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『盆がえり』以来となる「おとなしい演劇」。この微妙なネーミングは実際のところはどうだか、とも思うが、劇団代表である寺田夢酔さんは気にしない。彼は自分たちの劇団の芝居に3つの大きな柱を用意し、これをそのひとつとしている。3つのジャンルはそれぞれ別方向を向いているように見えて、その実どれもがよろずやという集団の方向性を明確に示すものだ。それは単純なジャンル分けではなく、そういうコンセプトを与えることで自分たちの特質をより明確にする、という姿勢を示すものだろう。
今回の作品もいつもながら、少し作りが緩い。そのへんもこの集団の特質かもしれない。見ていてちょっとだれてしまう部分もある。でもそれは他の劇団にはない特質でもある。だからそれを下手だというのは少し違う気がする。寺田さんはこの緩さを大切にする。
田舎の家。サザエさんちみたくみんな玄関からではなく、広々とした庭にある縁側から入ってくる。そこに腰掛けてお茶をすすりながら、どうでもいいような世間話をして、去っていく。過疎化が進み、廃墟となっている家も多い。子どもたちは大人になると家を出て都会に行く。そんな絵に描いたようなパターンの中で、ここに戻ってきて、ここで暮らす男女を描く。
しばらく人が住んでいなかった両親の家である。病気の転地療養のため彼はここに戻ってきたのだ。彼は恋人と2人で静かにここで暮らす。親戚の女の子を離れで住まわせている。そんな彼らのところに兄とその恋人がやってきて、さらには三男までもが戻ってくる。静かだった家に活気が戻る。
梅雨の頃、ほんのちょっとした気まぐれから奇跡のような時間を過ごすことになった3兄弟の物語である。まるで子供の頃に戻ったように、無邪気な大人たち。みんなでわいわいがやがやいいながら、楽しく暮らすしばらくの時間を愛しく描く。
アイデアは悪くないが、役者たちのわざとらしい演技は少し鼻につく。もう少し自然に彼らがここに存在してくれたなら、いいのだが、どうしても経験の浅い役者たちにはこういう芝居は難しかったみたいだ。いつものオーバーアクトがこのタイプの芝居の場合はどうしても鼻に付いてしまう。作りの緩やかさがそういう部分を許せるようにバランスを取れたならギリギリで成立したかもしれないが、それって難しい。演出の微妙な匙加減の問題かもしれないが。作品自体のねらいは悪くなかっただけに残念だ。
今回の作品もいつもながら、少し作りが緩い。そのへんもこの集団の特質かもしれない。見ていてちょっとだれてしまう部分もある。でもそれは他の劇団にはない特質でもある。だからそれを下手だというのは少し違う気がする。寺田さんはこの緩さを大切にする。
田舎の家。サザエさんちみたくみんな玄関からではなく、広々とした庭にある縁側から入ってくる。そこに腰掛けてお茶をすすりながら、どうでもいいような世間話をして、去っていく。過疎化が進み、廃墟となっている家も多い。子どもたちは大人になると家を出て都会に行く。そんな絵に描いたようなパターンの中で、ここに戻ってきて、ここで暮らす男女を描く。
しばらく人が住んでいなかった両親の家である。病気の転地療養のため彼はここに戻ってきたのだ。彼は恋人と2人で静かにここで暮らす。親戚の女の子を離れで住まわせている。そんな彼らのところに兄とその恋人がやってきて、さらには三男までもが戻ってくる。静かだった家に活気が戻る。
梅雨の頃、ほんのちょっとした気まぐれから奇跡のような時間を過ごすことになった3兄弟の物語である。まるで子供の頃に戻ったように、無邪気な大人たち。みんなでわいわいがやがやいいながら、楽しく暮らすしばらくの時間を愛しく描く。
アイデアは悪くないが、役者たちのわざとらしい演技は少し鼻につく。もう少し自然に彼らがここに存在してくれたなら、いいのだが、どうしても経験の浅い役者たちにはこういう芝居は難しかったみたいだ。いつものオーバーアクトがこのタイプの芝居の場合はどうしても鼻に付いてしまう。作りの緩やかさがそういう部分を許せるようにバランスを取れたならギリギリで成立したかもしれないが、それって難しい。演出の微妙な匙加減の問題かもしれないが。作品自体のねらいは悪くなかっただけに残念だ。