習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『白い沈黙』

2016-08-01 20:58:55 | 映画

アトム・エゴヤンの新作なのだが、彼はいつも同じテーマを扱い、それを様々な観点から描く。今回も9歳の少女誘拐事件。『スゥィート・ヒア・アフター』以降、子供たちの失踪というテーマを正面から描き、残された家族の苦悩を幾度となく綴ってきた。

 

何が起きたのかもわからないまま、戸惑い、苦しみ、現実と向き合う。でも、どうしようもない。ありえないような犯罪に巻き込まれ、幸せだった日々が一瞬で崩壊する。なんとかしようと、どれだけ頑張ったとしても娘は帰ってこない。自分が目を離したため、と後悔しても、意味がない。だいたいこの事件は彼のせいではない。ずっと凶悪な存在につけ狙われていたのだ。防ぎようがない。

 

時系列を無視して、状況説明もなく、いきなり始まり、誰が誰やらわからないまま、どんどんシーンが連なる。最初の15分ほど、何が何だかわからない。ようやくストーリーがおぼろげにわかる時には、もう彼女は誘拐されている。しかも、誘拐された瞬間、9年くらいが過ぎる。

 

最後まで見たら、すべてのつながりがわかるようには出来ているけど、ぼんやり見ていた最初の方のシーンの意味はわからないまま、終わる。DVDで見たから、終わった後、すぐに確認できるからいいけど、劇場で見ていたなら、わからないまま、だろう。

 

もちろん、それでいい、というのが作り手の考えだ。いきなり巻き込み、わからないまま、ついてこい、という姿勢。見直した時、実にクリアにすべてが見えてくる。(あたりまえだけど)

 

観客に与える情報量の多寡が問題ではない。まさか、煙に巻くのが目的であろうはずもない。混乱の中に観客も叩き込む。犯人グループの、というか、あの変態的犯人の行為はありえない。紳士の顔をして、こんなとんでもないことをする、そんな犯罪者がこの世界にいるのなら、狙われたものはどうしようもない。

 

映画はありえない犯人を象徴的に描くことで、この不気味な犯罪をこの世界にある悪意の総意として見せる。特定の犯人像ではない。顔の見えない「何か」なのだ。そういう意味ではこれは『64』にも似ている。あの映画の犯人は緒方直人演じる男ではない。

 

監禁され9年間も生活していた少女は、10代という大切な人生をほぼ失った。失ったものは大きい。それを解放された後、やり直すことはもう出来ない。なぜ、彼女だったのか、わからない。わからないまま、わからないことを受け入れるしかない。犯人に動機や理由を問いただしたところで、何の意味もない。それにもう死んでいるし。幸せだった家族は崩壊した。たとえ、彼女が戻ってきても、もう取り戻すことは出来ない。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 淀川工科高校『カノン』 | トップ | 咲くやこの花高校『たられば』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。