想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

放蕩娘ご帰還

2010-08-30 12:33:33 | Weblog

娘って歳ではありまへん、もちろん。子持ちです。
約一ヶ月ぶりに顔を見せたシマコ。ミャ~とやわらかな声でカメを
呼ぶのです。あたしにはシャーッと言ったくせに、です。

洗面所の馬油入り石けんがギザギザに縁取られていたので、はては
ネズ公がやってきたな、シマコが留守の間に一族が復活したのか?
先日そう思っていたところへミャ~の鳴き声、ひとハタラキ願いたい。
ミルクを振舞ったら、シャーッと言わなくなったところなんざ、
ちゃっかりぶり健在で、なんだか安心しました。
縁側の風景に、なくてはならない存在であります。



少しづつ、秋が始まっている森。
栗の左上に黒いものが見える?
そばでクンクンしているあいつのつま先、でっかいつま先。
初めて森の道を歩いたのが秋の始めのころで、まだ柔らかな肉球に
栗のイガイガ、トゲが刺さった。痛がって、歩けなくなって
小さかったなあと思い出す。
いまではどんなところも、ガシガシとふんづけて歩くカイジュウ。

育つ、熟す、老いる。
彼は彼でさまざまに学んで智恵をつけてきた。
老犬と過ごすのは子犬といるより楽しいと言う話を時々聞くが、
そうだなあと共感することがこのごろ増えた。
彼はいい歳の取り方をしている。

アンチエイジングやips細胞の研究が進めば進むほど、老いや病の
意味が不確かな曖昧な、あるいは忌避されるものになってきている。
生命というよりヒトはモノに近づいているのではないだろうか。
究極のモノを求めるところに、尊厳はない。
モノに敬う心を向けようはずもなく、賞賛は似て非なる所有欲の裏返し
でしかない。
敬うがなければ、礼もまた消えるのであるから、そういう社会を想像
すると恐ろしい気がする。

ベイビーは、礼儀正しい犬。おだやかでやさしい関係が深まっていく。






コメント
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