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映画・演劇のレビュー

『ザ・ホエール』

2023-04-18 12:29:07 | 映画

ダーレン・アロノフスキー監督作品。スタンダードサイズの室内劇。部屋からほとんど出ない。(まぁ彼は出たくても出られないのだけど)ブレンダン・フレイザーが200キロ越えの巨体を演じる。ほとんど身動きが取れない。この圧迫感は半端じゃない。そこに彼の心情は(この部屋の狭さに)象徴される。彼の巨体はタイトルの鯨と重なる。死に体の姿。生きる屍。惨めで悲惨。

月曜日から金曜日まで、亡くなるまでの5日間の日々が描かれる。舞台劇の映画化だが、映画だから可能な息苦しい閉塞感で2時間を走り抜ける。ラストの奇跡に涙が止まらなかった。彼を認めるわけじゃない。だが彼は死ぬまでに出来ることを全うする。ただそれはかなりほろ苦い。決してハッピーエンドではない。
 
自分に正直に生きた。だからたくさんの人を傷つけた。特に妻と幼い娘を。でも、後悔はない。大好きな男と一緒になれたのだから。でも、それって自分勝手なわがままでしかない。だから妻子にとって彼は許せない存在だ。そんなわがままはないだろうと思う。やがてその罰として断罪されるように恋人の男が死んでしまい、ショックで過食症になり、272キロ。いくらなんでも極端すぎる。肥大化した体を制御できず、今は死と向き合う。だいたい罪を受ける方は彼自身ではないか。
 
映画はそんな彼のもとを訪れる人たちとのやり取りを淡々と描く。緩慢な描写で重苦しい。でも、それがアロノフスキーの狙いだ。布教活動のため偶然やってきた青年。彼の世話をする看護師。そして、9年間会ってなかった娘。(彼女が映画のキーマンだ)最後には別れた妻も訪れる。彼らと直接向き合うことで見えるもの。さらには配信で接する学生たち。ピザの配達に来る男。こちらとは間接的に向き合うことになる。自分と他者の対峙から見えてくる彼の姿。人生の最期をどう過ごすのか。ラスト5日の選択。これは彼と共にそれらと向き合う映画である。それをメルヴィルの『白鯨』を重ね合わせて描く。ラストの感動はほろ苦いだけでなく、痛ましい。彼の抱える問題は我々にも通じるから他人ごとではない。

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