「こんな映画を作るのか!」それはあきれたのではない。衝撃でもない。ただただ、驚きなのだ。74分という上映時間は、ただ、そこにある事実をそのまま指し示しただけ。だが、その事実は重くつらい。
ドキュメンタリータッチの映像は、主人公たちにただ寄り添うだけ。(主人公である夫婦は実際のモデルになった事件の当事者のふたりが演じた) 淡々としたその描写は、この世界のかたすみで、今現実に起きていることに見える。(というか、描かれることは、事実そのものだ)それを覗き見した気分だ。名もない庶民の生活。そこで起きた小さな事件。だが、それによって人の生き死にが、かかってくる。だれも、彼らを助けられない。貧しいからだ。
ただ、それだけのことから、映画は目をそらさない。しっかりとカメラを向ける。だがこれは不条理な現実を告発することではない。社会派映画ではなく、生活の記録だ。医者は治療費が払えない患者を診ない。それによってその人が死ぬことになっても、それは自己責任だと突き放す。そんな非情なことがまかり通る。医者はボランティアではない、と言うのだが、そんなふうに割りきっていいのか。いいはずもない。
お金がないから、従うしかない。保険証がないから、高額な医療費を支払わなくてはならない。不可能だ。医者は何度訪ねても彼らを門前払いするだけだ。
「ボスニアが舞台で、ロマ族の夫婦への差別がそこにある、」とかいうようなことも、実はわからなくてもいい。ここに描かれてある事実だけで十分に伝わる。固有名詞はいらない。彼らだけではないからだ。この世界では貧困に喘ぐたくさんの人たちが今も矛盾を、不条理を抱え、戦っている。その事実がここから見えてくる。『ノーマンズランド』の監督が、どうしても撮りたくて、作った映画だ。何度も書くが、これは事実の映画化だ。主人公は実際にその事実に遭遇した夫婦が、当時の出来事を再現して演じたのだ。これはとても小さな映画だ。だが、ここに描かれることに耳を傾けよう。何よりも大事なことが、そこには描かれてある。