ベイビーに合わせてサマータイムモードで寝起きしているこの夏、
朝陽を見る機会が増えた。
これが秋になっても寒い冬が来ても、続くかどうかははなはだ疑問
である。うさぎは寒がりである。
いや、うさぎなら雪上を駆けるが毛皮のないうさこはチョーがつく
ほどの寒がりだ、夏が終われば逆戻りか‥、それにしても朝はいい。
十代の頃から寝起きが悪くて母の手を焼かせ、それが大人になっても
変わらず夜型で長らく生活してきた。
でもこうやって光の中で元気な顔をしているベイビーを見ると、
早起きしてよかったといつも思う。
人は誰かを愛しいと思えば、変わることができる。
わたしは、自分がどうしたいという目標や希望を持ってもそれを
達成したことなどまるでなく、ほとんど自分以外の誰かを思うことに
促されて行動する。
そして、自分がいい目に逢っているのである。
欲のないいい人ぶって言っていると思われると誤解である。
そんなお利口さんな話ではなく、逆である。
バカでもアホでも、だれかを愛することで、自分を変えて行くことは
できるということだ。
そうでもないなら我慢などできないタチなのだ。
愛とは愛されるのではなく、愛することが本義であろうかと思う。
受け取る側もまた、受けているのではなくおそらく相手を想うので
愛を返すことに結果的になるのだから。
何かが足りない、足りないものがある人のほうが、愛を覚りやすい。
神さまは、足りないところへ降りてくる。
ナルキッソスの神話を引くまでもなく、自信満々で自分を好きな人に
愛など不必要である。ナルシシストの執着は心よりモノへ向かう。
モノフェチに愛は通じない。
人が変わるとは、易という字を用いる。その場合、成熟と極まりをさす。
変を宛てるカワルは、定まることがなく悲運に逢うことも含む。
悪くなったり良くなったり一時的に枝葉に別れ脈絡がない変。
人が愛によってカワルのは、易わるでなければ単なる気まぐれだ。
さて、朝型になったうさこ、寒くなって寝坊するときはプーちゃんも
一緒にな。ならいいだろ?
(プーとはベイビーの二つ名です)