます。

そんなレットが辺境の国で薬屋を営む人生を選択する。勇者パーティーの一員であった過去を隠して。そこに、かつて勇者パーティーが救った国の王室の娘のリットが現れます。英雄とされるリットは密かにレットに恋をしていましたが、いきなりレットと一緒に住むと言い出す。いわゆる「押しかけ女房」。最初は手を握る事も恥ずかしがっていた二人は・・・。

とまあ、他愛の無い「爆ぜろリア充」な内容の序盤ですが、レットの誠実さとリットの可愛さでついつい視聴を継続してしまいます。とにかく、物語が素直で優しい。しかし、「魔族」「加護」にまつわる不穏な空気は辺境のムラにも忍び寄ります。

在り来たりな異世界作品ですが、構成がしっかりしているので観るに堪える。というよりも、物語のステロタイプ(神話の体系)に忠実な作品です。現在の異世界モノの原点は「ロールプレイングゲーム」ですが、その根本は「神話」にあります。「魔王を勇者が倒す」物語。

一般的な異世界モノは「魔王が勇者を倒す」という表面をトレースします。しかし、この作品は「幸せな生活を脅かすモノを倒す」という神話の本質に忠実です。だから、レットとリットのキャッキャ・ウフフの生活や、村人との交流の描写が重要になります。この幸せを脅かすのは魔物だけではありません。レットを勇者パーティーに連れ戻したいと願う仲間の善意も、二人の幸せにとっては脅威です。だからレットは頑なに勇者パーティーに戻る事を拒絶しますが、リットとの幸せを守る為ならば剣を取ります。

「この剣を取る理由」が重要です。多くの異世界モノは「異世界に勇者として召喚されたから戦うのは当たり前」という所からスタートします。これはゲームのスタートボタンには忠実ですが、物語の作法としては最初から破綻しています。だから異世界召喚モノを私は嫌うのです。

決して『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』が優れた作品と褒める訳ではありませんが、物語のプロットとしては素直で好感が持てます。これをジブリが上手く料理すれば、劇場でヒット作品が生まれる。そんな素材の一つだと思って鑑賞するのも楽しい。

でも「リットがカワイイ」成分が99%ですが・・・。

OPの曲は今期No1。



『先輩がうざい後輩の話』より

これも「優しいお話」。新入社員の低身長女子が、体育会系の先輩に付いて働く職場日常系作品。新しい所は一切有りませんが・・・好感が持てる作品。

コロナで世の中がギスギスした時代、そしてテレワークで「職場」自体が消滅しつつある時代に、人々が集う協力し合い、そして優しく相手を気遣う「理想の職場」に強く郷愁を感じてしまう。



『ワールドトリガー 3rdシーズン』より

何故か戦闘シーンよりも、作戦会議や、上官との会議のシーンが面白い作品。戦闘シーンは「永遠に続くナルトの中忍試験」と言えば分かり易いかな。



『無職転生』より

完成度は高い。だけど・・・・何かが足りない・・・・。
さらにエリスが消えたとなると・・・何を楽しみに観れば良いのか・・・・。


以上、アニメ熱が下がっているからか、それとも良い作品が極端に減った為か、アニメに熱くなれない昨今ですが、個人的には「素直で優しい作品」を好んで観ている気がします。


以上、2021冬アニメのオススメでした。

実写映画よりも基本に忠実な『岬のマヨイガ』・・・カメラワークの教科書

2021-08-28 03:14:00 | アニメ
 

[[youtube:nYM7-I05ecc]]


■ 『のんのん』コンビによる震災アニメ ■

『のんのんびより』の川面真也監督と脚本の吉田玲子のコンビの劇場映画『岬のマヨイガ』が公開されました。大好きな監督なので、初日に映画館にGO!!



原作は柏葉幸子氏の児童文学で野間児童文学賞を受賞しています。私は未読ですが、講談社のホームページにあらすじが書かれていました。

両親を亡くした萌花は親戚に引き取られる為、ゆりえは夫の暴力からのがれる為、岩手県の狐崎にやって来ます。しかし、そこで震災に襲われ避難所に逃れる。そこで身元を問われて困惑する所を、山名キワとおう老人に助られる。萌花は「ひより」、ゆりえは「結(ゆい)」という自分の孫だと老人は良い、彼女達を岬の古民家に誘う。そこから女性3人の奇妙な同居生活が始まるが・・・どうもその家は不気味な気配が漂い・・・。

原作は事故で両親を失った少女と、DVを逃れて夫との絆を絶った女性という設定ですが、アニメでは「ひより」の設定はそのままですが、結は女子高生で父親の暴力から逃れて来た事になっています。祖母-母-娘という疑似家族が、祖母-姉-妹という疑似家族に置き換わっている。

東北をアニメで元気にするプロジェクトで制作される3本のうちの1本だそうです。


■ あえて小津的な演出を封印している ■ 


『岬のマヨイガ』より

川面真也監督と言えば『のんのんびより』で見せた「固定の長回し」や「間の長さ」など小津安二郎の正統な後継者と言えるアニメ作家です。(私的に)

時間の魔術師・・・『のんのんびより りぴーと』の川面真也監督 「人力でGO] 2015/8/1

しかし、今回の作品では、敢えて小津的な演出はされていません。移動カメラも多しし、カット数が極端に少ない事も無い。川面監督らしく間は少し長めですが、『のんのんびより』程は長くはありません。これは映画の尺との兼ね合いでしょう。

ただ、あえて言えば、縁側に3人が腰かけておむすびと食べるシーンが、3人が正面(カメラ)に向かって話すという小津的なカットになっているなとニヤリとさせられる。(縁側に並べば当然ですが)


少し話が逸れますが、小津安二郎は黒沢明とならぶ世界的な映画監督で、ゴダールやトリフォーなど熱烈なファンも多い。

極端な固定ローアングルの長回しを特徴としていますが、同時にイマジナリーラインを無視して人物達が並んでカメラ目線で会話するという不思議な演出をする事でも有名です。私は小津の小津らしさはむしろ後者にあると感じています。違和感がハンパ無いのです。


四角いちゃぶだいだとカメラに収めた時に誰かが後ろ姿になってしまいます。一般的なホームドラマでは丸いちゃぶ台を使ってこれを解決します。丸いちゃぶ台ならば、カメラ側に人が座らなくても自然に見えるからです。

ところが、小津の場合、カメラに背を向ける位置に居る人が、クリりとカメラに向かって会話をします。これはイマジナリーラインを無視した構図なのでとても違和感があります。

普通の監督は、イマジナリーライン内にカメラを置いて会話する人の視点で撮影するか、先述の様には丸いちゃぶ台を用いて、カメラ側に人を配置せずに引いた視点で全員の表情をカメラに収める場合が多い。

イマジナリーラインとは会話する人と人を結ぶラインで、例えば会話のシーンではこのラインに近い位置にカメラを置くと、主観視点で相手と会話をしていると自然に感じる様になります。このラインの外側にカメラを置くと客観視点になります。


『岬のマヨイガ』より

これはちゃぶ台で食事をするシーンをイマジナリーラインの外側から描いています。キヨおばあちゃんは後ろ姿になる。ところが小津映画では、後ろ姿の人が振り向いて喋るから違和感ありまくりで、それが映像の個性となる。


話が逸れましたが、『サクラダリセット』でもそうですが、川面監督は普通の演出で普通に作品を撮る事も出来る。むしろ、TVシリーズの『のんのんびより』は相当に狙った演出をしていますが、キャラクターの強さがそれを支えています。


■ 実写映画のカメラワークを研究し尽くしている ■

『岬のマヨイガ』のキャラクターはシンプルな描線で描かれ、影の漬け方も薄いので平面的です(絵的に)。ところが、2次元キャラのアニメを観ているのに、私は実写映画を見ている錯覚に襲われました。「小劇場で上映される様な日本の実写映画」を見ている気分になった。

これは、川面監督が徹底的に実写映画のカメラワークを研究し尽くしているから、そう感じるのだと思います。縁側を少女二人が拭き掃除するシーンが典型的ですが、引いたアングルで全体を収め、ローアングルで後ろと前から捉え、さらにカットアップを3回繰り返す・・・これ、完全に実写映画の演出です。特にカットアップで時間の経過を表す方法などは、古典的映像実験なので、今の映画ではあまり見る事が無く、ニヤリとさせられます。」

■ 震災をテーマにした映像作品では頭一つ抜けている ■

作品の前半は徹底的にアニメ的な動きや演出は抑制され、震災被災地で生きる人を、どれだけリアルに描くかに重点が置かれます。震災を嘆き悲しむ人達では無く、被災地を離れずに逞しくそこで生きる人達の血の通った生活が被災地の風景を背景に描かれて行きます。これ、震災をテーマにした様々な作品の中でも、頭一つ抜けている。

被災地の悲惨さや、人々の心の傷をこれでもかと見せつける作品は多いのですが、被災地の風景を背景に、それまでの生活を普通に生きている姿を描く事で、むしろ彼らの心の痛みが視聴者にジワジワと伝わる。漫画では『リバーエンドカフェ』が近い肌合いです。

■ 人と不思議が同居する遠野 ■

『岬のマヨイガ』は児童文学ですから、当然子供が喜ぶ仕掛けがされています。それは、彼女達が暮らす古民家が「妖怪=マヨイガ」なのです。

「マヨイガ」は山の中を移動うする妖怪で、山で迷った人をもてなしす事が大好きです。さらにマヨイガから何かを持ち帰ると、その人は成功して財を成すとキヨお祖母ちゃんが語ります。3人が暮らすマヨイガは、若い娘達の為に、こじゃれた家具を用意し、暖かいお風呂を準備し、そして水が飲みたいと言えばコップの水を用意する・・・。

さらに、東北地方の妖怪や、お地蔵様達が登場して・・・物語の中盤以降は、児童文学を原作とした作品らしさが出て来ます。

特にカッパは素晴らしかった。動き、セリフ回し・・・どれを取っても最高のカッパです。

■ 「原作もの」の難しさ ■

児童文学原作という事で、同じ吉田玲子脚本の超名作『わかおかみは小学生』を期待してしまいますが、今回は少し肩透かしとういか、吉田玲子にしては筆が重い感じがします。

原作を大幅に改変すれば、もっと違う作品になったと思いますが、後半は特に原作に引っ張られてしまった感じが強い。少女の成長のイニシエーションとして敵との戦いが設定されるのはアニメや児童文学としてはオーソドックスですが、この映画に関して言えば、このクライマックスこそが作品の質を下げています。

確かに敵は、人々の傷ついた心の象徴ではありますが、この作品にスペクタクル要素は似合わない。もう少し地味な敵の方が良かった・・・。

原作のエピソードも丁寧に拾っているので、それぞれのエピソードに深みが無い感じもします。もっと要素を減らしても良かったかも・・・。


■ 戦犯は大竹しのぶと芦田愛菜 ■

ネットなどではキヨを演じた大竹しのぶと、結を演じた芦田愛菜を褒める声が多いのですが、この映画に魔法が掛からない元凶はこの二人の声優起用です。

大竹しのぶの声は重すぎて怖い・・・。朗読劇をやっている様で、感情が感じられません。一方で、昔話を語るシーンは、超絶クオリティーな実験アニメ映像によく声が乗っていました。(ここだけ切り取ればアヌシーで賞が取れる)

芦田愛菜は、いくら感情の起伏な少ない子の役とは言え・・・あまりに棒です。語尾に感情が全く乗らない。

一方、両親を無くしたショックで喋れなくなった「ひより」は、当然喋らないので映像で全てを語ります。筆談する鉛筆の音や、僅かな顔の表情の変化が、下手な声優よりも雄弁に彼女の中の、ささやかな感情を拾い上げます。もう、可愛くて、可愛くて、抱きしめたくなってしまう。(ロリじゃないぞ)


私はアニメ映画に俳優を起用する事に昔から反対です。ジブリが始めた手法ですが、宮崎監督などは「声優のオーバーな演技より俳優の自然な演技が良い」と言っていた様ですが・・・・これ単に観客を動員する為に考案されただけだから。〇〇さんが声優に挑戦。すばらしい演技!!って前宣伝して客を集める。

やはり声優と俳優では、天と地との差が有ります。ただ、主人公が少女だったりする場合は、舌足らずな俳優のセリフ回しが妙にマッチする事も在りますが・・・。


■ 観に行くべきか? ■

『岬のマヨイガ』を観に行くべきか、行かない方が良いのか・・・。

映像を勉強されている方達は、絶対に行かなければいけません。アニメで実写を再現する方法はいくつかありますが・・・これ程までに正攻法でそれが成り立つ事に驚愕するでしょう。

一方、一般的なアニメファンや、映画ファンはどうか・・・。多分、丁寧な作品とか、背景がキレイという印象しか持たないでしょう。映画を観終わった後のワクワク感が少ない。


初日の夕方に回に新宿のバルト9で観ましたが、観客は若い男性(多分『のんのん』のファン)が20名程、それと中年の夫婦と、若い女性が一人。


『わかおかみは小学生』の時は子供連れが居ましたが・・・緊急事態宣言下というのもあって、子連れは皆無。子供向き映画としては可哀そうな状況ですが・・・これ、子供向きじゃないから、コアな映画ファンこそが楽しめる作品だから・・・。

正直な感想としては、この映画誰得なの???  そう思わざるを得ないが、オレ得な映画である事は確かです。

川面監督、パナイわぁ~~



<追記>

川面監督と言えば、音への拘りがハンパ無い監督ですが、今回の映画も「自然の音」に満ちていました。ただ、音楽が邪魔・・・曲数は半分でイイかな。羊文学による主題歌も単体で聞けば良い曲ですが、エンディングとしてはどうかな・・・。

あと、劇場の問題かも知れませんが音が大きすぎる。


<追記>

実は川面監督の演出をこれ程褒めておいてなんですが、昔話のシーンの「超絶作画」の劇中劇bに全部持って行かれました・・・。これ凄すぎます。予告で観たアヌシーのグランプリ作品の『カラミティ』の映像の凄さと相まって・・本編が完全に喰われてマス。

アニメを真剣に勉強しているアナタ・・・この2つの「超絶作画」を観たら人生が変わるかも知れません。『カラミティ』は9/23公開。



『カラミティ』より

圧倒的な映像と圧倒的な駄作感・・・『竜とそばかすの姫』

2021-07-19 03:32:00 | アニメ
 


『竜とそばかすの姫』より


ここから下は未見の方はご遠慮下さい。



■ 圧倒的なんだよ・・・ ■

未見の方が多いと思いますので、あまり細かくは書きません。

「圧倒的な映像表現が随所にちりばめられた、圧倒的な駄作」 以上。



冒頭15分のバーチャル空間の映像だけで観に行く価値は十分あり、

駅での「グラナダの奇跡」の進化系を観るだけで往年のファンには嬉しい。

なのに、何故か、観終わった後にに圧倒的なガッカリ観が襲って来る・・・・


脚本だよね・・・。


細田監督は『美女と野獣』をやりたかったと語っている様ですが、マンマじゃねぇーか!!

捻れよ・・・。



さらに・・・野獣の正体は・・・おい、これあり得んだろう・・・。

父ちゃん、モブキャラじゃねぇーか!!?

母ちゃん、何であそこで激流に挑むの?

おい、男子高校生二人・・・君ら物語に絡んでいないじゃん、「時かけ要員」ですか?

コーラスのオバちゃん達誰だよ・・・って、何で歌えない娘が市民コーラスに居るの???

おい、サックス吹いてる美少女・・・カワイイじゃん・・・

カヌー男子、お前主人公とどういう関係だよ・・・説明無いじゃん・・・・。


■ 脚本の役割 ■

カンヌで濱口監督が脚本賞を受賞しています。村上春樹の原作を映画化した「ドライブ・マイ・カー」による受賞です。

文章としては完成の域に達していると思われる村上春樹の原作を映像表現にするに当たり、脚本は「取捨選択と補足」を要求されます。(未見なので詳しくは分かりませんが)

例えば、原作では時系列で進行している物語を、クライマックスからスタートさせる手法は一般的です。観客は飽きやすいので、最初に掴みが無いと「つまらない」と感じるからです。

或いは、文章を映像化するに当たり、セリフを大幅に削る事も在ります。映像で説明出来る所は映像に任せた方が効果的な場合も多いからです。

登場人物をマルっと削る事も在ります。映画の尺に合わせる為に不要なエピソードを削る為です。或いは主人公が男性から女性に変わる事も在ります。『夏美のホタル』がこの例で、原作は男性が主人公でしたが、映画では有村架純が主人公となっています。

この様に、映像作品における脚本家の役割は非常に大きい。特にオリジナル作品の場合は、物語の全てが脚本家に委ねられています。

■ 「必然性」と「偶然性」そして「必要性」のバランス ■

上の書いた様な事は、脚本の技術的な問題に過ぎません。

脚本に限らず物語に必要なのは「必然性」と「偶然性」そして「必要性」のバランスだと私は考えています。

例えばラノベやアニメ作品がバカにされる原因となる「ご都合主義」ですが、これは「必然性の欠如」と言い換える事が出来ます。物語の進行上は「必要性」が高いのですが、「必然性」が低いので、視聴者や読者はそれを「唐突」で「ご都合主義」と感じる。

やはり作品に納得を得る為には、登場人物やプロットに「必然性」は不可欠です。ある人物が搭乗するならば、その人物が登場する「必然性」が必要です。物語の進行にその人物が不可欠であると納得する必要がある。

この場合、ランクには色々あります。ゲームの「村人A」の様な登場人物も居ますが、これも物語の進行には不可欠です。物語の分岐に関わっているからです。これは「名脇役」などと呼ばれる人達が演じる事が多い。思わせ振りな態度や視線で、一瞬で不穏な空気を作ったりする事が要求されたりします。

一方「クラスメイトA」あるいは「モブキャラ」はあまり物語には重要では在りません。これは「背景」として機能するだけで、物語の進行に関わらないからです。

もう少し重要な登場人物になると、物語の進行に不可欠で、主人公の行動に強く影響を与えます。当然、登場時間も長くなります。

これらの「必要性」と「必然性」が満たされている事が、物語の最低限のルールです。


■ 「偶然性」はスパイス ■

「偶然性」は物語のスパイスとして機能します。

例えば、「刑事と犯人が偶然出会っていた」んどという設定はテッパンです。さらに心惹かれて合っていたなんて展開は私的な好物です。

但し、「偶然性」にも禁則はあります。例えば連続殺人犯が偶々職質で見つかってしまうのはNG。「偶然の連発」もNGでしょう。(これツマラナイ推理ものでありがち)

「偶然」は「伏線」としても重要です。一見、物語に関係の無い人物が、実は裏で物語に大きく絡んでいたなんていうのは良く使われる手法です。読者や視聴者は、登場人物の全てに注意を配らないと、「伏線回収のアハ感」が得られない。上手な伏線が張られた作品は読後や視聴後の満足度も高い。

一方で、「こいつ怪しい」とか「実はこの人が裏で絡んでいる」と思われた人物が、ただの登場人物Aだった時の失望も大きい。少なくともその人物が物語に絡めば納得もしますが、結構登場時間が長かったり、主人公にとって重要な存在なのに、「出て来ただけ」だと興ざめします。


■ 重要なシーンをどう繋いでゆくか ■

ハリウッド映画の脚本は観客を飽きさせない為に3分に1回は笑わせたり、ハラハラさせたりする必要が有ると言われています。しかし、私はそれが優秀な脚本だとは思いません。むしろダメな脚本。

優秀な脚本とは、最後のクライマックスを盛り上げる為にコツコツと伏線を積み上げ、登場人物を掘り下げ、物語の帰結としてのラストへの「必然性のレール」を敷く行為だと考えます。

物語全体としてダラダラしない為に、重要なシーンをしっかりと描き、その間のシーンで主人公の性格や物語の背景を掘り下げる様な地味なシーンで上手に繋ぐ事こそ脚本家の手腕だとも言えます。

尤も、意図的にこの約束に反する事で成立する物語がある事も理解しています。「裏切りの快感」で成立するトリッキーな作品ですが、面白いけれど名作とは成り難い。


■ 細田監督は断片的なシーンは天才的 ■

細田監督は、単体のシーンの構築に関しては天才的な監督です。人物の配置や動かし方。寄りや引きのバランスや、その崩し方など、映像表現としては今作でも驚きの連続です。

一方で、物語をスムーズに展開させる事は苦手かも知れません。「ドレミと魔女をやめた魔女」などでは、この「違和感」が演出として非常に効果的ではありましたが、それは脚本がしっかりしていて、全体として物語が上手く収束するからこそ生きるす。

個性的な監督には同様の傾向があり、『のんのんびより』の川面監督なども物語をスムースに流す事が苦手な様です。吉田玲子の緩急自在の脚本の上で川面監督の個性が輝く。

細田監督も「サマータイム」ではしっかりした脚本によって彼の優れた演出が支えられていた。登場人物はとても多い作品ですが、親戚の人達のキャラクターがしっかりと描かれ、それぞれに物語の推進力として機能していました。私、この作品は劇場で5回位い観ました。本当に素晴らしい作品でした。

しかし、『竜とそばかす姫』では、圧倒的な映像や演出に鳥肌は立ちますが・・・・物語としては不満だらけです。


■ 制作会議の初回プロットを大金で映画化した様な作品 ■

今作では細田監督は脚本も担当していますが、オリジナルなので原作者でもあります。ここに最近の『バケモノの子』以来の細田作品の問題が有ります。


多分、監督が頭を捻って彼が考える「大人から子供まで楽しめる物語」をスタッフに提示していると思いますが、本来なら制作会議の初回で提示されるプロット的なものをブラッシュアップせずに脚本にしている。

きちんとした制作現場ならば、「この登場人物は必要なるのか」とか「この展開はもっと捻りが必要」だとか、「ここは分かり難いからシーンを加えよう」などと脚本家に注文が付いて、何回も書き直しをした後に制作に取り掛かる。それがされていないのでしょう。

これによく似た制作現場を皆さんもご存じでしょう。そう、スタジオジブリです。原作も脚本も宮崎駿がクレジットされていますが、彼の場合はいきなり絵コンテから始まる様です。制作が始まってもラストが決まっていないなんていつもの事。だから後期の作品は、物語の途中から、がらりと内容が変わってしまったり、ドタバタ劇になってしまう事が多い。


■ 観るべきか、観ないべきか ■

色々と酷評してしまいましたが、私は『竜とそばかすの姫』を劇場で観るべきか、観ない方が良いかと聞かれたら、ライトなファンは観るべきと答えます。普通に観る分には、後期宮崎アニメ程度には楽しめます。開始後15分の映像だけで満足するでしょう。

では、コアな方から聞かれたらどう答えるか・・・「やはり観るべき」と答えるでしょう。例え断片的であっても、バーチャル空間の演出は圧倒的であり、ディズニーアニメに真っ向からチャレンジした結果も見届ける必要を感じます。

特に書割的なシーンが連続する城へ通じるシーンなどは、アニメならではの演出でゾクゾクします。

そして『天気の子』と同様に、どんなに素晴らしい映像や演出であっても、脚本が破綻していたら物語としては成り立たない事を確認するだけでも、観る価値がある作品だと思います。


■ 『虹色ほたる』『がっこうぐらし!』『神様になった日』を見返している ■

偶々2013年のアニメ映画『虹色ほたる』がアマゾンで観れるので、観てみましたが・・・「高畑勲作品??」と思うほどに素晴らしく5回も観てしまいました。コンパクトな物語ですが、丁寧に描かれていて物語として破綻が無い。さらに動画がもう鳥肌もので、実写から書き起こしたロトスコープかと思う程、子供の動きがリアルです。

『がっこうぐらし!』も偶々見直していますが、「構成の勝利」としか言いようの無い作品。原作を褒めるべきなのでしょうが、脚本も見事。

『神様になった日』は聖地巡礼に行ったので見直していますが、一見、「ご都合主義の連続」の代表格の麻枝准の脚本は、何故か最後の感動に見事に収束して行きます。ゲーム作家ゆえの手法と思えますが、1話に普通の作品の3話分程度の内容が凝縮されており、「言葉が強い」ので、強引に物語の展開に視聴者を引きずり込む力はパナイ。(麻枝作品としては感動が薄いですが、やっぱロリは生理的に無理かも)


TV局がタイアップして予算を贅沢に欠けられる大作が駄作を量産する一方で、少ない予算をやりくりする為に、しっかりとした脚本で制作に挑む事で名作化する作品があるのも事実。


『竜とそばかす姫』・・・実は素材は素晴らしいので、きちんとした脚本家で観てみたかった。それだけが残念でなりません。



最後に・・・「主人公がゲロを吐くアニメは傑作」という私の中のジンクスが崩れました。

こんな所に行ってきた

2021-07-12 12:54:00 | アニメ
 
雨は嫌いでは無い。むしろ好きな部類だ。

だけど、毎日続くと嫌気もさしてくる。

雨から逃れるには標高の高い場所に行けば良い。

木曜日に思い立って直ぐに宿を予約して、

土曜日の朝、電車で出発です。

行き先は….こちら。





風呂から甲府盆地が一望出来る絶景温泉、モチロン聖地。

雲の上に一瞬だけ富士山が頭を出しました。







こちらは、ダブル聖地。

ユルイ奴と、泣けるヤツね。






そしてこちらにも又伺いました。





実は今回の旅行のメインイベントはコチラ。

野生ですゼ!


詳細は後日。

大人のガンダム・・・『閃光のハサウェイ』

2021-07-05 00:30:00 | アニメ
 



■ 『閃光のハザウェイ』はハリウッド映画だった。 ■

最近はオタクに対する世間の風当たりも相当に薄れ、仕事先でもオタクトークは若者とのコミュにケーショに役立っています。特に男子はガンダムは大好きで、世代を超えて盛り上がるネタの一つ。

「ファーストガンダムをリアルタイムで観た」と言うだけでマウントが取れる・・・。

そんなこんなで、仕事先の若者がパンフレット持参で是非とも観て欲しいと力説して来たのが『閃光のハザウェイ』。

実は勧められなくても観る気マンマンだったのですが、私は原作が福井晴敏だと思っていたので、ユニコーンみたいなグダグダは嫌だな・・・と思い、劇場に足を運ぶには至らなかった。ところが、オタクトークの中で原作が富野で、監督は富野で無い事を知り、俄然、観る気がマシマシ。早速船橋のららぽーとのTOHOシネマズで観て来ました。

感想を一言でいえば「ハリウッド映画じゃん・・・これ」。これ、褒めてます。

■ クエスってうざかったよね ■

『閃光のハザウェイ』を観る為には、『逆襲のシャア』を観る必要が有ります。エヴァンゲリオンの庵野監督が同人誌を作った事でも有名な富野監督の名作劇場版ガンダムですが、実は映画としての出来はイマイチ。何故ならば、本来3連作で語るべき内容が1本の映画に凝縮しているから。

だからと言って『逆シャア』が駄作だとは決して言えない・・・いや、むしろ前半2/3をダイジェストの様に演出しながら、ラストの胸熱展開に引っ張る演出はウルトラCとも言えます。セリフを短縮する富野語の連発がこれを可能にしています。

『逆シャア』はアムロとシャーに決着が付く事でスッキリする映画でしたが、ブライト・ノア艦長とミライさんの長男のハザウェイと、彼が思いを寄せるクレス・パラヤの存在がかなりノイジーな作品だった。

ガンダムファンのコアな世代が大人になった事もあり、『逆シャア』は大人になったアムロとシャアにフューチャした作品でしたが、若い世代が感情移入する為に、ハザウェイとクエスという存在が設定されていた。このクエス(享年13歳)という存在が、かなり不思議ちゃんで、まあはっきり言ってウザかった。

このクエスに振り回されたあげくに、激情にまかせて味方であるチェーン(当時アムロの彼女で富野の描いた女性でフラウと同じ位いマトモ)を殺してしまうだけでハザウェイは私の中で敵認定だけど、それだけにハザウェイのその後はちょっと気になっていた。

余談になるけど、アムロもシャアも女を見る目無さすぎだよね。アムロはフラウを嫁にしてたらきっと幸せだったし、チェーンをもっと本気で愛していたら死ななかった・・チェーンが。アムロ爆ぜろ・・ハァハァ!!・・・スミマセン、感情的になり過ぎました。

・・・なんだっけ、そうそう「クエスがウザい」って話と、ハザウェイ逝ってヨシって話だっけ。

■ それはトラウマにもなるよね ■

『逆シャア』では、最後に機体が回収されるシーンが「ちょこっと」写っただけのハザウェイだけど(カミーユなんて発狂したんだから・・・お前はヌルイ)、その後は、とても気になっていた。(〇ねば良いのに・・・チェーンを返せ!!チェーンはマジで俺の嫁)

そんなハザウェイの後日談を富野大先生はちゃんと書いていて下さっていて、それが今回の映画の原作。(富野大先生、是非ハザウェイに鉄槌を!!)

そのハザウェイ・・・コイツしっかりトラウマじゃん!!ザマァーーー!!!!

ケフン、ケフン・・・

すみません、ついつい感情的になりました。

でもね、イイよハザウェイ、お前、時が今ならば、コロナウイルスをモビルスーツでバラ撒いて、ワクチン接種をモビルスーツを並べて強要するよね、地球から人類を駆逐する為に!!!

■ 大人こそ劇場に足を運ぶべし ■

まあ、感情的な事ばかりですが(チェーンは俺の嫁)、『閃光のハザウェイ』は、ハリウッドメソッドで作られた作品です、大人の鑑賞に充分耐えるどころか、ガンダム未経験者にも抵抗の無い作品です。

ロケット弾が降り注ぐテルアビブや、報復10倍攻撃で蹂躙されるパレスチナのリアルをここまで表現した作品が、かつてあっただろうか・・・・。これだけで観る価値に価します。

実写下映画化でハリウッド制作が控えている様ですが・・・アメリカ人にガンダムは理解出来ません、だって彼らこそが富野の描く連邦のブタ共だから。

そんなパシフィック・リムになるしか無いハリウッド版よりも、『閃光のハザウェイ』はきっと2億倍面白い。

最後にちょっと書くけど・・・富野って女性不信なのかな・・・ギギとかギギとか・・ハマーンとか、キシリアとか・・・。それともMなのかな・・・。



・・・ネタばれ無しで書くの難しいね、だけどチェーン、敵は取ったぞ!!