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静岡のお茶と清水港の歴史 その二 興津は清見寺前(2021年4月)

2021-06-02 11:45:38 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月2日の水曜日です。

表紙は4月  清水駅から興津の清見寺までサイクリング   気持ちのよい青空が広がっておりました。

総門と山門の間を東海道本線が横切る風景も有名です。

この付近の様子はまた後日に。

2020年 「地図・空中写真閲覧サービス」より  ほぼ現在  矢印先が清見寺。

 

静岡のお茶の歴史

鎌倉時代に栄西禅師が中国から持ち帰った種子を、明恵上人によって全国六ケ所に広められました。

このうちの一ヶ所が「駿河の清見(きよみ)」とされており、先日の足久保とともに

静岡地区のお茶のはじまりとされています。

1961年 「地図・空中写真閲覧サービス」より  

昔は東海道線を越えた道路あたりが海岸線だったようです

(1850年代)安政大地震による隆起で陸地ができ、その後集落ができたようです。   つづく。

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