「どこの国の映画だ?」と、気になった。「いつの時代の話だ?」と、それも気になった。(カメルーン映画だ。決して昔々の話ではなさそうだ)これはある漁村の日常の風景のスケッチである。でも、それを見た僕らはこんな現実が、今の時代にあるのか、という驚きと向き合うことになる。とんでもない衝撃を受ける。だが、それを決して異常なことだとは、ここに住んでいる人たちは考えもしない。悪夢の2時間22分である。映画はそれを声高に告発するわけではなく、さりげなく見せるにとどめる。そこがまた怖い。
女性に対する差別。教育に対しての不審。いくらなんでも、ここまで酷い現実がこの現代で当然のこととして起きているのかと思うと空恐ろしい。信じたくない。理不尽なんていうレベルではない不条理の世界が描かれていく。
主人公の12歳の少女は、学校に行って勉強をしたいと強く願っているが、貧しさ故学校に通うことはかなわない、というパターンなら従来もいくらでもあった。だが、ここに描かれるのはそんな生易しいものではない。「教育は女子においては弊害でしかなく、教育は人をダメにする。」そんなバカな!と思う。 でも、この村ではそれは当然のことなのだ。
そんな世界にいても、彼女は学びたいと思う。学校の先生は最初は拒絶するが、彼女の理解力、学習に対する姿勢に驚き、彼女を育てたいと思うようになる。前半は静かなタッチでゆっくりと彼女を取り囲む現実が描かれていき、彼女が学びを通して成長していくお話なのかと思わせるのだが、後半、あり得ない理不尽はさらに加速していき、最後には絶望的な暴力へとたどりつく。これは実話の映画化であるにも、かかわらず、もしかしたら、彼女はこのまま地獄に落ちたままで映画が終わるのではないか、と思わされるくらいに凄まじい。
監督はこの現実を告発し、正そうとするのではなく、(もちろん、最終的にはそこにいきつくのだが)この現実を冷静に切り取って見せる客観描写を貫く。そこに中途半端な自分の考えや正義感を盛り込んだりはしない。そんな甘さはここにはない。『フィッシャーマンズ・ダイアリー』というさりげない原題(英語タイトル)にも驚く。彼女の運命との闘いのドラマではなく、これはただの漁村の記録であるという姿勢だ。監督のエナ・ジョンスコットは自分の主観を織り込んだりしたらゆがみが生じるとでも思ったのだろうか。
この過酷な事実をそのまま見せる映画に衝撃を受ける。ラストで彼女のスピーチに耳を傾ける聴衆の中にいるかなりの人が拍手をしないまま去っていく姿が描かれる。そんなことがさりげなく描かれる。最後まで衝撃的だ。