人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

『ふたりソロキャンプ』・・・オヤジの夢とキャンプ入門

2020-05-12 11:27:00 | マンガ
 


■ キャンプ場で暇過ぎて、スマホで漫画をポチっとなしてしまった・・・。 ■



自転車でソロキャンに出かけたのは良いのですが、焚火もコンロも無いので、暇過ぎて、テントの中で『ふたりソロキャンプ』なんて漫画を1~5巻、ポチっとなしてしまいました・・・。これ、面白い。『未亡人登山』よりは、数段面白い。

ソロキャンプをこよなく愛する男(34才独身)の前に20才の女子が現れます。キャンプ場で、下半身パンツ姿で。もう、これだけで掴みはバッチリ。

彼女は一人でキャンプに来て、脚を滑らせ河で尻もちを着いて下半身がビショビショ。男の焚火に当たっている所に、彼がトイレから戻って来た。

時刻は夕暮れ、キャンプ場の管理人は帰った後なので、テントの無い彼女に男は「直ぐに帰れ」と告げます。すると、彼女、どうしてもキャンプ場に泊まると言って聞く耳を持ちません。「このままじゃ何しに来たか分からない・・」と。

さらには「どうにかしてくれなければ、押し倒されたと人に言う」と脅します。もうムチャクチャですが、男も根負けして一晩を共に過ごします。彼女はテントでシュラフに包まり、彼はテントの外で焚火の番・・・。

そんなムチャクチャな女ですが、食事を作るのだけは上手い。彼女が準備してくれたのは「ビア缶チキン」。丸ごとのチキンにハーブを散らし「お尻の穴から半分だけ入ったビール缶を突っ込む」なんとも残酷な料理。これを無視挙げると・・・えも言われる美味だとか。

彼女は彼に語ります。「皆とキャンプに来た事はあるけど、どうしても一人で行ってみたくなった」と。そして彼女が提案します。「ふたりソロキャンプをしましょう」と。

彼女が一人前のソロキャンパーになるまで、男に色々と教えてもらいたいと言うのです。行きも帰りも別行動。現地集合、現地解散。テントも少し離れてそれぞれ設営。但し、授業料として料理は彼女がすると提案します。彼女は短大を卒業したら調理師の専門学校に行く予定だとか。

男も女の熱心さに根負けして、こうして「ふたりソロキャンプ」は幕を開けます。


コミック・モーニング連載作品ですが、ソロキャン親父の「夢」が詰まった作品です。20才の短大生がオヤジとキャンプするか??ウチの娘だって「ヤダ」の即答瞬殺だよ。家内も・・・。

まあ、そんなオヤジ・ファンタジーを置いとくとして、この作品、キャンプのウンチクと、キャンプ料理のレシピで埋まっています。もう、読んでるだけで道具を買いたくなりますし、涎が口の中に溜まって来ます。


これを読めば家内も「私をキャンプに連れてって」って言うかなと思い薦めてみましたが、「いいよ、別に、虫居るし」で瞬殺。確かにテントに出入するだけで蚊が2~3匹入って来ます。その後はハンティング大会で結構楽しいのですが・・・。

『恋と国会』・・・国会の不思議、丸分かり!!

2020-01-24 04:25:00 | マンガ
 


『恋と国会』より

■ とうとう西炯子のマンガを買ってしまった・・・ ■

書店のマンガコーナーで何とも言えないオーラを放つ西炯子。10年程前、『娚の一生』を買おうか迷いながらも、まん丸な瞳の絵柄が好きで無かったので買わなかった事で、「自分的に乗り遅れた」作家というイメージが強く、今まで買う事に躊躇していました。

しかし、最近書店に並ぶ『恋と国会』というタイトルには抵抗出来ませんせんでした。だって「恋」と「国会」ですよ。このミスマッチ感、気になるでしょう。(ついでに『未亡人登山』というマンガも買ってしました。こちらのミスマッチ感もナカナカ。)

■ 秋葉原の地下アイドルが国会議員になった!? ■


『恋と国会』より

海藤福太郎(25)は祖父、父共に元首相経験者のサラブレット議員。幼い頃より国会議員の何たるかを叩き込まれた福太郎は父の引退で地盤を引き継ぎ国会議員となります。

そんな彼の前に表れたのは同じ1年生議員の山田一斗(25)。何と「元秋葉原の地下アイドル」という経歴の持ち主。2人は政権与党・大国民党に所属します。

国会の「と」の字も知らない一斗の言動はとにかく破天荒。国会冒頭の首班指名でいきなり自分の名前を書いて、「造反行為」として大国民党を除名されそうになるなど、とにかく無知故の型破りが目に余る状態。福太郎はそんな彼女を苦々しく思っていますが、何故か幹事長から「世話を見ろ」と言われてしまう。

何を言い出すか分からない一斗に振り回されながら、国会のリールや慣習を教えて行く内容ですが、「職業議員としての常識」はことごとく我々国民の常識からかけ離れている事に読書は驚きます。

■ 多忙な国会議員がどうして委員会に出席出来るの? ■

一例を挙げると委員会における「さしかえ」という習慣があります。国会には法務委員会や外務委員会など様々な委員会が有ります。各法案は関連委員会で事前審議されて本会議に提出される。議員は委員会に所属していますが、多忙な議員は委員会に出席する時間が作れません。

こういう時、「さしかえ」が行われます。1年生議員を中心に代理で委員会に出席するのです。法案が委員会を通過する為には1/2以上の出席が必用なので、その数合わせの為に与党は若手議員を代理出席させるのです。若手議員は「さしかえ」を掛け持ちしたりするので、「さしかえ」がどんどん入れ替わってゆく事も・・・。

私は常々、多忙な大物政治家が良く委員会に出席出来るなと疑問に思っていましたが、これを読んで、その疑問が氷塊しました。「なーーんだ」と思うと同時に、「民主主義」を「ルールとして形骸化」している国会の姿に飽きれました。

こんな「国会のトリビア」が満載の『恋と国会』。今後、福太郎は一斗に惹かれて行くのでしょうが、恋のライバルと思しき野党議員も現れ、2巻目以降が楽しみな一冊です。


■ 「多数決が正義」の国会で野党は「時間闘争」しか対抗手段を持たない ■

「民主主義」は単純に言ってしまえば「多数決」が全てです。国会で多数派の与党は、審議などせずとも強硬採決によって、どんな法律も成立させる事が出来ます。

しかし、それでは「数による独裁」となってしまうので、形だけでも国家で与野党が充分に法案について話し合って採決するというポーズを取ります。

ところが、皆さんも不満を持たれている通り、国会で法案の中身が議論される事は少なく、政府のスキャンダルの追及に野党は明け暮れています。これをして「くだらない野党」とか「無力な野党」と揶揄する人がネトウヨに限らず大勢居ます。(国民の殆どがそう感じています)

しかし、これが少数派の野党に精一杯の抵抗だという事を知っている国民は少ない。法案の内容を審議した所で、最後は「数の力」で法案は成立してしまいます。国民も「充分内容を審議した」と納得してしまいます。

そこで、少数派の野党は「時間切廃案」という「時間闘争」で抵抗するしか手が有りません。

本来、時間稼ぎは法案の内容の審議であるべきですが、国民はこんな細かい事に興味はありません。国民を見方に付けない限り「審議は充分尽くされた」として採決に持ち込まれてしまいます。だから野党は「国民が興味を示し易いスキャンダル」で審議時間を使い尽くし、「強硬採決を許さない空気を醸成」して、法案をまとめて「時間切れ廃案」に持ち込む「時間闘争」を常套手段にしています。

■ 国会は既に法案の中身を審議する場では無くなっている ■

そもそも日本の国会は法案の中身を審議する場では無くなっています。その理由は「議員が勉強不足」だから。

日本の法律は「議員立法」が少ない事は皆さんもご存じだと思います。法律の多くは「閣法」です。「閣法」は、内閣が閣議決定して国会に提出される法案の事です。

1) 官僚が法案の雛形を作る
2) 自民党内の政務調査会の部会で法案の内容が審議される(利権の調整)
3) 自民党の「総務会」で法案の内容が検討される(さらなる利権の調整)
4) 国会への法案提出が閣議決定される

5) 国会内の委員会で法案が審議される(野党との調整)
6) 法案が本会議に提出され、審議後に採決される

自民党は「政治主導」の名の元に小泉政権時代から国会議員の国会での自由な裁量を制限して来ました。議員は国会で自民党が提出した議案に反対すると、次の選挙で党の公認が得られなくなるのです。だから、現在の国会議員は「数合わせ」に過ぎないのです。

当然、国会議員の質も低下します。かつては政策に精通した議員も多く居ましたが、現在では「選挙で勝てる議員」が「良い議員」です。世襲議員で後援会の基盤がしかかりしていたり、或いは話題性があって当選が見込める人が党の推薦を受け易くなります。

かくして国会で法案の中身を審議出来る議員が居ない、いえ必用無くなったのです・・・。


イギリス議会にしても、アメリカ連邦議会にしても、民主主義は形骸化しており、民主主義の理想とは大きくかけ離れた物になっていますが、日本の国会の形骸化はその最たるものかも知れません。「民主主義」が本当に機能する為には「理知的で公平な国民」が必須ですが、実際には国民は「利己的な集団」に過ぎません。結果的に民主主義を国民の手に委ねると国家は滅亡します。だって、税金払う人、居なくなりますから・・・。

「民主主義」は近代政治が生み出した「妥協案」ですが、様々な手段を使って「民主主義を制約」する事で機能して来ました。日本の国会システムも、長い年月をかけて作られた「妥協案」の一つです。

国民から見ると「理解不能」な国会システムですが、これも先人の知恵(と欲望)の結晶と思えば、評価する点もあるのかも知れません。










『恋と国会』とセットで買ってしまった『未亡人登山』。はっきり言って「タイトル買い」です。どちらのタイトルもミスマッチ感がMAX。

内容は、山で最愛の夫を亡くした「未亡人」が、夫が残した登山手帳を元に、夫の山での足跡を辿るというもの。最初の谷川岳こそ「喪服で登山」というエキセントリックな内容でしたが、その後は若い男性とイチャイチャ登山に変容。・・・おい、未亡人、夫があの世で泣いてるぞ!!とツッコみながら読みました。

まあ、どーでも良い作品ですが・・・軽い内容だけに、何故だか「気軽に山に行きたくなる」そんな不思議な機能を持った一冊です。二巻完結の様ですが・・・。


しかし、「未亡人」という言葉、何故こんなにも男心を刺激するのでしょうか・・・。同じ対象を表現する「若後家さん」とは雲泥の差です。私的には「未亡人」のイメージはジャンヌ・モローですね。これにピンと来た人は、多分それなりのお年ですね。トリフォーの『黒衣の花嫁』、私も騙されて殺される側だな・・・。(「若後家さん」のイメージは関根恵子・・・)

ジャンヌ・モローの妖艶さに比べると、『未亡人登山』の未亡人は、全然「未亡人指数」が足りません。むしろ生娘って感じで原点5。

祝・『海街diary』完結・・・吉田秋生作品の登場人物達の救済だった

2019-01-10 08:18:00 | マンガ
 


『海街diary』より

■ 平成マンガの最高傑作がここに完結! ■

もし、私が誰かから「何か良いマンガを教えて」と聞かれたら、絶対に吉田秋生『海街diary』をお勧めします。


1)「面白い」のでは無く「良い=良質」なマンガ
2)老若男女を問わず、誰もが共感できる内容
3)純文学に匹敵する高度な表現力
4)沢山の登場人物それぞれに、しっかりとした存在感と人生観を持たせる群像劇の極致

しかし男性諸氏に少女漫画のハードルは高いらしく、実際に買って読んだ人はいません。むしろ最近は是枝監督の映画の方が有名になってしまったので、「ああ、あの映画の原作だよね」で済まされしまう事が多い。


個人的には平成になってから出版された、あらゆるマンガの中で最高の作品だと信じています。『海街diary』の初版本が出た時に、しかりと本屋でジャケ買い(表紙買い)した事が、私のマンガ好きとしての矜持となっている。


<ネタバレ全開・・・ご注意を >


■ 普通の人達の普通の物語 ■


鎌倉に住む3姉妹の元に、父親が訃報が届きます。父親は離婚して家を出ており、母親も姉妹を祖母に預けて他の男と再婚しています。父が家を出たのは3女が生まれて間もない頃なので、「父が死んだ」と聞いても、次女と三女には今一つ実感が有りません。

旅行にでも行く様な感覚で山形の温泉街にやって来ますが、そこで彼女達は自分達に血の繋がった中学生になる妹の「すず」が居る事を知ります。実は父親は、すずの母親とも別れており、今は別の女性と暮らしていました。すずには、父の再婚相手の連れ子の血の繋がらない弟達が二人居ます。(ちょっと複雑で家系図でも書かないと理解が難しい)

父親の死によってすずは血の繋がらない母親と兄弟と暮らす事になりますが、母親はどうにも頼りない。すずの身を案じた長女は、すずに「一緒に鎌倉で暮らさないか」と誘います。すずはそれを迷いも無く即座に承諾します。こうして、鎌倉の極楽寺に有る一軒家で、4人の姉妹たちの生活が始まります。

母親代りの長女の幸はしっかり者で看護師。病院の医者と不倫の関係ですが、彼の妻は精神を病んでおり、彼は離婚には踏み切れません。次女の佳乃は地元の信用金庫に勤めていますが、性的に奔放。イケイケな女性です。三女の千佳はスポーツショップに勤めていますが、店長とは恋人関係。性格は楽天的。

こんな、バラバラな3姉妹と暮らす事になるすずですが、小学校の頃よりサッカーが上手で、鎌倉でも少年達に交じってサッカーチームに入ります。最初は家でも遠慮しがちのすずですが、次第に姉妹とも打ち解け、サッカーチームのメンバーを通じて鎌倉に知り合いも増えて行きます。

物語はこうして動き出しますが、実は全9巻を通して、淡々と彼らの日常が描かれるだけで、事件らしい事は何一つ起きません。私達や私達の知り合いにも日常的に起こるであろう出来事が、マンガの中で丁寧に描かれて行きます。

特徴と言えば、背景に鎌倉の街が有り、鎌倉の春夏秋冬が有る。しかし、これとて、私達の街の景色とそれ程違う物ではありません。私達の街にも季節は訪れますし、そこに住む人は街に愛着を感じています。


■ 使われ過ぎて安っぽくなってしまった「絆」という言葉の本質を問う ■

この作品が終始描いて来たものは、「人は縁あって出会い、そして絆を深めてゆく」という至って普通の事に過ぎません。

311の震災以来「絆」という言葉は、半ば「助け合わなくてはイケナイ」という強迫的なイメージを持ってしまいましたが、『海街diar』yの中で結ばれる絆は、自然に生まれ、自然に深まり、そして人々はそれを大事にする。絆という言葉が本来持っていた、やさしく、デリケートな姿がそこには有るのです。

大人は複雑な事情の中で絆を確認しあい、子供は子供の世界の中でそれを育み、そして大人達とも結ばれている。地域の人々が、目に見えない糸の様なもので、ゆるやかに繋がっていて、誰かの変化は、その周囲へと伝わってゆきます。

こうして全9巻を通して、人々は絆を深め、そして互いに少しずつ成長してゆく。

(よく似た作品に、吉田秋生と現代女性漫画家の双璧を成す「くらもちふさこ」の『天然コケッコー』が有りますが、こちらは田舎の「強い絆=しがらみ」を描く作品です。amazon primeで映画版が無料で観られます。こちらはデビューしたての夏帆ちゃんと岡田君が初々しい、素晴らし映画です。是枝版の海街なんて目じゃありません。)

■ 吉田秋生の過去の作品の登場人物の救済劇 ■

『海街diary』は吉田秋生の過去の作品の『ラヴァーズ・キッス』の後日譚にもなっています。『ラヴァーズ・キッス』で人生に悩みアウトローだった人物達が脇役で登場しますが、すっかり大人になり丸くなっているのが微笑ましい。

興味深いのが喫茶店「山猫亭」。「山猫=アッシュ」ですよね。そう、『BANANA FISH』です。山猫亭のマスターの存在感は巻を追う毎に大きくなっており、9巻はマスターが主役では無いかと思える程。過去の自分の愚行を悔い、流れ者の自分を受け入れてくれた鎌倉こそ、自分の居場所なのだと人生の最後に思い至るひねくれた性格の老人ですが、アッシュが生きていればこんな老人になったのかも・・・。


吉田秋生の過去の作品は、様々な悩みを抱えて世の中に居場所の無い者達を描く物語が多かった。トランスジェンダーだたり、先天的な精神異常者だったり・・。かなりキレッキレの人物が多いですが、『海街diary』では、人々は優しく穏やかで、これが同じ作者なのかと戸惑う程です。

ただ、三姉妹の長女や次女、すずが時折見せる鋭い表情に、吉田作品特有のナイフの様な冷たさが表出します。過去作では、それらの抑えきれない感情の表出に押しつぶされる人物が多かったのですが、海街では感情や激情を心の内に秘める「逞しさ」を獲得しています。吉田作品は丸くなったのでは無く、強さを手に入れたのです。


■ 後日譚で見事に円環を成す ■

9巻の巻末には『通り雨のあとに』という番外編が付いています。すずが秋田に置いて来た弟達の話です。

すずの高校進学から10年後、父の13回忌を期に、父親のお骨を鎌倉に移す為にすずは二人の甥を連れて山形を訪れます。別れた弟とはそれ以前にも会っている様です。

川遊びに興じる甥達を見ながら、弟は川からカジカが消えたと話します。上流の温泉開発で酸性の水が流れ込んだ事が原因なのだろうと。しかし、かじか沢に並走する小さな川は大丈夫だと。この川はかじか沢の支流と思われていいるが、源流も別で、河口まで交わる事も無い。ただ、この場所だけで並び合って流れているのだと。

これ、すずと弟の人生を象徴しているエピソードですね。もう、素晴らしいとしか言えません。

ところが、直後に橋の上の若い女性が現れます。弟が務める旅館の女将の姪だという彼女は、すずがこの温泉街を離れた直後に母親と越して来た。妙と呼ばれる女性は街に馴染んでいて、弟とも仲が良い。

妙は、この街にすずが残ったら、こんな感じだったという、すずのもう一つの姿なのでしょう。そして、彼女は不幸では無く、そして弟も不幸では無い。(どうやら弟の初恋はすずの様ですが・・)

イヤー、さすがは吉田先生! 最期にすずが捨てて家族をも救済して物語の幕を閉じるとは、感服いたします。そして、父親の死を切っ掛けに始まった物語は、「縁を結ぶ」事で、「絆を保ち続けた」事で、見事に円環を成して終わります。


・・・こんなに読み応えのある作品は他には有りません。吉田先生、2007年から11年間、本当に楽しませて頂きました。私の心の中では鎌倉の4姉妹は実在しています。鎌倉を訪れる度に、極楽寺の坂や、稲村ケ崎に浜辺に、彼らの息遣いを感じる事が出来ます。


最終巻のハイライトは稲村ケ崎の浜辺に降りる階段でしたね。『青ブタ』でも何度も出て来た階段。これは聖地巡礼に行くしかありません!!

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点 『人力でGO』 2010.11.03


「鎌倉」聖地巡礼・・・『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』  『人力でGO』 2013.11.03

このマンガの続きが読みたい・・・『でゾルドル』

2018-06-01 04:58:00 | マンガ
 



『デゾルデル』より

酔っ払って本屋に行くと、何故かマンガを買ってしまう私。翌朝になって、「こんなマンガ買ったっけ??」って思うのですが、実は「アタリ」が多い。

先日、机の上に転がっていたのは『デゾルドル』という作品。表紙の絵だけ見るの「何故、こんなのかっちゃたんだろう??」って作品ですが・・・「フランス最凶」と言われた傭兵団の団長の娘と、オルレアンの聖女ジャンヌ・ダルクを主人公にした歴史ファンタジー。

実は絵が・・・あまり上手く無い。いわゆる「今風」の絵では無い。話の展開も荒い・・・。ではこの作品がツマラナイのかと言えば・・・面白い。イヤ、チョー面白い。

100年戦争の当時、戦争の主役は傭兵達だった。彼らは戦闘の稼ぐ一方で、村々を襲い略奪と凌辱の限りを尽くす盗賊集団でもあった。”憤怒(ラ・イール)」と呼ばれたフランスで最強の傭兵団の団長には11歳になる娘が居る。彼女は戦闘に追従するも人を殺す事が出来ません。彼女は傭兵としては優し過ぎるのです。

そんな彼女を試す為に父親は一計を案じます。傭兵団が村を襲う前に、誰か一人でも村人の首を持ち帰ったら、その村の襲撃を中止してやろうと持ち掛けます。彼女は村に潜入しますが、そこで出会ったのは・・・後にジャンル・ダルクと呼ばれる様になる少女。

共に男装した少女二人の運命が動き始めます・・・。


というのが1巻の大まかな粗筋ですが、これから大きな歴史の流れが動き出します。

ところがです・・・ネットで「デゾルドル」と検索したら、こんなツイッターの画像がアップsれていました。






岡児志太郎 Twitter より


エェェェーー、単行本第一巻が売れないから「打ち切り」になっちゃうのーーーー!!



これは看過できません。

確かに「今は」絵が上手い訳ではありませんが、もう少し「動き」が描ける様になれば「化ける」可能性を感じる絵柄です。「目力」のある画で魅力も感じます。(力強いタッチだけに、背景を描き過ぎるとゴチャゴチャします。こういう人は背景を省略した方が良いんですよね。)


ストーリテーリング作も突出して上手い訳ではありませんが、物語の筋はしっかりしていますし、何よりも「100年戦争」という世界史の教科書の数行でしか知らなかった出来事をビジュアルで見る事が出来るのは興味深い。特に、当時の戦争の暗部には興味をソソラレます。

私は「完成された作家」など面白くも何ともありません。こういう「作家の卵」が成長する様を見たいのです。



ですから、100年戦争に少しでも興味がある方は・・・買って!!
そして、私に、この物語の続きを読ませて下さい!!



ガンバレ、岡児志太郎!!


頼むよ、講談社のモーニング編集部



ちなみに1話目が公開されています。

第1話】 憤怒の姫君(前編)



マンガって面白いよね・・・『アシガール』

2017-10-15 03:25:00 | マンガ
 


『アシガール』より

■ 酔った勢いで『アシガール』をゲットした ■

アニメの続きが読みたくて『ボールルームへようこそ』を3巻目から買って家族から大ヒンシュクを受け、仕方なく1、2巻を買う時に、その隣にあった『アシガール』も酔った勢いで買ってしまいました。

目がクリクリした「女子高生」が何故か「足軽」の恰好をしている表紙・・ずっと前から気になっていたんですよね。もう、買え買えオーラがパナイ。

作者は『ごくせん』の森本梢子。2012年の連載開始ですから新しい作品ではありませんが、最近はNHKでドラマ化された様で、本屋の映像化作品のコーナーに展示されて目に触れる機会が多くなったのでしょう。

■ 「若君が好き」という一点突破で突っ走る面白さ ■

<ここからネタバレ注意>

無気力だけど足だけは速い16才の女子高生の「速川 唯」は、弟の発明したタイムマシーンで戦国時代に飛ばされてしまいます。彼女は敗走する足軽達のただ中で目が覚めますが、突然現れた女子高生は、足軽の少年と間違えられて、怪しまれもせず集団と行動を共にする事に。暗闇で見ると、ミニスカの制服は足軽の具足にシルエットが似ている・・・。

手際よく具足も手に入れた唯ですが・・・さすがに身元査証がバレそうになり、こっそりと集団から抜けて山中に逃亡。そこで出会ったのが眉目秀麗な黒羽城の城主の嫡男「羽木九八郎忠清」。出会った瞬間に心を奪われてしまいます。

夢見心地でついつい足軽の集団に戻ってしまった唯ですが、身元を詐称した農家の母親が迎えに来たからさあ大変。・・・ところが、この母親、何故か唯を我が子「唯之助」として家に連れ帰ります。必死の形相の唯を放おっておけなかったのです。美人で気丈の母親は、唯を我が子同様に厳しく扱い、家事を教え、城内の事を教えます。

戦国の生活にも少し慣れた一月後の満月の夜、唯は若様や新しい家族に後ろ髪を引かれるも、現代に帰る決心をします。タイムマシーンの発動条件は満月の夜なのです。

現代に戻った唯は、羽木九八郎忠清が討ち死にした史実を知ります。戦国時代の人物ですから死んでいて当然ですが、若様は唯が飛ばされた時間の直後に死んだと知ると、唯はいてもたっても居られません。弟に頼んで再び戦国にタイムトリップします。土産は白いお米と、駄菓子と携帯ゲーム機。

彼女は若様を守る為には、戦場で若様の傍に居る必要があると考え、どうにかして若様付きの足軽になろうと奮戦します。「若様が好き」という気持ちだけで突っ走る唯でしたが、超ポジティブ思考と、足の速さだけで、一歩、一歩目的に近づいて行きます。

■ マンガならではの面白さ ■

マンガの面白さは「何でもアリ」の面白さ。女子高生が戦場の真ん中で恋に落ちてもマンガならOK。いや、むしろツカミはバッチリ。

但し、これが面白い作品になるかどうかは作者の力量に掛かって来ます。どんなに荒唐無稽な話であっても、読者が共感する物な無ければヒット作とはなりません。

私は共感を生むのはある種の「リアリティー」だと思うのですが、「そうそう、こういう人居るよね」とか「そうそう、こういう事あるよね」と読者に思わせる細かな描写をチョコっと描けるかどうかが重要です。

『アシガール』の作者森本梢子は、こういう「ちょこっとしたリアリティー」の付加が上手な作家だと感じます。ポンと出て来て使い捨ての足軽のキャラでも、どっかに居そうなオッサンで、親近感があったり、城の人々は、大河ドラマに出て来そうな人達だったり・・・。

作家によっては丁寧な人物描写の積み重ねでリアリティーを生み出しますが、森本梢子の場合は「テンプレ」を上手にはめ込む事で一瞬でリアリティを生み出す省エネタイプ。

ただ、この作品、リアルを追及するのではなく、本質はあくまでもラブコメ。とにかく唯の思い込みと勘違いと直感と猪突猛進的な行動力がポンポン繰り出しすテンポを楽しむ作品。しかし、その合間合間に妙にリアルな一瞬が挿入されるから、読者は戦場で駆け回る女子高生という非常識な存在を自然に受け入れてしまいます。

「アリエナイけど、あり得るかも」と錯覚させる能力は、マンガというシンプルな絵柄が作り出す最大の武器です。女子高生の制服と、足軽の具足が似ている・・・これを読者に納得させるのに文字を媒体とする小説では難しい。一方、実写では違いの方が際立ってしまいます。漫画ならばシルエットを並べて描くだけで読者は一瞬で納得すると同時に・・・その組み合わせに爆笑する。

この様な「マンガならではの細かな技巧」がギューっとテンポ良く詰まっているのが『アシガール』です。


カラリと面白い作品なので、家内に勧めたら・・・一週間たっても一向に読む気配がありません。先日、私の誕生日に「僕へのプレゼントだと思って読んで感想を聞かせて」と強要したら・・・
数時間後のメールは「今夜は牛タンでゴザル」と来たもんだ。

帰宅した時には8巻全てを読み終えて、なんだか「ゴザル」が会話の語尾に付いていました。そして、翌朝にはネットで続きのネタバレまで読んでいた・・・・。

昨日、フラリとアパートから帰宅した娘も、家内の勧めで読み始めて・・・2巻を一瞬で読み終えて「バイトがあるから私帰るね」とあっさり続きを全部、鴨川に持って行ってしまった・・・。


『アシガール』恐るべし!!


<追記>

気付いたら、ここ数年、女性作家の漫画しか買っていない・・・。

『応天の門』灰原 薬
『レディー アンド ジェントルマン』オノナツメ(つい先日女性だと知りました)
『WOMBS』白石弓子 (日本SF大賞受賞、おめでとう!!)
『不滅のあなたに』『聲の形』大今良時
『ボールルームへようこそ』竹内友
『BEASTARS』板垣巴留
『式の日』~『僕のジョバンニ』穂 積
『海街diaryシリーズ』吉田秋生
『シュトヘル』伊藤悠
『ちはやふる』末次由紀
『駅から5分』『花に染む』くらもちふさこ
『雑草たちよ大志を抱け』池辺葵
『市川春子 作品集』
『ゴロンドリーナ』『IPPO』えすとえむ  (今、記事を書いていて女性だと知りました)
『水域』漆原友紀        (今、記事を書いていて女性だと知りました)
『ピアノの森』一色 まこと   (先日女性だと知りました)
『この世界の片隅に』こうの史代

うーん、『銀の匙』『あひるの空』『ファイアパンチ』と『波よ聞いてくれ』以外は見事に女性作家なかりだ・・・。

私の買うマンガの女性作家って、性別不明のペンネームの方が多いんですよね。絵柄も性別不明のものが多い。だから意識して女性作家の作品を買っている訳では無いのですが・・・。男性作家の作品って単調なものが多いからかな・・?