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偏愛2部作として『眼帯のQ』とともに上演された。台 本、 三名刺繍(劇団レトルト内閣)、 楽曲・演出 佐藤香聲(銀幕遊學◉レプリカント)のコンビによる連作。2作とも見たかったのだが、今回はこちらのみしか見られなかった。今まで、何度となく見てきた『眼帯のQ』は、今回ファイナルヴァージョンとなったらしい。どんな風に進化したのか、目撃したかったのに、残念だ。
さて、こちらはまだまだ進化していくだけの余地がある作品である。このコンセプトで、ひとりの女の魂の彷徨を描くというのは、まぁ、どこにでもよくあるパターンなのだが、そんなふうにして一見するとありきたりだからこそ、ここにはいろんな余白が生じ、そこから新しい展開を繰り広げることが可能なのだと思う。入り口が広く、出口も広いから、普遍的なドラマとなる。
「匂い」がテーマになる。目に見えないものを、華やかなダンスショーとして見せていく。全く無臭の女が、主人公だ。彼女がそれ故、夫から拒否される。無臭で無菌状態の女は、自分が何者でもなく、空虚だということを夫の拒絶を通して知る。だが、彼女はそれに苦しまない。反対に自由を手に入れる。やがて、美しい香りを身に纏い、モデルとして、女優として活躍することになる。これは華やかなステージパフォーマンスを満載したちょっとしたサクセスストーリーなのだが、それだけでは終わらない。やがて、彼女は1人の男を通して、腐臭をさせ、朽ちていくことになる。音と光と、おびただしい女たちによるダンス・パフォーマンスに圧倒される。だが、そこにほんの数人の男たちがまざる。彼らは彩りにすらならない。この耽美的で退廃的なショーの中で、男は、意味を成さない。
この作品のおもしろさは、そこにある。光と影を女と男によって表現する。女は自分の意志で行動し、滅びていく。つまらない男のせいというわけではない。最初から最後まで、人形のように意志を持たないまま、流されていくように見せながら、彼女はそんな自分を愉しんでいる。