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映画・演劇のレビュー

『鈴木先生』

2013-01-17 20:48:03 | 映画
 これもまた例によってTVドラマの映画化なのだが、従来のパターンと違うのは、これが大ヒット作ではない、ということだ。しかも最初から映画を前提にしていたらしい。だが、それにしては映画向きの内容ではない。映画にしては地味すぎる気がする。内容は確かにかなり過激だ。これをTVでしていたなんて、ちょっとした衝撃だろう。そういう意味ではこれは映画でしか描けないのかもしれない。中学を舞台にして、先生と子供たちのふれあいを描く学園物というよくあるパターンから大きく逸脱する。だが、映画でなければならない。とは思わない。TVスペシャルとしてブラウン管で放送されても違和感のない程度の作品だ。どうしても劇場で見せなくてはならない、というスケールも、緊張感もない。もちろん、それはこの作品を否定するための言葉ではない。それどころか、これはとても良く出来た作品なのだ。そのことは、ちゃんと認めて上で、でも、劇場版である必然性を感じないというのである。

 鈴木先生は、よくあるような「みんなから慕われる」いい先生ではない。彼は理想の教育に燃えているのだが、その理念はなんだかいびつだ。大体彼は教え子である女子生徒に対して変な妄想もする。もちろん、それは心の中だけで抑えている。(でなくてはただの変質者だし)彼のクラスの子供たちはみんないい子たちばかりで、そんな彼に対してちゃんと距離をとっている。ということで、彼は、いい人だけど、それ以上でも以下でもない。そんな存在なのだ。大体、生徒にとって先生の存在なんて、教師が自分たちが考えるほど、それほど大きなものではない。

 鈴木先生の教育理念は子供たちを人間として成長させるためのレッスンこそが、学校という教育現場の使命だ、という考えだ。そのために彼は生徒たちをさまざまな局面に追い込む。「そこまでおまえがしていいのか」と思うこともある。だが、彼は気にしない。自分に正直になり、彼らを、自信を持って追い込む。だが、その自信ってどこから生まれるのか、と思うくらいに独善的。ひとつ間違えばただの思い込みの激しいだけの独りよがり。でも、生徒たちはそんな先生をとりあえずは信用して、彼とともに考え、行動する。普通なら先生も悩みながら成長する、とかいうパターンになりそうなところだが、彼にはそういう妥協はない。ある意味わがままなのだ。映画は、内面の声を多用して、彼の考えをストレートに表現するから、彼の勘違いや、素直さがよく伝わる。

 クライマックスの変質者によるたてこもり事件は、この映画のテーマを集約する。この中学の卒業生で、今はニートの青年が、こんな自分を作ったのは学校のせいだ、と生徒を人質にして、暴れるのだが、従来ならそこで先生が命を張って生徒を守るとか、そんな展開になるのだが、これはそうではない。「変質者」と、書いたが、映画は彼を単純な変質者には描かない。彼もまた、今ある教育の犠牲者だ、と描く。

 だが、ことはそんな単純なものでもない。これは身の置き場のない彼の逆恨みである。社会のせいではないし、本来なら自己責任のもと、自分の生き方を改めるべきところなのだが、怒りの矛先を学校に向ける。本当は自分のしようとしていることが間違いであることなんか十分理解できる。だが、わざとゆがんだ方向に自分を向ける。そこを突破口としなければ収まらないからだ。彼はちょっと『タクシードライバー』のトラヴィスにも似ている。しかも、彼を最後まで冷静に演じさせる。狂ったようには見せない。誤った方向にベクトルを向かわせることが、解決法にはならないことは誰の目にも明らかだ。「おまえは俺に似ている」と言う鈴木先生の言葉に一瞬、ひるむ。これで一軒落着か、と思わせてすぐ、逆転して、鈴木先生がスタンガンの餌食になりダウンする。甘いのだ。だが、そういう甘さが従来の学園物であり、それでも十分納得がいく展開だ。だが、この映画はその先の先に向かう。

 漫画のような幕切れには唖然とするし、あれではただのファンタジーなのだが、それもありか、と思う。話をこれ以上、突き詰めるわけにはいかないぎりぎりまで、見せた以上、後は、どうでもいい。

 学校は大人になるための実習、だとは思わない。だが、単純に勉強する場所でもない。いろんな大人や、さまざまな同世代に揉まれて、社会に出る前の予行演習をする。そんな捉え方もありだろう。だが、なんか、それだけで終わられたら、ちょっと、違うなぁ、と思う。

 これを昨年の『悪の教典』と比較しても面白い。どちらも、むちゃくちゃだが、どちらもある種の核心を突いている。この映画に『悪の教典』に及ぶくらいのリアリティーがあれば、もっと凄い傑作になったことだろう。『悪の教典』は荒唐無稽な話だが、そこには圧倒的な暴力だけではないものがあった。リアルをベースにした『鈴木先生』にはそれ以上がない。おとなしい子供たちの犠牲の上に成り立つ教育はダメだ、というのなら、どんな教育が必要なのか、それは可能なのか。そこが鈴木メソッドらしいが、あまり説得力を感じないのが、残念だ。でも、これはとても難しい問題で、一教師が成就できる課題ではない。


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