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まるでドキュメンタリー映画を見てるようなさりげなさ。でも主人公は鈴木亮平だし、彼がゲイで、売れっ子の雑誌編集者をしてるし。(演じているし) 冒頭はそんな彼の昼間の仕事の風景、夜のゲイ仲間との飲み会が描かれる。そこでの会話もさりげない。ある日、新しいパーソナル・トレーナーの青年に会う。宮沢氷魚。彼からトレーニングを受ける。心地よい汗をかく。
これはそんなふたりのラブストーリーだ。これが男女間ならありふれたものになるだろう。だが、男同士だ。しかもふたりともゲイ。さらには、出会って日が浅いのに、いきなりのラブシーン。あれには驚く。かなりハードだし。だが、ここでもさりげなさが大事にされている。ありふれたこととしてこのふたりのラブストーリーも描く。それがこの映画の基本姿勢なのだろう。
だからいきなりの宮沢の死は衝撃的だ。だってまだ映画が始まって1時間くらいしか経っていないはず。映画は上映時間が2時間のはずなのに。ここからは彼のいない時間。そこから彼の母親(阿川佐和子)前面に登場することになる。なんと鈴木が宮沢の母親の面倒を見るというお話になるのだ。鈴木は14歳の頃、母を亡くしている。阿川に自分の母親の面影を重ねているのか。それとも亡き宮沢を思ってのことなのか。
相手を思いやることが、自分の幸せだと思う。いや、そんなことも思わないのだろう。なんとなく。ただ、したいから世話をしている。かかわりを持つ。彼の気持ちは言葉にしない。
これはなんとも不思議な映画だ。こんな話で、こんなにも何もない話なのに、スクリーンから目が離せない。2時間、ただ彼を見つめていただけ。とてもピュアな恋物語を見た気分だ。いや、実際見たんだけど。