想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

帰り道の夕景色

2010-08-24 09:05:54 | Weblog
車のフロントガラス越しの一枚。
美しい色に染まっていく瞬間を、ちょっとブレーキを踏んで撮った。
田舎道だからできることであった。

この後もっと撮りたかったが、もうあの色は消え失せどちらを向いても
薄暗い雲が暮れゆく空に浮かぶばかりであった。
帰ってカメラを確かめて、たった一枚が美しかったのに驚いた。

美を創る人は、こういう色を頭の中に描き出す。
そういう人の目にはいつも何が映っているのだろう。
世間の塵芥の色は排除されているのだろうか。
いや、それはかえって幼稚で興ざめなことだから、知らんふりして
呑み込めるのではないか。

知っていて、呑み込んでしまい、手品のように美しく変えてしまうこと。
それができるのがオトナなんじゃないか、成熟とはそういうことでは
ないかとやっと思えてきた。

20年も前からずっと思ってきたのは、カメがいわゆる感情的な思いを
語らない人であるのはどうしてだろうということであった。
教えは私を滅すであるにしても、教える師もまた人である。
人には質や品があるので、カメが自分らと同じ質であるはずがなく、
わたしにはない品があることなど承知だ。
しかし、静かで強く、表れるときは柔かな態度は変わることがない。
それが不思議であった。激してもいい場面でも変わらないからである。

ワタミグループのワタミ会長の叱り方が話題になって、というより
俎上に乗せられ色々と言われている。
叱ることができない上司が増える中で賛否両論のようだけれど、
カメに叱られたと思う人はどのくらいいるのだろうか。

叱るときも、叱らないときも、それほど変わらない言葉の強さなら
受ける側の品が問われるのではないだろうか。

ワタミ会長に「ここから飛び降りろ」と9階だか8階だかの会議室で
言われ、それをパワハラだと思う社員はおそらく会社にいられないだろう。
追い出されるのではなく、いずれ仕事をしくじるか、何らかの失敗を
するだろうし、自らの感情を収めることはできないだろう。
そういう人は自分を振り返ることはしないから被害者意識を持ちやすい。

グジグジと根に持つ。根に持ってはいないと思いながら、今に見てろと
いう暗いモチベーションで頭の中はいっぱいになったまま仕事をする。
それがうまく運ぶはずがなく、たとえうまくいったように見えても一時の
ことにすぎない。
物事をみるとき、どこが完結かを見定めることができるかどうか、
それは最も重要な能力である。
私情はえてしてそれを誤らせるのである。

感情的な人は人の言葉を感情でしか受け取らない。
発する言葉に「言霊」つまり心があっても、受け取る側にそれを感じる
繊細さがなければはじき返すだけのことである。
バンバンと壁打ちテニスの球のように、打ち返そうという感情が妨げて
誰にもあるはずの心に、魂に、言葉が届かない。

人のそうした情の部分を熟知した上で、カメが静かなる人なのかどうか
それはわからないが、ただ以前ほど、そのことを不思議とは思わずに
いられるようになった。
なったが、しかし、わたしの場合にはなにせうさこであるからして、
うさぎがちょっと黙っているからといって、「どうかした?」と
ツッコミされるくらいがオチであるが。







コメント
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