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映画・演劇のレビュー

村上龍『歌うクジラ』

2011-03-14 21:08:42 | その他
「ぼくは生まれてはじめて、祈った。生きていたい。光にむかってつぶやく。生きていたい、ぼくは生きていたい、そうつぶやき続ける。」この膨大な小説のラスト、2行だ。
この中にすべてが集約されている。

上下、2巻。800ページに及ばんとする大作だ。だが、そんなことより、この小説がそのほとんどが無意味な記述でしかないことの方が、驚きだった。お話が面白いわけではない。大体読んでいて、こんなにもドキドキしない冒険小説ってダメだろう、と思う。椎名誠ならきっとこの同じ話でもっとおもしろい驚きのシーナワールドを作りあげることが出来る。話の展開や世界観はいつもの椎名誠とよく似ている。どちらかというと、村上龍には似ていない。『半島を出よ』の続編のようなものを期待していたから、最初はこれに戸惑った。まるで、つまらない小説を延々と読まされているような気がした。何度か、やめようか、とも思った。だが、それはやっぱり嫌だ。だって、ようやく読めた村上龍の新作なのだからもったいない。

最下層民が収容されている新出島から脱出するところから始まり、主人公の少年の壮大な旅が描かれる。22世紀の日本を舞台にして、次々に明らかにされる驚愕の事実の連鎖。しかも、ただのSFではなく、とてもリアルな設定だ。本来ならこれはワクワクドキドキのエンタテインメントであっていい。旅を通して、この世界の成り立ちが彼と共に少しずつ見えてくるようになっている。そのスタイルも悪くはない。だが、この小説はそんなワクワクからはほど遠い。それはなぜか。

下巻に入って、ようやく、この作品のタッチにも慣れた。要するに、ここには未来はない。そのことに気づく。慣れたのは、このタナカアキラの旅には、夢も希望もないと諦めたからだ。そんなこと最初からわかっていたことだが、そう納得するにはなかなか踏ん切りが付かなかった。この旅の先にはなんらかの可能性が残されていると信じたかったからだ。でも、村上龍はそんなもの信じていないし、そんな甘い小説を書くつもりもない。

彼が捜し求めていた今あるこの世界を作ったとも言えるヨシマツ(160歳以上の年齢だ!)という男と出会い、この世界の真実を知るラストシークエンスも刺激的ではない。予定調和の結末だ。しかも小説としては邪道の怒濤の説明ラッシュである。ヨシマツの語ることの経緯をアキラが聞く、という構図は普通ならありえない。だが、それなのに、そこまで到ると、なぜかこの小説に納得がいった。そして、最初に書いたラスト2行である。村上龍は、ここに諦めから始まるドラマの「始まり」を描こうとしたのだろう。

このシステムやここに作られた世界を受け入れるのではない。出会うことで見えてくるものを大事にする事、それがすべてだ。だから、ぼくたちは今ここで生きている。未来はどんなに暗いものであろうとも、ぼくたちはそこに向けて旅する。


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