幾分重い作品になった。きっとオリジナルはもっと軽妙で笑いのあるものなのではないか。息吹は持ち前のまじめさで、その軽さを棄てた。もちろん完全に棄てているのではない。台本をちゃんと踏襲してあるから、そのユーモアは残る。だが、そこを生かすのではなく、ここに描かれる時代にちゃんと寄り添おうとした。その結果、幾分重い作品になるのである。仕方のないことだ。
昭和21年という時代。戦争が終わった直後の混乱期、とある神社の神主一家の物語だ。ドーンセンターの1階パフォーマンススペースを最近の息吹はホームグランドにしている。今回はこの仮設劇場に本格的なセットを組んだ。さすが、としかいいようがない。見事なものだ。神社の大広間と、二階への階段。階上の物干し場、正面の格子の奥には境内の庭が見える。この空間を必要とするから、ちゃんと作る。でも、ここは本来この建物の入り口のパブリックスペースなのだ。なにもないそこにこれだけのセットと客席を(ちゃんと階段状になっている)作り、そこで公演をする。ただそれだけでも感動する。芝居は2時間半の大作だ。これは本来常設の中ホールで上演されるべきものだろう。それを敢えてここに持ってくるところに、老舗の意地のようなものを感じた。どこででも自分たちの劇はやれる。しかも、手抜きはしない。渾身の力作である。
先に見えない時代。不安の中で日本の未来を見据える。だが、当事者である彼らにとってこの先なんかまるで見えない。いつすべてがダメになるか、わからない。現に日本は戦争に負けたし、アメリカの占領下で、自分たちの明日すら見えない。食べるものはない。配給なんか当てにならない。闇物資も自由には手に入らない。だいたい神社なんてものが、この先存続可能なものか、それすらわからないのだ。民主主義なんてものが本当に信じられるものか、それすらもわからない。でも、今は藁にもすがる。そこにすがるしかない。そんな時代の話である。だが、これを見ながら今の僕たちの生きる時代に似ているような気になる。もちろん切実さはまるで違うだろうが、でも、21世紀の不況時代の今、彼らと同じように我々も先の見えない不安を抱え生きていることは事実だろう。
この芝居を戦後の混乱期の出来事と見るのは間違いだ。これは今の我々の時代へ向けてメッセージなのだ。息吹が前作に続いて、過去の出来事を描くふりをして、今という時代へのメッセージを紡ぐ、これはそんな作品だと理解したい。
罹災者たちを居候として迎えることになり、なんとかして彼らを追い出そうとする神主一家と、意地でもここに居座る覚悟の彼らとの確執を軸にして、不安な時代を生き抜こうとする彼らの姿を誠実に見つめる。ほんとうに真面目な芝居だ。ベテラン劇団が、この素材と格闘し、本気で取り組む姿を見ているとなんだか頭が下がる。当たり前のことなのだが、こういう営みの先にしか、未来はない。芝居作りが、生きざまにつながる。そんなことすら感じさせられた。ただのウェルメイドではない。どちらかというと、武骨で、でも、そこがとても素敵な、そんな芝居だと思う。ラストで、養子としてこの家に住む青年(でも実際は下男)が、神主を「パパ」と呼ぶシーンが胸に染みた。
昭和21年という時代。戦争が終わった直後の混乱期、とある神社の神主一家の物語だ。ドーンセンターの1階パフォーマンススペースを最近の息吹はホームグランドにしている。今回はこの仮設劇場に本格的なセットを組んだ。さすが、としかいいようがない。見事なものだ。神社の大広間と、二階への階段。階上の物干し場、正面の格子の奥には境内の庭が見える。この空間を必要とするから、ちゃんと作る。でも、ここは本来この建物の入り口のパブリックスペースなのだ。なにもないそこにこれだけのセットと客席を(ちゃんと階段状になっている)作り、そこで公演をする。ただそれだけでも感動する。芝居は2時間半の大作だ。これは本来常設の中ホールで上演されるべきものだろう。それを敢えてここに持ってくるところに、老舗の意地のようなものを感じた。どこででも自分たちの劇はやれる。しかも、手抜きはしない。渾身の力作である。
先に見えない時代。不安の中で日本の未来を見据える。だが、当事者である彼らにとってこの先なんかまるで見えない。いつすべてがダメになるか、わからない。現に日本は戦争に負けたし、アメリカの占領下で、自分たちの明日すら見えない。食べるものはない。配給なんか当てにならない。闇物資も自由には手に入らない。だいたい神社なんてものが、この先存続可能なものか、それすらわからないのだ。民主主義なんてものが本当に信じられるものか、それすらもわからない。でも、今は藁にもすがる。そこにすがるしかない。そんな時代の話である。だが、これを見ながら今の僕たちの生きる時代に似ているような気になる。もちろん切実さはまるで違うだろうが、でも、21世紀の不況時代の今、彼らと同じように我々も先の見えない不安を抱え生きていることは事実だろう。
この芝居を戦後の混乱期の出来事と見るのは間違いだ。これは今の我々の時代へ向けてメッセージなのだ。息吹が前作に続いて、過去の出来事を描くふりをして、今という時代へのメッセージを紡ぐ、これはそんな作品だと理解したい。
罹災者たちを居候として迎えることになり、なんとかして彼らを追い出そうとする神主一家と、意地でもここに居座る覚悟の彼らとの確執を軸にして、不安な時代を生き抜こうとする彼らの姿を誠実に見つめる。ほんとうに真面目な芝居だ。ベテラン劇団が、この素材と格闘し、本気で取り組む姿を見ているとなんだか頭が下がる。当たり前のことなのだが、こういう営みの先にしか、未来はない。芝居作りが、生きざまにつながる。そんなことすら感じさせられた。ただのウェルメイドではない。どちらかというと、武骨で、でも、そこがとても素敵な、そんな芝居だと思う。ラストで、養子としてこの家に住む青年(でも実際は下男)が、神主を「パパ」と呼ぶシーンが胸に染みた。