なぜ、今、『12人の怒れる男』なのか。わかるようで、わからないような。それは今回のアレンジの仕方についても。確かに大谷高校らしいウェルメイドな笑いに包まれた作品に仕上がっているけれど、この題材を使い、それをこういう仕立て方で見せることの意味がどこにあるのか、よくわからない。
これならお話自体も含めて今の自分たちに引き寄せたオリジナル作品を作った方がよかったのではないか。原作をうまくアレンジしきれていないので、いろんな意味で中途半端。役者たちはそれぞれとても上手いし、個性が際立っているだけに、惜しい。彼女たちの芝居は楽しめるけど、そうすることで、作品のテーマは弱くなる。
日本でも裁判員制度が導入され、裁判が身近なものとなった昨今、この芝居の描くものは確かに意味を持つ。だが、それを高校生がオリジナル戯曲のまま、それをする意味がよくわからない。彼女たちはアメリカ人を演じることを楽しんでいるしそれは、見ていて確かに楽しめるのだけれど、それだけ。
自分たちの手によるオリジナル作品にしないのなら、台本は三谷幸喜の『12人の優しい日本人』でもよかったのではないか。