こういう暗い話が最近のトレンドなのか、なんていうわけはなかろうが、最近読む本はこのタイプの作品が多くて、暗い気分になる。だから、ノーテンキな本が読みたくて、樋口有介『少女の時間』なんてのも読んだけど、あまり感心しないから、やめた。(もちろん、最後までは読んだけど) 時間のムダはしたくない。
実はこの2週間、本を読む時間があったから、いろんなタイプの作品も読んだ。町田康『リフォームの爆発』(タイトル通り、古い家のリフォームを巡るお話)や、堀江利幸『その姿の消し方』、佐藤正午『小説家の四季』(エッセイだけど)川上未映子『おめかしの引力』(これは楽しかった!)などを、このゴールデンウィーク読んでいた。でも、1冊、と言われたら、この2週間で一番おもしろかったのは、この作品と、先に書いた角田光代『坂の上の家』だ。もちろん、この2冊が暗いのだけど。
20歳の時、殺された友人。高校卒業の時、どんな大人になるのかと、ドキドキした。なかよし5人組のひとり。いや、「なかよし」なんかではなかった。たまたま一緒にいただけだ。高校生は仲間でつるむ。ひとりではいられない。グループからはみ出て孤独でいられるわけもない。だから、仲の良いグループで行動する。いろんなタイプの子がいた。共有するもんなんかなかったのかもしれない。
あれから、16年。36歳になる。もう別々のところで、それぞれ暮らしていて普段はほとんど付き合いなんかない。だけど、今も思い出す。彼女が死んだ時、なぜ、彼女だったのか。自分が彼女だった可能性もあったのではないか、と。通り魔的殺人。バラバラにして棄てられた。残酷で、惨い。想像するだけで吐き気がする。でも、彼女がそんなことになる動機はなかったわけではない。そういう一面も含めてもしかしたら、と思うのである。
彼女の死について、今さらながらの取材をする。ライターとして身を立てるはずだった。でも、志し半ばで帰郷した。これ以上東京で暮らせないと思った。故郷に帰ってきて、しばらくは実家で暮らすことにした。結婚した仲間もいる。独身のまま、ここにとどまったものもいる。今まであまり付き合うことのなかった彼女たちと連絡を取る。死んだ彼女の取材のため、でもある。でも、今さら事件を掘り起こしても、それが記事になるわけでもない。個人的に書きたいと思っただけ。だいたい仕事を辞めて帰郷したのだ。遺された4人のそれぞれの今が浮き彫りにされていく。みんながみんなそれぞれの想いを抱えて生きている。もし、彼女も生きていたらどんな大人になっているのだろうか。5人で集まることはあったのか。もしも、が描かれるのではない。今ある現実が描かれていくのだ。真相を明らかにすることが目的ではないけど、取材を通して見えてくることがある。それぞれの痛みが明らかにされていく。幸福そうに見えるものも、必ずしもそうじゃない。
ここに描かれることは普遍的なことだ。誰もが心当たりのあるできごと。みんながみんなそれぞれの人生を生きている。そこには派手な出来事なんかないけど、それぞれのドラマはある。それは、ほんの少し道を踏みはずしたなら、とんでもないことになるけど、ほとんどの人は、そうはならず平穏に生きている。物足りない、と思う日もある。でも、こんなものだと、あきらめて生きる。これはこれで悪くはないなんて、妥協する日もある。この小説を読みながら、どんどん落ち込んでいくのは、ここにある寂しさから僕たちは目を背けて生きているからだ。目を逸らしたところを、わざわざ見せられるような不安がここにはある。でも、見はじめたら(読み始めたなら)、最後までそこから目を離せない。