(水を撒くカメ、この方も群れない、群がられても群れない)
何年振りかにJR中央線高円寺へでかけた。この街は8月は阿波踊りで
賑わう。吉田拓郎の歌「高円寺」が頭を過るけど、そのていどの超乏しい
情報で、とりあえず駅前商店街を歩き始めた。
中通商栄会の小路へ入って行く。
隣同士ひしめくようにくっついて並んだ店は営業中の札は出ているが、
時間を止めたような30年前の風景である。
間口が1間かそれ以下で、居酒屋、寿司屋、ラーメン屋、定食の店、
総菜屋らしき店、パン屋、ハンバーグ専門店、古本屋、コーヒーとケーキの
店という喫茶店、カフェみたいでカフェじゃないオープン居酒屋。そこだけ
ちょっと広めで新しくて、まだ宵の口なのにすでに客が入っていた。
飲み屋は賑わう場所か…。
目的の店はライブハウスShowboat。商店が途切れたあたりのビルの
地下にあった。目当ては新井英一。
1か月前からチケット予約して、楽しみにしていたのである。
客席の明かりが消えて舞台に登場してきたのが、共演の小田原豊(dr)でも
渋いジャズマン金沢英明(b)でもなく、ガタイのいいアンちゃん達であった。
どうみたって素人の青年団としか見えないので、いったい何が始まるかと
いう戸惑いやら煩わしさ。しかたないので、ひいふうみいよーと数えてみたら
10人いた。ニコニコしている人や緊張しぃの人、あきらかに一杯ひっかけて
出てきてぞという顔もあった。
そして歌い始めたのが、「イムジン河」、コーラスもソロも想像を上回る巧さ。
いい声で情感たっぷりに歌いあげた。最初の思いは消えしっかりと拍手した。
半島を分断している臨津川(リムジン川)を歌った北の朝鮮民謡だが、日本
では、加藤和彦フォーク・クルセイダーズの歌や最近では映画「パッチギ」で
よく知られた歌である。
グループ名はアエ・ユニットといった。
在日コリアンの青年達が、自分たちの子どもに何かを伝えたい、何かを遺し
たいという気持ちで始めたコーラスサークルで、アエとは「愛児」と書くのだと
紹介された。
初舞台で、それも新井英一と共演! どエライことなんだとわかっているふう
でもなかった。
「さわやかな青年たち、焼酎飲んでる、マッコリ飲んでる兄さんたちだったね」
そう彼らを称賛しながら登場した新井英一はおだやかに歌い始めた。
隣にいる高橋望のギターの音が鮮烈!
「清河への道」以後の歌、昨年再び清河を訪れて作ったという新曲も歌った。
生きること、生き続け、連なっていく、自分の命が過去からの贈り物である
こと、国境も壁も海峡も超えて、ただ血がつながり、命を連ねていくこと。
その命を感じる、それを歌っていた。
故郷の朽ちた家の土壁を前にして、命を感じた詩人が空気を震わせる太い
声で歌っていた。
振り向いても、横を向いても、前にも、みっしりとある人垣はマッコリの味を
知る人たちだった。騒がしくとても騒がしく、身内の晴れの夜を楽しんでいる
のが伝わってきた。
異邦人のノスタルジアを、怨讐を、歌に託するアーチストと、仲間の初舞台を
喜びはしゃいで盛り上がる集団の間に温度差があることを感じていたのは
どちらでもないまったくの観客であるわたしたちだけのようだった。
熱くて悲壮な新井英一の歌は、CDでも生でも同じように胸を打つ。
それを知りたくて行ったのだったが、アンコールの後もアンコールと声を
はりあげ騒ぐ人を後ろにさっさとドアを押して、階段を昇った。
コリアンジャパニーズ、在日コリアン、そしてジャパニーズ、それぞれの思いを
高円寺のノスタルジックな街並みがぐるぐる巻きにして、飲みこんでくれた。
タイムスリップと半島の旅、一挙両得かつ、情けない日本人にならぬよう
気合いを入れた夜であった。
そして今朝、シャンソンのCD新井英一の「オオカミ狩り」パリの男たちを
聴いた。ゆうべと同じ声だけど、マッコリではなくカフェオレの香りであった。
新井英一は群れから自ら外れた一匹オオカミ、そしてダンディであった。
何年振りかにJR中央線高円寺へでかけた。この街は8月は阿波踊りで
賑わう。吉田拓郎の歌「高円寺」が頭を過るけど、そのていどの超乏しい
情報で、とりあえず駅前商店街を歩き始めた。
中通商栄会の小路へ入って行く。
隣同士ひしめくようにくっついて並んだ店は営業中の札は出ているが、
時間を止めたような30年前の風景である。
間口が1間かそれ以下で、居酒屋、寿司屋、ラーメン屋、定食の店、
総菜屋らしき店、パン屋、ハンバーグ専門店、古本屋、コーヒーとケーキの
店という喫茶店、カフェみたいでカフェじゃないオープン居酒屋。そこだけ
ちょっと広めで新しくて、まだ宵の口なのにすでに客が入っていた。
飲み屋は賑わう場所か…。
目的の店はライブハウスShowboat。商店が途切れたあたりのビルの
地下にあった。目当ては新井英一。
1か月前からチケット予約して、楽しみにしていたのである。
客席の明かりが消えて舞台に登場してきたのが、共演の小田原豊(dr)でも
渋いジャズマン金沢英明(b)でもなく、ガタイのいいアンちゃん達であった。
どうみたって素人の青年団としか見えないので、いったい何が始まるかと
いう戸惑いやら煩わしさ。しかたないので、ひいふうみいよーと数えてみたら
10人いた。ニコニコしている人や緊張しぃの人、あきらかに一杯ひっかけて
出てきてぞという顔もあった。
そして歌い始めたのが、「イムジン河」、コーラスもソロも想像を上回る巧さ。
いい声で情感たっぷりに歌いあげた。最初の思いは消えしっかりと拍手した。
半島を分断している臨津川(リムジン川)を歌った北の朝鮮民謡だが、日本
では、加藤和彦フォーク・クルセイダーズの歌や最近では映画「パッチギ」で
よく知られた歌である。
グループ名はアエ・ユニットといった。
在日コリアンの青年達が、自分たちの子どもに何かを伝えたい、何かを遺し
たいという気持ちで始めたコーラスサークルで、アエとは「愛児」と書くのだと
紹介された。
初舞台で、それも新井英一と共演! どエライことなんだとわかっているふう
でもなかった。
「さわやかな青年たち、焼酎飲んでる、マッコリ飲んでる兄さんたちだったね」
そう彼らを称賛しながら登場した新井英一はおだやかに歌い始めた。
隣にいる高橋望のギターの音が鮮烈!
「清河への道」以後の歌、昨年再び清河を訪れて作ったという新曲も歌った。
生きること、生き続け、連なっていく、自分の命が過去からの贈り物である
こと、国境も壁も海峡も超えて、ただ血がつながり、命を連ねていくこと。
その命を感じる、それを歌っていた。
故郷の朽ちた家の土壁を前にして、命を感じた詩人が空気を震わせる太い
声で歌っていた。
振り向いても、横を向いても、前にも、みっしりとある人垣はマッコリの味を
知る人たちだった。騒がしくとても騒がしく、身内の晴れの夜を楽しんでいる
のが伝わってきた。
異邦人のノスタルジアを、怨讐を、歌に託するアーチストと、仲間の初舞台を
喜びはしゃいで盛り上がる集団の間に温度差があることを感じていたのは
どちらでもないまったくの観客であるわたしたちだけのようだった。
熱くて悲壮な新井英一の歌は、CDでも生でも同じように胸を打つ。
それを知りたくて行ったのだったが、アンコールの後もアンコールと声を
はりあげ騒ぐ人を後ろにさっさとドアを押して、階段を昇った。
コリアンジャパニーズ、在日コリアン、そしてジャパニーズ、それぞれの思いを
高円寺のノスタルジックな街並みがぐるぐる巻きにして、飲みこんでくれた。
タイムスリップと半島の旅、一挙両得かつ、情けない日本人にならぬよう
気合いを入れた夜であった。
そして今朝、シャンソンのCD新井英一の「オオカミ狩り」パリの男たちを
聴いた。ゆうべと同じ声だけど、マッコリではなくカフェオレの香りであった。
新井英一は群れから自ら外れた一匹オオカミ、そしてダンディであった。