この小さな小説は、(大きな小説という言い方もヘンだけど、これも実にヘン)この世界のかたすみで、ひっそりと息を潜めるように生きる、たったふたりの毎日を静かに切り取るだけ。行助とこよみ。足の不自由な行助が、パチンコ屋に寄生するように店を出す、美味しい鯛焼きを焼くこよみと出会う。
やがて、彼女は交通事故に遭い、昏睡状態になる。彼は毎日見舞いに通う。やがて、目覚めた彼女なのだが、障害が残る。1日ごとに記憶がリセットされてしまうようになったのだ。行助はそんな彼女と一緒に暮らすことで、大切なものは、記憶の集積ではなく、この日、1日を一緒に生きることなのだ、と気付く。
「忘れても忘れてもふたりの世界は失われない」失われたものの中にとどまり、続けるものがあり、そのかすかな残り香のようなものが、ふたりを未来へとつないでいく。
100ページほどの作品で、ページの余白も広い。でも、1冊の本として仕立てた。10年以上前に書かれた中編小説がこうして、他の作品と抱き合わせることなく、出版されたのは、この小さな世界をそれだけで完結させたかったからだろう。