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映画・演劇のレビュー

森見登美彦『熱帯』

2019-04-06 16:07:54 | その他

久々の森見作品なので期待して読み始めた。しかし、なんだかおかしい。冒頭、書けない小説家森見が登場して彼が主人公なのかと思わせるスタート。よくあるパターンで少しそれはないよな、と思いつつ先を急ぐ。そこはただの入り口に過ぎなかった。沈黙読書会に参加して、そこで誰もが最後まで読めない奇書『熱帯』の話を聞く。そこから始まる大冒険がこの500ページ越えの長編。

語り部が変わっていくことや、話がどんどん横滑りしていくこと。そんなことはもちろん気にならない。だけど、妄想の中に入り込んでから話が膨らまないのが、しんどい。4章からラストまで、ついていけない。不可視の群島に入ったところからだ。創造の魔術によって見えないものが見えてきたり、世界を作り上げたり、とかいう展開がなんだかつまらないのだ。こんなものをいつまでも読んでもきりがない、と思わされるようではダメだろう。これではドキドキが持続しないのだ。何がここで起きているのか。それが僕たちの生きる現実とどうかかわるのか。「そこ」との接点を失くすと小説は意味もなくす。

先日これと同じように妄想の世界に陥る小説を読んだ。金子薫『壺中に天あり獣あり』だ。どこまでも続く巨大なホテルの迷宮の中で出口を求めて永遠の旅を続ける男の話だ。やがて彼はそこに偽物の空と大地を作る。ホテルの中にホテルを作る。そこで人々と暮らす。たとえまがい物であろうとも、そこには天があり、(ブリキだけど)動物もいる。

毎日は変わることのない同じことの繰り返し。だけど、そこに何か生きがいを見出して、そのために生きる、どんなことでもいい。つまらない、と思うとつまらなくなる。でも、面白いと思うと面白い。自分をだますのではない。その瞬間の自分の気持ちを大事にするのだ。

『熱帯』にはなくて『壺中に天あり獣あり』にはあるもの。それは夢見る力だ。それだけで成功と失敗に分かたれる。希望は自分で作り出すしかない。たとえそこがどんなに不毛な場所であろうとも。『壺中』で永遠の迷路にうんざりしながらも、そこから先を目指す男がたどり着いた先。これが僕たちが生きる世界の象徴か、と思う。200ページほどの作品の前でこの500ぺージ超えは負ける。ずっと大好きだった森見の新作なのに、残念だ。ラストまで読んだとき、ようやく終わることができたのか、とほっとする。森見自身がほっとしている。この小説を書き終えたことに。

 


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