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静岡のお茶と清水港の歴史 その三 徳川家康公(新幹線静岡駅コンコース)

2021-06-03 12:12:53 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは   2021年6月3日の木曜日です。

東海道新幹線静岡駅、ホームから階段を下るとお茶の香りが!!

広角だとこんな感じ。 駿河の国に茶の香り。

 

静岡駅前の徳川家康公像

晩年を駿府で過ごした家康は駿府城内に茶室(数寄屋)を設け、茶を楽しみました。

安倍奥の井川大日峠にお茶壷屋敷(お茶蔵)を設け、「御用茶」として献上された安倍茶

(後に「本山茶」と呼ばれる)を名器の茶壺に詰めて、風味が損なわれないよう保管を命じました。

家康公は標高1200ⅿの冷涼な環境にあるお茶蔵で夏の暑さから守られたお茶を秋の頃に駿府城に運ばせ

味わい深い風味を楽しんだと言われています。

(県庁別館展望フロアより駿府城公園を)

家康が山間部から年貢として集められたお茶は、駿府の商人に払い下げられ

駿府城下や江戸などの大都市で流通していました。

この頃には茶を専門に扱う商人も現れ、駿河が茶の名産地として知られるようになってきました。

葵区は静岡駅から自転車で10分弱、茶町にやってきました。

「左右の商家、安倍足久保の茶をここに集め、精粗をすぐりて府中に出す、故に名とす。」

茶町は古くから安倍山中で生産した茶を売買する商人の町でした。

この道路にも歴史があるのですが、それはまた後日に。   

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