これもまた旅の映画だ。京都という不思議な場所を舞台にして、3組の男女が恋をする。たぶんそんな話だったような気がするけど、定かではない。なんだかよくわからない映画なのだ。面白いといえば面白いけど、よくわからないし、メリハリのない展開はドラマとしてつまらないという感想を持っても仕方ない。
森見登美彦の小説のような幻想に近い、だけど、鈴木卓爾監督は嵐電という不思議な電車を通して、京都を日常の世界から幻想の世界へと地続きにして見せていく。
修学旅行でここにきている子供、ここでしばらく暮らすことにした旅人、ここに映画の撮影のためにやってきた役者。彼らが出会う人々。先にも書いたように分類上はたぶん恋愛映画だろう。だけど、そんなジャンル分けには収まらない世界がここでは展開していく。
ストーリではなく、気分のようなものが、脈絡なく、展開していく。だから、そこに普通の映画のようなお話を追いかけても詮ないことなのだ。ずっと全編くりかえされるのは電車の走る姿。それをカメラは捉える。線路だけではなく路上も走る路面電車を全編に散りばめ、そこにここで暮らす、ここを旅する人々の姿がはめ込まれる。
だらだらしたタッチで何のメリハリもなく、映画は綴られていくから、いったい何をしたいのやらよくはわからないという意見も聞かれそうだが、それは作者の鈴木卓爾だって同じかもしれない。彼自身がどういう映画になるのやらわからないまま、この映画を作り、出来上がった映画を見ても、よくわからない、と思っているかも、なんていうなんだか無責任な印象すら与えかねない、これはそんな映画なのだ。だから、何も考えないで、スクリーンと向き合えばいい。どうして自分は今ここにいるのだろうか、そんなことを思う、そんな不思議な映画なのだ。