ある男と出会う。不思議な男だ。名前はリ・ジョンヒョク。たぶん。それって僕は見てないけど大ヒットした韓国ドラマ『愛の不時着』のヒョンビンが演じた主人公の名前らしい。ふざけているのではない。この男は実在しない幻でその幻に出会う9人の男女のお話。井上荒野としては珍しい軽いタッチの短編連作である。たわいないエピソードの羅列で大した小説ではないけど、楽しく読めるし、時間つぶしには最適。通勤電車の中で読んだらいいのではないか。(まぁ、僕はこの春から本格的に働いていないから通勤は無理だけど)でも、これはとても素敵なラブストーリーだ。たわいないと書いたけど、結構はまってしまう。泣かせるエピソードが満載。「愛って何なのかな?」その答えを明確に言う。「自分以上に相手を大事に思うこと」って。そう断言できる男なのだ。リ・ジョンヒョクという幻は。ケガをした状態で不時着して洞窟で過ごして、彼女を探す旅に出る。幼い小さな恋人たちを守って、死んだ旦那さんの代わりにテントで彼女を守って、ピアノを弾いて、迷子の犬を探す。公園のボートに同乗してあげ、恋人たちのなかを取り持つ。不実な夫と別れる決心を手助けし、店先で倒れた男を病院に運ぶ。
子供からお年寄りまで老若男女、実にさまざまな人たちがその黒いコートの男と接する。彼はタイトルにあるように「ここ」にはいない、でも確かに「どこか」にはいる「僕の彼女」を探しているようだ。でも、焦ってはいない。きっと会えると信じている。それ以上に今目の前にいる、そして困っている人を助けてあげなくては、と思っている。それだけ。
だから、みんなは彼に助けられるけど、感謝する前に彼は去っている。もうそこにはいない。風とともに現れて、風のように去る。信じられないような「イケメン」なのに、それが嫌味ではない。女性だけではなく、男性だって彼に惚れてしまう。でも、彼は自分が愛する女性のことしか目に入れない。ひたすら彼女を求めているから、つけこむことはできないし、みんなはあまりに彼が素敵すぎてそんな気にすらならない。最後にちゃんと彼女のもとへたどりつけるのか。それは読まなくてもわかるだろう。