2つの中編小説が(『恋』と『友情』)がセットになり、この長編小説を構成する。最後にすべてが明らかになる。実によくできている。ふたりの女の子は、女の子(ここはちゃんと「女性」と言ってもいいし、本来ならそう言うべきなのだが、)というものの二つの側面を象徴する。信じられないくらいにきれいな子と、自分の容姿にコンプレックスを持つ子。極端な形だが、このふたつの間で人は揺れている。自分を美しいと信じたい。でも、そうじゃない。自分を醜いと思う。でも、そうじゃない。
周囲の目が気になる。気にならない。気にしない。そこでも、揺れている。そんなに簡単なものではない。恋をする。一途に。でも、そうか? 最初はみんなから羨まれる。でも、途中からみんなからやめれば、と言われる。さっさと、別れたほうがいい。あんな男にあなたがいつまでも振り回されているべきではない、と。あげくは、世間から見捨てられた彼がストーカーのように付きまとうことになる。でも、彼女は、それでも彼を自分からは見棄てない。彼が自殺したことに涙を流し、そのショックから1年以上も立ち直れない。
もうひとりの彼女は、コンプレックスから、自分を解き放てない。何度となく、大丈夫だ、と思う。でも、その度に嘲笑うように、周囲に陥れられる。まただ、と思う。結局は同じ。自分は誰からも愛されない。そんな彼女は先の彼女との友情をよりどころにする。そこからラストにつながる。
この極端をふたつ並べることで見えてくるものを描こうとしたのだろう。だが、ラストの展開はない。あまりにもつまらない。そんなところに決着を求めるのはただ、お話を終わらせるためだけの方便だ。せっかくそこまでドキドキさせてくれたのに、がっかりした。安物の三文小説に堕したのはなぜか。
辻村深月はわざとこんないいかげんなオチを用意したのか。彼女たちの悩みなんかただの女の子の甘えでしかない、とでも言うのか。本人にとっては切実な悩みも他人からしたらつまらないものでしかない。しかも、それは恋愛なんていうものではなおさらだ。と、そこまで冷静にこの子たちをみつめて書いたのか。ふたりを俗に突き落として、あっさりと終わる。恋愛も友情もつまらない。
周囲の目が気になる。気にならない。気にしない。そこでも、揺れている。そんなに簡単なものではない。恋をする。一途に。でも、そうか? 最初はみんなから羨まれる。でも、途中からみんなからやめれば、と言われる。さっさと、別れたほうがいい。あんな男にあなたがいつまでも振り回されているべきではない、と。あげくは、世間から見捨てられた彼がストーカーのように付きまとうことになる。でも、彼女は、それでも彼を自分からは見棄てない。彼が自殺したことに涙を流し、そのショックから1年以上も立ち直れない。
もうひとりの彼女は、コンプレックスから、自分を解き放てない。何度となく、大丈夫だ、と思う。でも、その度に嘲笑うように、周囲に陥れられる。まただ、と思う。結局は同じ。自分は誰からも愛されない。そんな彼女は先の彼女との友情をよりどころにする。そこからラストにつながる。
この極端をふたつ並べることで見えてくるものを描こうとしたのだろう。だが、ラストの展開はない。あまりにもつまらない。そんなところに決着を求めるのはただ、お話を終わらせるためだけの方便だ。せっかくそこまでドキドキさせてくれたのに、がっかりした。安物の三文小説に堕したのはなぜか。
辻村深月はわざとこんないいかげんなオチを用意したのか。彼女たちの悩みなんかただの女の子の甘えでしかない、とでも言うのか。本人にとっては切実な悩みも他人からしたらつまらないものでしかない。しかも、それは恋愛なんていうものではなおさらだ。と、そこまで冷静にこの子たちをみつめて書いたのか。ふたりを俗に突き落として、あっさりと終わる。恋愛も友情もつまらない。