これは扱い方が難しい素材だ。ばかばかしいコメディになる危険性もある。実際に見ながら、最初は笑っていたが、しばらくして、あほらしいと、感じた。でも、それが確信犯なので、徐々に作り手の覚悟のほどが伝わってきて、だんだん見ているほうが本気になっていく。
タイトルにあるようにこの兄弟はお互いに誉め讃えあう。しらじらしい。だが、幼かった彼らが覚悟を決めて家出して、それぞれ別々の場所で今まで生きてきて、父親の死によって忘れたことにしていた(もちろん、一時も忘れるわけがない)兄弟たちと再会する。そういう特別なシチュエーションの中での行為が、お互いを誉めることなのだ。そこにある距離感がこの作品の眼目だと気付いた時、しらじらしいと思っていた彼らの行為がとんでもない切実さを伴うものに見えてくる。
だから、ドキドキさせられる。前作『楽園ジゴク』で、うさんくさい新興宗教団体すれすれの集団を描き、そこでも教祖として怪しい男を演じた上田一軒が今回も、中心となる兄弟の一番上の兄を演じる。演出家として出来ることならあまり舞台の前面には出ないほうがいいはずなのだが、彼はやむ負えなくこういうスタンスで舞台の中央に立つ。もちろん主役というわけではない。だが、立ち位置はアンサンブルの中心だ。
コメディというよりもシリアスである。だが、設定がかなり微妙なばかばかしさを孕む。 大体父親が死んでしまったのに、葬式の準備を差し置いて家族会議ってないだろ。遺体をそっちのけで話はどんどん進んでいく。そこで、乗れなくなると、この芝居は最後まで空々しいままになるのだが、コメディの意匠が、この異常状態を納得させる。やがて、それが臨界点に達したとき、先に書いたこの芝居の本当の意図が前面に出ることとなる。実に危うい、でも、上手い展開のさせ方だ、絶妙のバランス感覚と言っても過言ではあるまい。
主役の3兄弟(上田一軒 森澤匡晴 北村 守)だけでなく、お話の最初、リード部分を任される近所の幼馴染を演じる山本禎顕や、冒頭で独り芝居を延々とする嘉納みなこ。さらにはこの空間で唯一嫌な女を演じるののあざみ。この2人のゲストがとてもいいポジションを占める。出過ぎず、目立たず、でも、ポイントをきちんと押さえるのだ。
要するにバランス感覚が素晴らしいから、こういう難しい芝居を成功させることが可能なのである。いつもながらだが、舞台美術(柴田隆弘)も素晴らしい。ABCホールに家を一軒まるまる建ててしまうのだ。アプローチから玄関、縁側、2階部分まで、よくぞここまで作り上げた。ここで住めるのではないか、と思わせる勢いだ。家をテーマにしたから、このわかりやすい美術が生きる。
不在の父(というか、死んでしまったのだが)を前面に出すことなく、彼の死という事実を通して家族の絆を再確認する。今まで四半世紀彼らが我慢してきた本来あるべきだった家族の在り方をここに見つめる。それをウエットに描くことなく、ばかばかしさスレスレのコメディにする。ある種、不毛ですらあるようなドラマを、奇跡のように作りあげた。お互いを大切に思う心、労わり合いながら、それが勘違いじゃないか、とすら思う。こんな誉め兄弟がいたなら、なんだか幸せじゃないか、と思う。なんだかほのぼのとさせられる不思議な作品だ。