今の自分の想いと通じる映画は傷ましい気分と納得。どうすればいいか。どうしようか、その想いも交錯し、身につまされる。60代の男が主人公だ。まだ、老人とは言えないけど、仕事もせず、無為に時を過ごす。妻が出ていき、ひとりぼっちになった。台湾で暮らす母親も死んだ。帰るところもない。というか、台湾からアメリカにやってきて、30年以上の歳月が経つ。ここが彼の場所だ。子供はふたりとも独立した。娘は今、精神を病んでいる。恋人が出ていき、ひとりになった。そんな彼女に対して彼は援助の手を差し伸べることができない。不器用な父親だ。
Netflixのオリジナル映画だ。Netflixはこんな地味な映画にも協力している。というか、探すといろんなものが出てくる。宝の宝庫だ。たった91分の小さな作品だが、身につまされる。たったひとりになった彼が同じようにひとりぼっちになった娘とふたりで台湾を訪れ、かって彼が母とふたり暮らした今では廃墟となった家を訪れるラストシーンが素晴らしい。入口の部分から家の中へとカメラが引いていき、2人の姿が小さくなっていく。
台湾からアメリカに渡った夫婦の40年に及ぶ歳月と、台湾での20数年の月日が合わせて描かれていく。60代になって、妻が彼のもとから去っていった。そして台湾に残してきた母の死がある。そんな孤独な姿から始まる。葬儀の後、アメリカに戻って今の彼は抜け殻のようになっている。自分が何をしてきたのか、これから何をするのか。今立ち止まっている時間、現在から過去が交錯していく。
畑の中で、両親を捜す幼い日の姿から映画は始まる。祖母との生活から、やがては、タイガーテール(虎尾)での母との暮らし、子供の頃出会った少女との再会、淡い恋、職場での出来事、上司の娘との結婚、アメリカ行き。ニューヨークでの暮らし、妻の出産、目まぐるしく変化する日々を一瞬で描く。
だけど、中心になるのは、恋人に去られ、心を病んだ娘との交流を描くお話だ。娘に対して、心を開かない彼が彼女と向き合い、一歩踏み出していく姿を見たとき、自分も今の現実から一歩でいいから踏み出していこうと思った。まるで自分の未来を先取りしたような映画だった。今僕の感じている不安がそのまま映画になっている。ただ、彼と違って僕の母はまだ生きている。毎日彼女の面倒を見ることが生活の中心になっている。その結果仕事へのモチベーションが下がり、自分の好きだったことも、どうでもよくなっている。映画も芝居も見なくなったし、家でネットフリックスをダラダラ見ているだけ。情けない。