このタイトルの甘さと優しさが鴻上尚史のスタンスだ。革命をノスタルジアにしている。だが、そこにある悔恨こそがこの作品のテーマだ。あの頃の自分たちを肯定も否定もしない。もちろん、あれが青春だった、なんて言わない。高校生にまで飛び火した革命思想とは何だったのか。そこにも深入りしない。
あくまでも「僕たちが好きだった」という個人的な想いと、「革命」という社会とか、世界とかと連動する大きなものとを等価に受け止めること。1969年の安保を巡る学生運動と2007年の文化祭の企画を巡る闘争とを同じものとして描くこと。高校生にとっては学校というものが社会であり世界でもある。権力(学校側)と向き合い、その横暴を断固粉砕し、自分たちの権利を勝ち取る戦いという意味では、変わらない。
50代になってもなお10代のまま戦い、もう一度あの頃の続きをやり直そうとする山崎という少年を江川美乃里は全力で演じきった。彼女の中には迷いはない。そんな彼女に象徴させて2時間半に及ぶ壮大なドラマを最後まで全力で見せ切る。これは実に金蘭会らしい大作だ。そこには、自分たちにしか出来ない大切なものを守りきるという熱い想いだけがある。もちろんそれだけでいい。
これはそんな彼に引っ張られていく2007年のクラスメイトたちのドラマだ。語り部であるもう一人の主人公、小野だけではなく、さらには2016年へとお話を引き継ぐ日比野の視点も交えて、より重層的で、さらには今から明日へとつながるドラマへと再構成した。
9年前の初演(もちろん金蘭による初演のことだ)より、さらにパワーアップしただけではなく、作品世界により普遍性を持たせて未来へとつながる感動的な作品に仕上がった。当時の映像を多用して、時代の雰囲気を伝えるのもいい。映像の現実と舞台上の虚構を対比させるのではない。現実のむこうにあるファンタジーを現実と陸続きのものとして描くのだ。今ここで、文化祭という小さな戦いを諦めず続けることが描かれる。40年の眠りから覚めた少年の悔恨とリベンジ。歴史的事実をベースにしながら、高校生だから出来ることとして、この作品を作り上げた。
学生運動が革命なら文化祭も革命だ。この自由を勝ち取るための戦いを諦めてはならない。山崎の扇動に乗るほど今時の高校生はバカではない。だが、彼の情熱は信じるに値する。それだけがこの芝居の命綱だ。ここに描かれるのはただそれだけで、70年安保の意味とか総括とか、そんなものはない。
だが、そんな事実の延長線上に自分たちがいると信じた金蘭の少女たちはこの壮大な劇世界を通して自分たちの革命に挑戦した。その試みに感動する。