芝居を見ながら、なんだかよくわからないまま、それでも、ドキドキさせられる。こういう体験は久しくなかった。なんでも、わかった気になってたり、突き放して「それではわからないよ、」と思ったり。でも、この芝居を見ながら、正直に、なんだかよくわからない、と思った。
でも、この単純なお話に魅せられた。誰もが知っている童話である。だが、こんな怖い話はない。オオカミはおばあちゃんを食べてしまうのだし、赤ずきんも食べられてしまうかもしれない。
でも、この芝居で、赤ずきんは、冒頭から「わたしをちゃんと食べて!」と言う。なんだ、これは。しかも、事前に配られたパンフの山口茜さんによる文章には、「今回の作品は、人を殺して食べた男性の動画を観た所から始まりました」とある。いきなり、不穏な空気が流れる。この芝居は単純ではない。
だが、実際に始まった芝居はそんな事前のイメージとは違い、まるで禍々しいものではなく、なんだか、ほのぼのとした音楽劇の体をなす。でも、気は抜けない。いつ、どこから、何が起こるか分からない。実際にオオカミは、自分の存在を理解していないようで、人を殺して食べる、という行為を説明しない。もちろん、そこにはそんな説明を拒否するものがあるのだが。
それでも、やはりというか、ちゃんと、これは最後まで穏やかでほのぼのした作品のように見える。ラストではみんなで歌を歌っているし。正体を明かさないまま、終わる。赤ずきんちゃんは何者なのか。オオカミは何者なのか。両者の関係性はどこにあるのか。さらには、彼女の家族との関係は。シカ(赤ずきんでもある)とオオカミは、この家族(両親、叔父、祖母)に取り込まれることで、どうなるのか。いくつもの暗喩を背後に秘めながら、最後まで見たとき、そこには解放感はない。
理屈を超えた世界をこんなにものびのびと展開してくれる。説明の不備を弱点にはしないだけの余白がある。だから、今回は素直になんだか、よくわからないけど、おもしろかった、とそれだけにしたい。そんな気分を楽しみたい。
でも、この単純なお話に魅せられた。誰もが知っている童話である。だが、こんな怖い話はない。オオカミはおばあちゃんを食べてしまうのだし、赤ずきんも食べられてしまうかもしれない。
でも、この芝居で、赤ずきんは、冒頭から「わたしをちゃんと食べて!」と言う。なんだ、これは。しかも、事前に配られたパンフの山口茜さんによる文章には、「今回の作品は、人を殺して食べた男性の動画を観た所から始まりました」とある。いきなり、不穏な空気が流れる。この芝居は単純ではない。
だが、実際に始まった芝居はそんな事前のイメージとは違い、まるで禍々しいものではなく、なんだか、ほのぼのとした音楽劇の体をなす。でも、気は抜けない。いつ、どこから、何が起こるか分からない。実際にオオカミは、自分の存在を理解していないようで、人を殺して食べる、という行為を説明しない。もちろん、そこにはそんな説明を拒否するものがあるのだが。
それでも、やはりというか、ちゃんと、これは最後まで穏やかでほのぼのした作品のように見える。ラストではみんなで歌を歌っているし。正体を明かさないまま、終わる。赤ずきんちゃんは何者なのか。オオカミは何者なのか。両者の関係性はどこにあるのか。さらには、彼女の家族との関係は。シカ(赤ずきんでもある)とオオカミは、この家族(両親、叔父、祖母)に取り込まれることで、どうなるのか。いくつもの暗喩を背後に秘めながら、最後まで見たとき、そこには解放感はない。
理屈を超えた世界をこんなにものびのびと展開してくれる。説明の不備を弱点にはしないだけの余白がある。だから、今回は素直になんだか、よくわからないけど、おもしろかった、とそれだけにしたい。そんな気分を楽しみたい。