残念だが、あまりお客が入っていないようだ。同時期によく似たラブストーリーが続くと、どうしてもお客はどちらかに集中してしまう。しかも、おこずかいのあまりない高校生なんかをターゲットにした映画の場合は当然のことだろう。そういうことで、今回は先行した『陽だまりの彼女』に軍配が上がったようだ。キャストもあちらの方が松本潤だし、若い女の子が押し寄せるのは道理だ。だが、映画としては当然の話だが、こちらも負けてはいない。恋愛映画の名手、新城毅彦監督である。
それにしても大胆な映画だ。主人公の長澤まさみに15歳を演じさせた。いまどき普通それはしない。今の時代は結構リアリズムなので、見た目は大事にするからだ。26歳に15歳を演じさせることの不自然には目を瞑ることは出来ない。しかも、バランスを考えたのか、相手役の15歳を高良健吾が演じる。彼も実年齢は26歳だった。彼の場合は15歳で死んでしまう役なのに、である。もう、ありえないキャスティングだ。だが、新城監督には勝算があった。そして、見事的中する。
余談だが、前述の『陽だまりの彼女』はキャストを変えて成功した。もちろん、あちらは中学生の設定だから、さすがに不可能だった。だから、主役の2人と雰囲気が似た若い役者を使い、きちんと過去のシーンを見せきったのだ。同じようにこの作品も8年前の過去をどれだけちゃんと見せるかが、ポイントとなる。冒頭からかなりの長さをそこに割く。不自然にならないはずはない。だが、彼らはとてもよく演じている。これはリアルタイムの「あの頃」ではなく、今の彼女が思い出したあの頃なのだ。記憶の中ではすべてが本当以上にキラキラしている。だから、今目の前にいる岡田将生と並べても遜色ないハルタでなくてはならないからビジュアルは高良健吾でなくてはならなかったのだろう。思い出の中のハルタは大人になったハルタであってもいいのだ。
仲よし4人組の幸せだった時間をどれだけ丁寧に見せるかが、その突然の悲劇を際立たせる。幸せな時間は永遠だと思っていた幼い恋の物語がキラキラした映像によって描かれていく。セピアトーンの風景の中、彼ら4人は輝いている。だから、突然の事故による終焉は痛ましい。
8年後。普通に生きている毎日のスケッチ。そこで、出会った少し嫌味な男、禄(岡田将生)。彼になぜか、心魅かれる。ハルタの死からずっと、恋愛は遠ざけてきた。怖かったからだ。だが、今、目の前にいる嫌な男になぜか心魅かれる。彼の語る過去が、自分の過去と重なる。心に傷を持った2人がお互いを慰めあうように付き合い始める、なんていうよくあるつまらない展開になる。でも、そこも含めて作者は意図的にこのシチュエーションを選んだ。要するに確信犯なのだ。原作は少女マンガである。いくらなんでもリアルじゃない。彼らが現実世界で生きているとはとても思えない。マンガの中だけで成立する世界のお話が展開する。それを荒唐無稽だと言われたなら、返す言葉はないけど、こういう側面も確かにあるはずなのだ。
そこをクローズアップしたのだ。デフォルメは承知の上で、新城監督は彼女たちの心の軌跡に焦点を当てて映画を綴る。これは彼が『ただ、君を愛してる』でもやったパターンだ。だが、あの時は主人公の宮崎あおいを不思議少女にすることで、乗り切った部分を、今回は長澤まさみに日常レベルで表現させようとする。これは実はかなり難しい試みだ。お話自体が非日常的なマンガ世界なのに、それを日常の次元で展開させるのだから。だが、そんな困難に長澤まさみはとても自然体で挑み、成功している。それは相手役の岡田将生のフォローもあってのことだ。綿菓子のような話を綿菓子のままで、淡々と展開させ、ラストまで引っ張っていく。普通のラブストーリーの骨格を持ちながら、その実とても異常なドラマに説得力を持たせた。
結果的には、喪失感を描くのではなく、今を生きるためのレッスンが描かれる。そういうところがこの映画の魅力だ。ラストのキスシーンが素直に感動的なのもいい。その背景を流れる斎藤和義による主題歌もとてもいい。ゆったりとした時間の流れが描かれる。映画は時間をかけてじっくりと、それを見せる。アップテンポが好まれる時代の風潮の中で、これは今時珍しいタイプの映画だ。
それにしても大胆な映画だ。主人公の長澤まさみに15歳を演じさせた。いまどき普通それはしない。今の時代は結構リアリズムなので、見た目は大事にするからだ。26歳に15歳を演じさせることの不自然には目を瞑ることは出来ない。しかも、バランスを考えたのか、相手役の15歳を高良健吾が演じる。彼も実年齢は26歳だった。彼の場合は15歳で死んでしまう役なのに、である。もう、ありえないキャスティングだ。だが、新城監督には勝算があった。そして、見事的中する。
余談だが、前述の『陽だまりの彼女』はキャストを変えて成功した。もちろん、あちらは中学生の設定だから、さすがに不可能だった。だから、主役の2人と雰囲気が似た若い役者を使い、きちんと過去のシーンを見せきったのだ。同じようにこの作品も8年前の過去をどれだけちゃんと見せるかが、ポイントとなる。冒頭からかなりの長さをそこに割く。不自然にならないはずはない。だが、彼らはとてもよく演じている。これはリアルタイムの「あの頃」ではなく、今の彼女が思い出したあの頃なのだ。記憶の中ではすべてが本当以上にキラキラしている。だから、今目の前にいる岡田将生と並べても遜色ないハルタでなくてはならないからビジュアルは高良健吾でなくてはならなかったのだろう。思い出の中のハルタは大人になったハルタであってもいいのだ。
仲よし4人組の幸せだった時間をどれだけ丁寧に見せるかが、その突然の悲劇を際立たせる。幸せな時間は永遠だと思っていた幼い恋の物語がキラキラした映像によって描かれていく。セピアトーンの風景の中、彼ら4人は輝いている。だから、突然の事故による終焉は痛ましい。
8年後。普通に生きている毎日のスケッチ。そこで、出会った少し嫌味な男、禄(岡田将生)。彼になぜか、心魅かれる。ハルタの死からずっと、恋愛は遠ざけてきた。怖かったからだ。だが、今、目の前にいる嫌な男になぜか心魅かれる。彼の語る過去が、自分の過去と重なる。心に傷を持った2人がお互いを慰めあうように付き合い始める、なんていうよくあるつまらない展開になる。でも、そこも含めて作者は意図的にこのシチュエーションを選んだ。要するに確信犯なのだ。原作は少女マンガである。いくらなんでもリアルじゃない。彼らが現実世界で生きているとはとても思えない。マンガの中だけで成立する世界のお話が展開する。それを荒唐無稽だと言われたなら、返す言葉はないけど、こういう側面も確かにあるはずなのだ。
そこをクローズアップしたのだ。デフォルメは承知の上で、新城監督は彼女たちの心の軌跡に焦点を当てて映画を綴る。これは彼が『ただ、君を愛してる』でもやったパターンだ。だが、あの時は主人公の宮崎あおいを不思議少女にすることで、乗り切った部分を、今回は長澤まさみに日常レベルで表現させようとする。これは実はかなり難しい試みだ。お話自体が非日常的なマンガ世界なのに、それを日常の次元で展開させるのだから。だが、そんな困難に長澤まさみはとても自然体で挑み、成功している。それは相手役の岡田将生のフォローもあってのことだ。綿菓子のような話を綿菓子のままで、淡々と展開させ、ラストまで引っ張っていく。普通のラブストーリーの骨格を持ちながら、その実とても異常なドラマに説得力を持たせた。
結果的には、喪失感を描くのではなく、今を生きるためのレッスンが描かれる。そういうところがこの映画の魅力だ。ラストのキスシーンが素直に感動的なのもいい。その背景を流れる斎藤和義による主題歌もとてもいい。ゆったりとした時間の流れが描かれる。映画は時間をかけてじっくりと、それを見せる。アップテンポが好まれる時代の風潮の中で、これは今時珍しいタイプの映画だ。