『ぶらんこ乗り』を読んで彼のファンになった。『麦ふみクーツェ』も大好きだし、『プラネタリウムのふたご』が最高傑作だと思う。だけど、そのあと、だんだん、あまりおもしろいと思えなくなった。でも、すべて読んでいる。
この2月に『よわひ』を読んで、ようやく再認識した。今の彼が好き、と思える。以前の彼ではなく進化し、「ひとひ」とともに、成長していくお父さんの彼の書くドラマが好き、と。実は昨年評判になった『港、モンテビデオ』を読んで、もういいやぁ、と思った。僕はこういうのは好きじゃない、とも。膨大な日記も読んだけど、なんだかなぁ、と思った。こんなのを読むほど暇じゃない、って。
でも、『よわひ』を読んだ時、初めてこれでいい、と思えた。僕の勝手な想いだけど。ようやくのこと、彼の考えることが僕にも入ってきたのだろう。今回この毎日新聞の日曜版に毎週連載されていたエッセイを1冊の本として一気に読んでみて(連載中は、ほぼ毎週読んでいた)再認識した。だから、とても、楽しかった。
今回のここで書かれる出来事は『よわひ』でも、描かれたことだし、『いしいしんじのごはん日記』でも読んでいることと重複する。だが、問題はそういうことではない。知ってるとか、知らないとか、そういうのはどうでもいい話だ。『ある一年』を読んだ時のイライラはもうない。
この本にも、そのへんの事情も書かれていた。親ばか日記ではなく、素直に彼が感じる今ある毎日への感謝、それが文章から伝わってくる。今回の本はそのへんの事情に詳しい。彼自身もきっとふっきれたのではないか。よくわからないまま、書いているうちに、ある日見えてきた。いや、もうずっと前から見えていたはずなのに、自分だけが知らないふりしていた。知っているのに、知らない振りして、ずっと同じことをしている。