石井裕也監督がこんなちゃんとした映画を撮れるなんて驚きだ。皮肉でも何でもない。本当にこれがあの石井監督の作品なのか、と見終えた後である今でも、なんだか信じられない気分だ。今まで、自主映画レベルの作品をたくさん作り、それはそれで面白かったのだが、商業映画監督としても、職業監督としてもまだまだ未知数だっただけに、たった1本でここまで急成長されると、うれしいを通り越して、今までの自分の目は節穴だったのか、とすら思わされる。
もちろん、『川の底からこんにちは』とか、『ハラがコレなんで』というような、すぐれた商業映画も作ってはいる。だが、あれらはまだ、興味深い小品の域を出ない作品だった。でも、今回の作品は傑作である。今年のベストテンでも必ず上位に食い込むはずだ。森田芳光監督の『それから』のような作品だといえば石井監督のキャリアにおいてこれがいかに重要なものとなるのかは、理解してもらえるのではないか。
主演が松田龍平であることから、ついついそんな連想が生じたのだ。彼の父親である松田優作の『それから』での演技と今回の彼の演技の資質がなんだかとても近い気がした。石井、松田コンビは森田、松田コンビの『家族ゲーム』に当たる映画をすっ飛ばして、いきなり『それから』に到達した、という感じだ。そう言えば、共通項は小林薫。彼がちゃんと2本ともに出ている。
だが、今回の映画の一番すごいところは、加藤剛の存在だ。松本先生役に彼をもってきたことの功績は大きい。この一見小さなお話の中心に加藤剛がいる、ということは大きい。松田龍平とオダギリジョーのコンビがこんなにも素晴らしいのは、そこに加藤剛がいつもいたからだ。伊佐山ひろ子も含めて、辞書編集部の面々がみんなすばらしい。
映画は彼らが黙々と狭苦しい編集部の部屋で、24万語収録の辞書『大渡海』を作るためにデスクワークを繰り返す日々が描かれるばかりだ。最初の1年間を中心にして、映画のお話は展開するのだが、大事なことはその1年間の出来事ではない。これは10数年間に及ぶ彼らの地道な日々がその背後に確かに描かれてあるから感動的なのだ。
宮崎あおいが今回も、主人公のパートナーを演じる。今回も、と書いたが、石井映画で彼女が登場するのは初めてだ。それは今まで見たたくさんの映画のイメージを引きずっているから、そう書いてしまうのだ。今、映画における主人公の奥さんベストワンは彼女だ。どんなたいへんなことでも、宮崎あおいさえ居ればなんとかなる。特に『神様のカルテ』と今回の作品はまるで双子のようだ。宮崎は『天地明察』でも『ツレがうつになりまして』でも、どんな困難にあってもちゃんと夫を支えた。今回も、いつもと同じ。彼女がいるだけで安心させられる。
辞書編集というとても地味な話がはたして映画になるのか、心配したが、そんな心配は全くの杞憂だった。2時間13分が、一瞬のことだ。ずっと彼らと一緒に居たい。そんな気分にさせられる。気の遠くなるような作業をする彼らを見ていて、なんだかとても素敵だ、と思った。好きなことをする、ただそれだけのことがどうしてこんなにも感動的なのだろうか。知らない人が見たら、彼らはただの変人でしかない。でも、僕たちは彼らを尊敬する。あんなふうに生きたいとすら思う。これはそんな気持ちにさせられる映画なのだ。でも、これって、先に書いた『天地明察』の時の感想と同じじゃないか。ようするに、僕はこんなタイプの映画が好きなのだ。もちろん、みんなと同じで宮崎あおいも大好き。
もちろん、『川の底からこんにちは』とか、『ハラがコレなんで』というような、すぐれた商業映画も作ってはいる。だが、あれらはまだ、興味深い小品の域を出ない作品だった。でも、今回の作品は傑作である。今年のベストテンでも必ず上位に食い込むはずだ。森田芳光監督の『それから』のような作品だといえば石井監督のキャリアにおいてこれがいかに重要なものとなるのかは、理解してもらえるのではないか。
主演が松田龍平であることから、ついついそんな連想が生じたのだ。彼の父親である松田優作の『それから』での演技と今回の彼の演技の資質がなんだかとても近い気がした。石井、松田コンビは森田、松田コンビの『家族ゲーム』に当たる映画をすっ飛ばして、いきなり『それから』に到達した、という感じだ。そう言えば、共通項は小林薫。彼がちゃんと2本ともに出ている。
だが、今回の映画の一番すごいところは、加藤剛の存在だ。松本先生役に彼をもってきたことの功績は大きい。この一見小さなお話の中心に加藤剛がいる、ということは大きい。松田龍平とオダギリジョーのコンビがこんなにも素晴らしいのは、そこに加藤剛がいつもいたからだ。伊佐山ひろ子も含めて、辞書編集部の面々がみんなすばらしい。
映画は彼らが黙々と狭苦しい編集部の部屋で、24万語収録の辞書『大渡海』を作るためにデスクワークを繰り返す日々が描かれるばかりだ。最初の1年間を中心にして、映画のお話は展開するのだが、大事なことはその1年間の出来事ではない。これは10数年間に及ぶ彼らの地道な日々がその背後に確かに描かれてあるから感動的なのだ。
宮崎あおいが今回も、主人公のパートナーを演じる。今回も、と書いたが、石井映画で彼女が登場するのは初めてだ。それは今まで見たたくさんの映画のイメージを引きずっているから、そう書いてしまうのだ。今、映画における主人公の奥さんベストワンは彼女だ。どんなたいへんなことでも、宮崎あおいさえ居ればなんとかなる。特に『神様のカルテ』と今回の作品はまるで双子のようだ。宮崎は『天地明察』でも『ツレがうつになりまして』でも、どんな困難にあってもちゃんと夫を支えた。今回も、いつもと同じ。彼女がいるだけで安心させられる。
辞書編集というとても地味な話がはたして映画になるのか、心配したが、そんな心配は全くの杞憂だった。2時間13分が、一瞬のことだ。ずっと彼らと一緒に居たい。そんな気分にさせられる。気の遠くなるような作業をする彼らを見ていて、なんだかとても素敵だ、と思った。好きなことをする、ただそれだけのことがどうしてこんなにも感動的なのだろうか。知らない人が見たら、彼らはただの変人でしかない。でも、僕たちは彼らを尊敬する。あんなふうに生きたいとすら思う。これはそんな気持ちにさせられる映画なのだ。でも、これって、先に書いた『天地明察』の時の感想と同じじゃないか。ようするに、僕はこんなタイプの映画が好きなのだ。もちろん、みんなと同じで宮崎あおいも大好き。