75歳のひとり暮らしの老人(田中裕子)。彼女の日々のスケッチを描くファンタジー。3人の妖精さん(寂しさ1,2,3)が出てきて彼女の周囲でいろいろとアドバイスをしたり、干渉したり。リアルなお話なのだけど、ほのぼのとしているのは彼女にしか見えない(妄想だから当たり前だ)3人がコメディリリーフを担当しているからだ。もちろん、頭の中にいる3人は何かをするわけではない。彼女もわかっている。認知症ではなく、まだちゃんと意識をもって生きている。今の生活は、ひとりでも何の支障もない。でも、やはりひとりは寂しい。だから、3人の分身を見る。
あと14年で僕も彼女と同じ年になる。もう少しだ。毎日認知症の母親の面倒を見ていると、だんだん自分も認知症が伝染していく。この映画の老婆の14年後がうちの母親なのか、と思うと、憂鬱になる。自分の立ち位置をそこから考えてしまう。もちろんひとそれぞれで違うのはわかっているから、年齢で測れるものではない。だけど、今の自分と母親の間にこの映画の主人公を置いていろんなことを考えながら映画を見ていた。
映画はリアルとファンタジーのバランスが絶妙で、2時間以上の長尺なのに飽きささない。沖田修一監督は『モリのいる場所』でも老人を撮っている。偏屈な老人を山﨑努が演じた。あの映画と対になっていると感じた。男女2人の老人2部作か。
ただこの作品の優しさは唯一無二のものだ。マンモスと歩くシーンも違和感がない。孤独な老人のひとり暮らしの日々をこんなにもユーモラスに描きながら、こんなにも豊かな映画になったのは「寂しさ」を距離を置いて見つめる視線が適切に描かれるからだ。現実を冷酷にみつめるのではなく、冷静にみつめているのがいい。妄想が暴走するのではなく、それだってちゃんとみつめるのだ。諦めでもない。今ある自分と自分の生活をちゃんと見ている。子供や孫に対する態度もそうだ。
今ここにいる自分って何なのだろうか、と、これはそんなことを考えさせられる映画なのだ。少なくとも僕にとっては。個人的にとてもいろんなことを考えさせられた。まぁ、僕が勝手に考えただけだけれど。老後をどう過ごすか、そんなことばかり考えてしまう今日この頃である。やれやれ。