辻村深月の傑作小説を河瀨直美が映画化した。こういうタイプの商業映画を彼女が手掛けるなんてめずらしいことだ、と思いつつ、見たのだが、彼女のやりたいことは明確で、ぶれることはない。特別自分のスタイルに拘るわけではなく、原作小説を忠実にたどりながらも、それを確かに自分の作品にする。それってなんだか凄い。
特別養子縁組で子どもを得た夫婦が自分たちにできる思いっきりの愛情を抱き、慈しんでその子を育てる。子どもを育てることの大切さ、すばらしさ、そんな当たり前のことをしみじみと描く。そこにその子がいる。ただそれだけで、いい。家族であることの幸福を噛みしめる。もちろん、生きていることには様々な困難が生じるけど、立ち向かうことが出来る。夫婦だけでは得ることの出来ない喜びがそこにはある。冒頭の幼稚園での事故のエピソードが実にうまい。原作でもこの部分がこの作品の入り口だったが、何かが起こる前兆として、秀逸なエピソードだ。日常の中に潜む不安と恐怖がささいな出来事から見えてくる。ここからいろんなものが壊れていく可能性だってある。息子を信じるか否か、という選択だ。そして彼女がやってくる。14歳で望まない子どもを産んだ少女は、やがて、その子を返して欲しいと思い始める。夫婦のもとを訪ねる。
このふたつの話が交錯する。夫婦と彼らが育てる息子との家族の物語と、少女が出産委至るまでの日々を描く。彼らがそれぞれどんな生活を送っていたかが丁寧の描かれていく。だけど、同時進行ではなく、それぞれの話が恣意的に描かれていく。少女の話と、夫婦の話は別々の映画のように見える。もちろんそんなことはないのだけど、意図的に全体の構成や構造には囚われないで、自由に描かれていくのだ。
これは作られたお話ではない。でも、これはドキュメンタリーのような映画ではない。生々しいわけでもない。さりげない。僕たちは映画を見ながら彼ら自身の人生の時間を体感していくような気にさせられる。河瀨監督は彼らに感情移入させるのではなく、彼らとぴっつたりと寄り添う。そこには自分の人生のドラマがあるような気にさせられる。
子どもを産み,育てること。どこにでもあるお話が、養子縁組という特別な枠の中で展開するにもかかわらず、そこには普遍的な家族の物語がある。2時間20分に及ぶ長尺なのに、あっという間の出来事だ。ずっと彼らを見守りたいと思う。この先にも、もちろん人生は続く。そんなあたりまえのことを目撃し続けていたい。この家族から目を離したくない。それはそこにとても大切な「何か」が、ちゃんとあるからだ。河瀨監督の人間を見つめるまなざしの確かさ。その暖かくて厳しい視線の先をみつめていたい。この夫婦に守られて育つ少年が愛おしい。