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映画・演劇のレビュー

『ゼブラーマン2 ゼブラシティーの逆襲』

2010-04-16 22:37:04 | 映画
 クレジットでは現場監督、三池崇史、と出る。ふざけてる。前作から6年。誰も期待しない第2弾が、かなりスケールアップして、登場した。前作も充分にふざけていたが、今回はその比ではない。2025年、東京はゼブラシティーと改名されて、橋下知事並みの独裁者の都知事が就任して、すさまじい改革で、この都市から犯罪は半減した。そんな世界にゼブラーマン(哀川翔)が復活する。敵はバカな知事ではなく、彼の娘のゼブラクイーン(仲里依紗)だ。そして、二人の対決から意外な事実が判明する。

 正直言うと、ストーリーなんか、どうでもいい。だいたい宮藤官九郎による脚本は、前作以上に杜撰なものだ。バカバカしさを狙ったわけではなかろうが、くだらない話を嬉々として書いている。これではただの悪ふざけでしかない。ギャグとしては面白いかもしれないが、本気の映画としてはあまりにおふざけが過ぎる。完全に三池崇史の演出におんぶにだっこ状態だ。独立した脚本としてはあまりに杜撰すぎる。

 『ヤッターマン』にしても今回にしても三池崇史は好き放題しているが、もう『デッド・オア・アライブ』のような低予算の映画ではないのだから、自由奔放が作品の力にはならない。バカのエスカレートくらいではもう誰も驚かないはずだ。驚異のビジュアルなんかもうどこにもない。今はきちんとした話と連動したものしか意味を持たない時代だ。そこを承知の上で映画は作られるべきだ。『アバター』ですら、見てるうちにすぐに慣れて、飽きるのである。何をしてももう驚かない。

 バカバカしさだけでは映画にならないのだ。そんなこと承知でこの映画を作ったのなら、それこそ本当のバカだ。前作の描いた時代(2010年という設定だったらしい)から15年を経て、記憶を失ったままこの2025年にやってきた主人公が、この不思議の世界を彷徨う様を描く導入部分は悪くない。それどころかもっとこの部分に力を入れて欲しかった。彼が覚醒するまでがこの映画の腕の見せ所なのだ。理不尽な暴力が支配する世界の秩序が単なる図式以上のものを見せてくれたなら話自体に広がりが出来たはずだ。世界観を作りきれないまま、つまらないアクション映画へと収斂していくのはもったいなさすぎ。前作でもくだらなかったエイリアンを再び登場させるクライマックスにはがっかりさせられる。

 前作ではしがない小学校教師だった主人公が手作りのヒーロースーツで、悪と戦うというお話が何だかしょぼくて感動的だったが、今回は普通のスーパーヒーローになってしまってるのも、なんだかなぁ、と思わされる。中途半端なSFより、きちんとした人情もののほうがすっきりする。仲里依紗のぶっとんだコスチュームは、エロエロでかっこいいし、哀川翔も白髪が決まってるし、役者たちは凄くいいのだが、話にまるで奥行きがないのが残念でならない。

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