ここまで見事に大失敗されたなら、これはこれで潔いとでも言うしかない。久々にボロボロの映画を見た。きっと作り手はかなり考えたはずなのだ。それなのに、ことごとく失敗してその失敗の上塗りをさらなる失敗でして、気がつけばもう、どうしようもない映画になっていた。再起不可能な駄作になっていたのだ。
もっと安全圏で作ったなら、安易でどこにでもあるヒーローものになったはずだ。もう今さら、だけど、『キックアス』のようなふつうの男の子がヒーローになり、悪と戦う、とかいうものに、ね。(日本映画でも哀川翔さまの『ゼブラーマン』とか、あったし)4人組という発想が新しいなんていう次元で終わらせたならよかったのだ。
なのに、どんどん欲張った。基礎さえできてないのに、そこに巨大な建物を作ろうとした。予算もないくせに。『バットマン』のような架空の犯罪都市を沼津市(たしかそうだったような)に作る。ゴッサムシティーで、バットマンが戦う図式を安易に継承する。でも、あまりのチープさから、ふざけているとしか見えない。予算がなくても、もっとリアリティにあるドラマを作れるはずだ。なのに、大風呂敷ばかり広げて、なんの尻拭いもしない。しかも、設定を固めることなく先へ先へと興味を走らせる。お前は子供か? 投げ出さずに、ちゃんとやりかけたことくらいやってから先に行け! そんなふうに言いたくなるような映画だった。
だいたい「吊るし魔」なんて、すぐに警察に捕まるだろ。あんなにわかりやすく犯行現場に証拠を残すし、周囲の住人から通報があるはずだし。犯行グループが特定できるのに、警察がなにもしない、なんていうのなら、それはなぜか、くらいの言い訳程度でいいから描けば。さらには「吊るし魔」を会社組織にするという展開のバカバカしさ。それを彼らのことを見ていたもと会社社長の浮浪者に任せるとか、もう何をかいわんや、である。(船越栄一郎が怪演しているけど)
荒れ果てた町の治安を守るため、へたれの男が、立ち上がる。自分がヒーローとなり彼らと戦うという図式にはなんの新しさもない。でも、彼がまるで努力しないで、仮面もかぶらず、戦うというのは、ふつうじゃないけど、でも、その設定がなんの役にも立たないには異常だ。東出昌大が情けない男を最初から最後まで情けないまま演じている。こんなにも、演じていてそこに意味を見いだせないキャラクターはなかろう。どうして、こんな仕事を彼は引き受けたのか。きっと、最初はこんなふうになるなんて思いもしなかったのではないか。原作の漫画はもしかしたら、面白いのかもしれない。『生活』というオリジナルのタイトルから想起されるものが、この映画ではまるで描けていない。ラストで最初のシーンが繰り返されるが、もしかしたら、ここに描かれたことはすべて、主人公が見た妄想だったのではないか、と思わせる。そこから、彼が一歩を踏み出そうとするまでが描かれるのだが、それにしても、映画自体が荒っぽ過ぎて、そんな意図は伝わらない。
つまらない退屈な日常に風穴をあける妄想を抱いた彼が、とんでもない妄想の先にあるもとの現実の生活に戻るまでのお話。コンビニで、働きながら、感じた妄想の劇化。それならもっとはっちゃけたほうがいい。すべてが中途半端なのだ。静ちゃん(南海キャンディーズ)なんか、なんのために出てきたのか、わけがわからない。彼女を異星人のモンスターとして描くのなら、もう少し、伏線がいる。あまりに、いきなりすぎてそれはない、としか、思えない。この映画は一事が万事そんな感じだ。無残だ。