とても一直線なお芝居だ。見ていて気恥かしいくらいだ。若い役者たちの一本調子の硬質な演技も、見ていて恥ずかしい。こういう感傷的な芝居は、僕は実は苦手なのだ。それに、彼らが真剣に語り合い、自分たちの傷口に塩をなすりつけ合う姿は痛ましいばかりだ。
これは目をそむけたくなるような芝居だと思う。彼らの若さが眩しい。でも、それを羨ましいとはもう思わない。なんか、そういうことって、もう面倒くさい。
10年前の初演を見た時、こういうセンチメンタルな芝居を深津さんが書くんだ、とちょっと驚かされた。桃園会とのあまりの落差にびっくりさせられた。アイホールのファクトリー公演である。だから、普段とはまるでタッチの違うものになったのだ。まず何よりわかりやすいこと。そこは、普段の深津作品を見慣れた目からは意外だった。それにしてもこれは甘すぎる。震災のシーンも含めてその印象は変わらない。
この異色の深津作品を関川さんはどうしても再演したかった。ここには青春の普遍性が投影される。どこにでもある、誰もが感じた気持ち、それが散りばめられた台本だ。関川さんは10年前この作品の初演に、キャストとして参加していたらしい。正直言って僕の記憶にはない。だいたい今回この芝居を見ながらも、ここに出てきた役者さんたちの一人一人の顔の区別すらつかないのだから。
だいたいこの群像劇には明確な個性は必要はない。この3年間の夏合宿のスケッチの中から、20歳前後の日々を活写する。そこにはたくさんの顔がある。その全体像を感じれたならいいのではないか。あの頃を丁寧に見せる。そこから、それぞれが大切なものを見つければいい。
この作品をもって「ことのは」は散会することになる。関川さんは明確な区切りが欲しかった。そのためには、この台本でなければならなかったのだ。彼の覚悟のほどが確かに伝わってくる気持ちのいい作品だった。
これは目をそむけたくなるような芝居だと思う。彼らの若さが眩しい。でも、それを羨ましいとはもう思わない。なんか、そういうことって、もう面倒くさい。
10年前の初演を見た時、こういうセンチメンタルな芝居を深津さんが書くんだ、とちょっと驚かされた。桃園会とのあまりの落差にびっくりさせられた。アイホールのファクトリー公演である。だから、普段とはまるでタッチの違うものになったのだ。まず何よりわかりやすいこと。そこは、普段の深津作品を見慣れた目からは意外だった。それにしてもこれは甘すぎる。震災のシーンも含めてその印象は変わらない。
この異色の深津作品を関川さんはどうしても再演したかった。ここには青春の普遍性が投影される。どこにでもある、誰もが感じた気持ち、それが散りばめられた台本だ。関川さんは10年前この作品の初演に、キャストとして参加していたらしい。正直言って僕の記憶にはない。だいたい今回この芝居を見ながらも、ここに出てきた役者さんたちの一人一人の顔の区別すらつかないのだから。
だいたいこの群像劇には明確な個性は必要はない。この3年間の夏合宿のスケッチの中から、20歳前後の日々を活写する。そこにはたくさんの顔がある。その全体像を感じれたならいいのではないか。あの頃を丁寧に見せる。そこから、それぞれが大切なものを見つければいい。
この作品をもって「ことのは」は散会することになる。関川さんは明確な区切りが欲しかった。そのためには、この台本でなければならなかったのだ。彼の覚悟のほどが確かに伝わってくる気持ちのいい作品だった。