昨年公開されたすべての映画のなかで、一番感動的な作品は、きっとこの映画だろう。ようやくDVDで見ることができたのだが、こんなにも胸が熱くなる映画だとは思いもしなかった。たった90分のドキュメンタリードラマなのだが、ここには人生における最大の夢と冒険が詰まっている。
1974年、ワールドトレードセンターの2つのビルの間にワイアーロープを渡して、そこを歩いた男がいた。110階の屋上、地上440メートルの高さの空中を散歩するという芸術的な犯罪のために彼と、彼のチームは、自分たちのすべてを賭ける。
何の得にもならない行為だ。しかも先にも書いたがこれは一応、犯罪行為となる。だが、彼らは全く動じない。嬉々としてこの企みに取り組む。
夢というものはこんなものなのかもしれない。パリのノートルダム寺院を皮切りにして、オーストラリアのハーバー・ブリッジ、そして、ニューヨークへと、世界を股に掛けて、さらなる高みへと上り詰める。ワイヤーを渡るのは、フィリップだが、彼に賛同して彼を支えるスタッフがいなくては、この挑戦はありえない。この映画では、彼らチームの連携プレイが丁寧に描かれていく。Xデーまでのカウントダウンにはドキドキさせられる。これはただの綱渡りショーではない。命を賭けたアートなのだ。クライマックスの綱渡りのシーンは当然再現されない。当時の写真で描かれる。そこが物足りない、なんて思うわけがない。再現ドラマは必要最小限にとどめる。大切なものは彼らがこの挑戦に挑んだという事実でそのスペクタクル自体ではないからだ。
あれから30年以上の月日を経たが、彼らはあのことをつい最近の出来事のように語る。彼らへのインタビューと、再現ドラマを通して、あの日に向けての彼らの綿密な準備が描かれる。それはワクワクするような大冒険なのだ。きっと一生に1度あるかないかの大きな賭けである。それを彼らはやり遂げてしまった。
今は亡き、ワールドトレードセンターの2つのビルの間にワイヤーを渡して、そこを一人の男が歩く。誰のためでも、何のためでもない。ただやりたかったから、する。人騒がせな行為だ。失敗したなら、彼が死ぬだけではなく、彼を支えた周囲のスタッフも傷つける。ものすごいリスクを負って、それでもこの賭けに臆することなく挑戦する。なんてばかな奴らなのだ、と思いつつも、こんなにも胸熱くする体験は初めてだと思う。
1974年、ワールドトレードセンターの2つのビルの間にワイアーロープを渡して、そこを歩いた男がいた。110階の屋上、地上440メートルの高さの空中を散歩するという芸術的な犯罪のために彼と、彼のチームは、自分たちのすべてを賭ける。
何の得にもならない行為だ。しかも先にも書いたがこれは一応、犯罪行為となる。だが、彼らは全く動じない。嬉々としてこの企みに取り組む。
夢というものはこんなものなのかもしれない。パリのノートルダム寺院を皮切りにして、オーストラリアのハーバー・ブリッジ、そして、ニューヨークへと、世界を股に掛けて、さらなる高みへと上り詰める。ワイヤーを渡るのは、フィリップだが、彼に賛同して彼を支えるスタッフがいなくては、この挑戦はありえない。この映画では、彼らチームの連携プレイが丁寧に描かれていく。Xデーまでのカウントダウンにはドキドキさせられる。これはただの綱渡りショーではない。命を賭けたアートなのだ。クライマックスの綱渡りのシーンは当然再現されない。当時の写真で描かれる。そこが物足りない、なんて思うわけがない。再現ドラマは必要最小限にとどめる。大切なものは彼らがこの挑戦に挑んだという事実でそのスペクタクル自体ではないからだ。
あれから30年以上の月日を経たが、彼らはあのことをつい最近の出来事のように語る。彼らへのインタビューと、再現ドラマを通して、あの日に向けての彼らの綿密な準備が描かれる。それはワクワクするような大冒険なのだ。きっと一生に1度あるかないかの大きな賭けである。それを彼らはやり遂げてしまった。
今は亡き、ワールドトレードセンターの2つのビルの間にワイヤーを渡して、そこを一人の男が歩く。誰のためでも、何のためでもない。ただやりたかったから、する。人騒がせな行為だ。失敗したなら、彼が死ぬだけではなく、彼を支えた周囲のスタッフも傷つける。ものすごいリスクを負って、それでもこの賭けに臆することなく挑戦する。なんてばかな奴らなのだ、と思いつつも、こんなにも胸熱くする体験は初めてだと思う。